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岸本健さんを偲ぶ会

去る3月13日に、写真家でフォート・キシモトの代表取締役だった岸本健さんを偲ぶ会があり、出席した。昨年12月に84歳でお亡くなりになったが、1959年からスポーツ写真を撮り続けた日本を代表するフォト・ジャーナリストである。
2014年のソチ大会まで夏冬合わせて26回ものオリンピックを取材された偉大な方である。
1980年のモスクワオリンピックの国際ポスターコンクール金賞も受賞している。
FIFAワールドカップも1970年から12大会を取材されたと聞いた。

そんな岸本さんとは、特に個人的に親しくさせていただいたわけではないが、仕事柄JOCの会合などでの交流はあった。
スチール写真とテレビビデオとの違いこそあれ、同じ映像表現を生業にする者として、岸本さんの業績には大変敬意を抱いていた。
岸本健さんの撮影された写真は気の遠くなるような数に及ぶが、1981年の日本テレビ入社当時から、私はオリンピックにおけるスポーツ写真の数々を眺めては、まだ現場で経験した事のない夢の舞台に憧れて、いつか自分もアスリートたちの感動の瞬間を、放送マンとして表現したいと強く願うようになった。
また1964年東京オリンピック大会映像の強烈な記憶は、市川崑監督の公式記録映画と共に
岸本健さんチームが撮影した莫大なフィルムで今も蘇り、私の表現者としてのバイブルにもなった。

競技場の外を対象にした写真では、体操のベラ・チャスラフスカ(当時チェコスロバキア)を被写体にしたものが好きだ。
岸本さんも思い入れが大きかったようで、東京大会の後のメキシコ大会も密着して、彼女の祖国の都市プラハの街中で撮影した写真などは大変印象深いものだ。
当時、政治的に問題のあったチェコという国でも彼女の笑顔は屈託のない美しいもので、その表情を引き出したのは岸本さんの人柄だと思う。
その他、多くのオリンピックに参加して撮影した写真はどれもが素晴らしかったと思うが
一つ一つの作品を評価するのは意味がなく、どれもがそれぞれの時代に生きたアスリートたちの心情や生き様まで表現したものだったといえよう。
同じ写真家の川津英夫さんと共著の「オリンピック人間ドラマ」という著書は、優れた写真の掲載と同時に、お二人の参加したオリンピックのエピソードが様々に書き記されている。
ほのぼのとした選手村やプレスセンターの思い出も面白いが、私の中で強烈に刻まれた文章は以下のものである。

「いったい自分のやっている仕事は何なのか?ただ時が流れるままに過ごすだけでなく、ときどき振り返ることも大切なことだと思う。(中略)
ただ夢中で、そんなに深く考えているゆとりもなく、現在まで来てしまった。今もまだ、形こそ変わっても同じように映像に心を奪われている。膨大なフィルムの中には、二度と映すことのできない世界記録や、その時々の瞬間の記録がある。ささやかな力かもしれないが、この仕事を長く続けられたのは、いい仲間たちの支えと、世に出た私たちの写真を見てくれる人たちがいたからである。文字が一つのコミュニケーションを作るように、音も映像も同じようにこの世界で大きな役割を果たしている。(中略)
昔、教科書でみた、アムステルダム・オリンピックの織田選手の日本人金メダル第一号の写真は、今も私の眼の中に焼き付いている。現在は、その時代から見るとおびただしい数の写真が氾濫しているが、私たちは、残さなければならない記録を、これからも撮り続けて行くつもりだ。」

この本の副題は「レンズに一瞬の感動をとらえて」だが、一瞬の感動を追い求め続けた人生の連続は素敵なものだったに違いない。

偲ぶ会の帰り際に頂いた、思い出のフォトブックの表紙にはこう書かれていた。
“僕は、スポーツを撮るのではなく、スポーツをしている人間を撮るんです。”
改めて岸本さんのご冥福をお祈りいたします。

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