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FIFA女子ワールドカップの風⑦ ~王者アメリカが歩んできた道の先に~

2015年、19年とワールドカップを連覇した王者アメリカがベスト16で敗退した。
過去8つのワールドカップで4回優勝、1回準優勝、そしてベスト4以下で大会を終えたことは一度もなかったFIFAランキング1位のアメリカがである。オリンピックでも4回優勝し、世界中で最も集客力のあるプロリーグを持つアメリカのベスト16敗退は大きな話題だった。
ベスト8をかけたスウェーデンとの試合は無得点のまま延長戦から壮絶なPK戦に突入し、最後はアメリカGK執念のセーブも及ばず、ゴールラインテクノロジー(GLT)による判定でゴールが認められてスウェーデンの勝利が確定した。
アメリカのただ一度の準優勝というのは2011年の日本との決勝戦でPK戦で敗れてのことだったことも思い出した。
なでしこの歴史的な世界一を思い出しながら、今大会は好調な日本がベスト8でアメリカに当たるのかとドキドキしていたこともあったから、このPK戦を手に汗を握って見守っていた。
アメリカがグループ1位位通過なら、準決勝までは日本とは当たらない組み合わせだったはずが、調子が今一つ上がらないまま2位通過となって迎えたスウェーデン戦だった。
PK戦は最後のGLT判定があまりに劇的であったが、さらに印象的なシーンがあった。今大会で引退を表明していたアメリカ、ミーガン・ラピノーのPKキック失敗である。
延長前半から途中出場したアメリカ女子サッカーのアイコンとも呼ばれたラピノーは、PK戦の4人目、先行アメリカ3対2とリードしている状況での大事なPKを外してしまった。
2011年から2019年まで3つのワールドカップに出場し、2019年大会では得点王とMVPに輝いたラピノーは長くアメリカ女子サッカーの代名詞的存在だった。
プレーの凄さもさることながら、本人は自らレズビアン(同性愛者)であることを告白し、多様性社会における人間の自由を広く主張し、人種差別問題にも声を上げるなど、単なるサッカー選手の枠を超えた存在でもある。

PK失敗後、ラピノーは下を向いて自嘲気味になぜか笑ったような表情をしており、これがSNS上でファンの批判の的にされた。
SNS上で多くの批判を浴びたラピノーは、PK失敗後の笑顔については「私はこれまで、ほとんど枠を外したことがないの。だから笑顔がこぼれた」と説明している。こ
の件で、ドナルド・トランプ前米大統領もSNSで米国代表、そしてラピノーを激しく非難した。
「衝撃的で全く予想外の敗北は、ひねくれたジョー・バイデン(大統領)の下で、かつて偉大だった我が国に起きていることを完全に象徴している」と投稿。
「多くの代表選手が、アメリカに対して公然と敵対的だった。そのような態度を取った国は他にはない。」そして社会的不公正や人種差別、性差別などに対して過剰に意識が高いことは失敗に等しいと批判した。
人種差別やLGBTQ差別、男女間の賃金格差問題などに対し、積極的に声を上げてきたスターFWミーガン・ラピノーら一部選手が国歌斉唱を拒否して無言の抗議を行ったことが、一部の国民から「愛国的ではない」と非難されてきた歴史があるのは事実だ。
過去2大会での優勝をけん引し、2019年フランス大会では「優勝してもホワイトハウスには行かない」と早々に表明し、当時大統領だったトランプ氏から「まずは優勝すべきだ」と応戦される一幕もあった。
トランプ氏はそんな因縁のあるラピノーがPKを失敗したことに、「ナイスショット、ミーガン。アメリカは地獄に落ちるだろう!!!」とつづって皮肉った。
このトランプ氏の対応など茶番といえばそれまでだが、やはり影響力があり、好きも嫌いも注目の偉大なアスリートであったことは間違いない。
いずれにしても、今季限りでの引退を表明している38歳のラピノーのワールドカップは終わった。

ラピノーは2011年ワールドカップ・ドイツ大会での日本との決勝にも出場していて、金髪に染めたショートカットで日本を脅かすプレーを披露していたのを思い出す。
その後、2012年ロンドンオリンピック、2015年ワールドカップ・カナダ大会でも決勝でなでしこと対戦し、いずれも打ち破った素晴らしい選手である。
特にファンというわけではなかったが、2019年ワールドカップ・フランス大会では得点王と大会MVPを獲得する大活躍で、アメリカを代表する存在であり続けた。
フランス大会で自身のゴール後に見せた、手をスワンのように広げて優雅に観客へのアピールをして見せた姿は大変印象的で、とても美しかった。その時のショートカットの髪はピンク色に染められていて、そのバレリーナのような仕草が華麗だった。
ピッチを離れると、アメリカサッカー連盟に男女平等賃金、人種差別廃絶など社会的な行動に出ていたことで強烈な支持者もいれば批判の中心にもいた。

そんな彼女の著書「ONE LIFE ミーガン・ラピノー自伝」(海と月社)には彼女の生きざまと共にアメリカ女子サッカーの地位の変遷も読み取ることができる。
アメリカの女子サッカーのプロ化は2001年と早かったが、その道はいばらの道だった。2001年スタートのWUSA(Women's United Soccer Association)はわずか3シーズンで廃止、6年の空白の後2009年からWPS(Women'sProfessional Soccer) が開始されたが、資金難などを理由にわずか3シーズンで終了。2013年にようやく今のNWSL(National Women's Soccer League)が8チームでスタートし、現在では12チームのプロリーグとして人気を博している。
2022年のシーズン平均観客数は7894人と伸び、開幕戦平均では1万人も突破したと聞く。アメリカでも数々の苦難を乗り越えてようやく市民権を得たプロリーグ、そしてアメリカ代表のピッチ内のみならずピッチ外での、ここまでの闘いの歴史をラピノーの自伝では赤裸々に書き残されている。まず前書きからして印象的だった。
「私が言ったこと、行動したことは、これまで何度も大騒動を引き起こした。でもせっかく世間から注目されるアスリートになったのだ。このチャンスを活かして正々堂々と意見を述べることくらいしか、自分にはできることはない。サッカーと同じように人生でも、誰かが得点できるようにお膳立てしてチャンスをつくることは、ゴールを決めるのと同じくらい重要なことだ。
それに、誰かの権利を守るために声をあげれば、自分の権利のためにも声をあげやすくなるだろう。」
本編からも女子サッカーの苦闘の歩みが感じられる言葉が並んでいる。
「アメリカの女子サッカープロリーグの歴史は、事業の失敗、資金不足、少ない観客、大きな失望の歴史だ。選手が無報酬または少額の報酬でプレーを続けてきた歴史でもある。」
「2011年のワールドカップは視聴率がとんでもなく高かったのに、2015年は前段階の時点ながら、世間の関心があまり高くなかった。大規模な壮行試合が数回開催されたものの、FIFAも米国サッカー連盟もろくにプロモーションしてくれず、毎度のことながら意気消沈させられた。つまり、これまでの実績なんて無視。女子代表はいつだって、ゼロから始めなければならないのだ。」

本書の締めくくりには、2020年2月には米国サッカー連盟はついに女子代表チームの主張を認め、約27億円の和解金の支払いと賃金の平等を約束し、5月には男女同一の賃金と賞金を保証する契約に同意したという一文が掲載された。
この著書は、ラピノーの人種差別廃絶やLGBTQという多様性の主張、男女平等への叫びが詰まっているが、一人のサッカー選手として生きてきたアメリカサッカーの発展に関する生き証人のメッセージが込められている。文章を読んでいるうちに、なぜか日本の女子サッカーの現状に思いを馳せていた。

日本の女子サッカーの地位向上もワールドカップ開催ごとに話題になる。しかしその活動が具体的になっていかない歴史があった。
2011年ワールドカップ初優勝、ロンドンオリンピック銀メダルの偉業も、その後の普及やリーグの成長には結びつかなかった。
2021年にようやくプロのサッカーリーグである”WEリーグ”がスタートし、年間平均観客数5000人を目指していたが、初年度は平均1560人と伸び悩んでいる。
テレビ放送もDAZNの有料配信では全試合視聴が可能だが、男子のように地方局の地上波やBSなどの放送機会には恵まれないでいる。
そして通常のDAZN中継では試合後のインタビューすら実施できないほど放送制作費は切り詰められている。
資金不足、少ない観客・・ラピノーの回顧がよみがえる。

アメリカは日本よりずっと先を走っていた。1999年にワールドカップ初優勝を果たしながらも、プロリーグは何度も挫折を繰り返した。そしてようやく現在の国内リーグの安定した人気を勝ち取ったのだ。さらに頂点にあるアメリカ代表チームはスポンサー獲得など、いわゆるお金になる存在にまで成長し、モーガンやラピノーなどはサッカーアスリート長者番付で上位を占めてCM契約料などを含めると年間10億円近く稼ぐという。

ラピノーが書き記したアメリカにおける女子サッカーの苦難の歴史と地位獲得へのアプローチが、そのまま日本のサッカーの参考になるわけではないと思う。
しかし一つの大会の成功や失敗に一喜一憂することなく、地に足を付けて確実に歩みを止めないこと、あきらめないで関係者一丸で裾野を広げる努力をすることの重要性をアメリカの苦難の歴史から学ぶこともできる。
もともとアメリカは女子スポーツを推奨するため男女平等の奨学金を提供する法律まで1972年に制定され、大学スポーツにおけるサッカー振興や普及がベースになっている強みがあったのは事実だ。
だからこそ160万人を超える女子サッカー登録者数を誇っているのだろう。しかし日本サッカー協会も、サッカーとの出会い創出の推進のためにディズニーとタイアップしたり、高校生世代の大会運営変革やトップ強化と両輪で進める普及活動を通じ、2030年には登録選手数20万人を目指している。
幼少期にサッカーボールに触れて楽しかったのに、高校世代から部活動の環境も整わず、サッカーから離れていく事実は残念だとずっと思っていた。

確かにアメリカがワールドカップで初めてベスト4以上に行けなかった事実は、おそらくヨーロッパを中心に女子サッカーの勢力図が少しずつ変化しているのだとは思う。
FIFAランキングの上位10か国のうち、欧州が6か国、20位にまで広げると13か国を占めており、欧州勢が世界の女子サッカーを引っ張る構図は色濃くなってきている
女子ヨーロッパチャンピオンズリーグのバルセロナは9万人の対観衆を集める人気、そしてスペインの今回の初優勝は人気に拍車をかけるであろう。
またヨーロッパ男子の有力チームが同じように女子にも力を入れている現状を受けて、イングランド女子スーパーリーグ(WSL)やUEFA女子チャンピオンズリーグが急速にレベルアップしたことで、アメリカのナショナル・ウィメンズ・サッカーリーグ(NWSL)のみが世界の主流ではなくなってきたともいえる。
それでも国内のプロリーグ戦で、集客数含めて世界の先端を行くのは、今でもアメリカだ。スペインやフランス、ドイツリーグは観客数が2000人にも及ばないのだ。

今回のなでしこのチームも欧州チーム組が7名、アメリカ組が2名と世界を舞台に戦う選手が活躍した。
さらに得点王になった宮澤ひなたはマンチェスターユナイテッドに移籍が決まった。
男子と同じように代表チームとして世界と互角に戦うためには、こうした海外でのプレーが必須ではあると思う。
トップレベルはアメリカでもヨーロッパでも、自分にフィットした環境でのレベルアップを目指すとよいだろう。
ただトップの強化と並んで普及や人気の獲得のためには国内の”WEリーグ”の発展が不可欠なのだ。
1998年に男子がワールドカップ初出場を果たした時も、中田英寿(当時・ベルマーレ平塚)がメディアに「Jリーグもよろしくお願いします」と語ったように、高みを目指す過程の中で足元を見つめ、全体の底上げをしながら、地元のサポーターに応援してもらいながら選手もスキルアップし、人気も獲得していく必要があると思う。

もう4年ごとのワールドカップやオリンピックの大会成績だけに一喜一憂するのはやめよう。その競技をいつも身近に感じ、心から応援していく文化そのものを積み上げていく必要がある。王者アメリカが君臨してきたように、日本も、その先に結果はおのずとついてくるだけの土壌が生まれることを信じよう。
とにかく、アメリカ・ラピノーたちが経験したように苦難の道にも声をあげながら、世間にアピールしながら進むことだ。それに共感する支援者の登場が重要だ。
今度こそ、歩みを止めてはならない。

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