来年の7月26日はパリオリンピックの開幕日だ。
開会式まで1年を切ったパリでは着々と準備が進められているようだ。
パリ五輪組織委員会は7月13日に、来年の開会式をパリ中心部を流れるセーヌ川で実施すると正式発表した。選手たちは従来のスタジアム入場行進の代わりに、約160隻の船に分乗してセーヌ川を下る。少なくとも約60万人の観客を見込んでおり、世界的な観光名所を生かした祭典とする前代未聞の計画である。
組織委によると、約1万500人の選手らが乗り込んだ船は、ノートルダム大聖堂やルーブル美術館の近くを西方向に約6キロ航行し、エッフェル塔へと向かう。特設舞台などで、アーティストらによるダンスなどの披露があるほか、エッフェル塔を活用した光の演出なども行われる予定だと聞く。川岸や橋の一部には有料観客席が設置されるが、それ以外の場所からは無料で見ることもできるというから想像するだけでワクワクする。
夏季オリンピック開会式が競技場以外の場所で行われるのは史上初で、組織委は「開会式は歴史を打ち破り、大胆で独創的なものになる」とアピールする。五輪史上最大規模の開会式になるとしており、競技場で開催する場合より、約10倍の人々が直接観覧できると試算しているらしいが、その一方で厳重な警備対策は求められる。フランスの治安当局はイスラム過激派などによるテロ攻撃を警戒しており、仏政府はテロ防止に向けた具体策を検討しているそうだ。
もちろんいつの大会も、開会式の演出内容は楽しみであった。
どんなアーチストがパフォーマンスを見せてくれるのか、開催都市ならではの伝統的な芸能なども話題をさらってきたのは間違いない。
ただその都市そのものが持つ魅力は、大会用に短期間で仕立て上げられるものではなく長い歴史と都市計画をもとに、その国の人々の暮らしが積み重なって出来上がり醸し出されるものだと思う。
東京2020大会の開会式のオープニング国際映像は、イルミネーションが輝くスカイツリーのアップからスタートして台場のレインボーブリッジのある台場を通過して、神宮外苑、そして新国立競技場へと美しい東京の夜景を紹介しながらのヘリコプターによる空撮が非常に印象的だった。
コロナ禍による緊急事態宣言で死んだようになっていた東京の街は、あの日の夜はきらきらと輝いて、自分が住んでいる都市ながら大変美しいと思えた。普段は午後8時には高層ビル群なども消灯、車も人もあまり出歩かない苦しい時に、何とかオリンピック開催にこぎつけられたという想いも正直あった。
そして来年のパリのセーヌ川沿岸を進む開会式は、街に人々が戻った都市の魅力をたっぷりと紹介しながら進行していくのであろう。
オリンピックを全世界数十億の人々が同時間に共通体験するのはテレビ放送を通じてである。
開会式から閉会式、そしてすべての競技を全世界に配信する国際信号(共通の映像音声)を制作するのは、IOCが設立したOBS(オリンピック放送機構)である。
東京大会でも制作部門のトップであったマーク・ウォルシュ氏は、OBSの国際信号制作の哲学をいつもこう語っていた。
「世界の目となり耳となる。任務は忘れがたいオリンピックを届けること。スポーツ競技が大事だが、その環境や雰囲気、その国の独自性も伝える」
事実、東京大会でもスポーツ競技会場以外に、東京の風景を伝えるためのビューティーカメラを12台も設置した。日本のテレビ局なども常設している街の様子を映すお天気カメラといったところだが、皇居の二重橋、浅草寺、渋谷スクランブル俯瞰、お台場、東京タワー、スカイツリーなど、これぞ東京を表現するために場所の選定やアングルにもOBSはとことんこだわった。二重橋は皇居内交番の隣にある照明塔に取り付けられ、お台場には約1.2㎞にも及ぶケーブルカメラ(極細のワイヤーで空中をすべるように移動するカメラ)が自在に台場の海を横断して、その魅力を伝えた。
縁があり東京オリパラ組織委員会の放送部門のヘッドを拝命した私は、こうしたカメラの設置準備にも奔走したが、設置の交渉や技術的な条件をクリアするのに大変苦労をしたから、なおさら関心が高くパリではどんなところにカメラを置くのかと興味深々である。
そして開会式では、セーヌ川を6㎞も航行する様子をOBSはどこにカメラを設置し、あるいは効果的な移動ショットをどのように使用するのか想像するだけで楽しくなる。マラソン中継に使うような空撮システムは欠かせないだろうし、観光名所と選手たちを同時に映し込むアングルや、さらには一部にドローンにつけた小型カメラも使用するかもしれない。東京大会ではまだドローンは生中継に適していないとOBSは国際信号制作には使用しなかったが、今回は160隻の船に乗り込む選手団をきめ細かく表現するのにも採用検討しているのではないか。そしておそらく延べ100台、いやそれ以上のカメラが投入されることだろう。
美しいもの、輝く事象、その場でしかとらえられない感動をライブで全世界に伝える義務があるから当然といえば当然なのだ。
またパリパラリンピックの開会式は、パリ中心部のコンコルド広場やシャンゼリゼ通りで行われることになった。開会式のセレモニー進行はパリ中心部のコンコルド広場で行われ、選手入場はその広場につながるシャンゼリゼ通りを通る計画らしい。こちらも大会組織委員会は、およそ6万5000人の観客動員を見込んでいて、このうち、シャンゼリゼ通りに入る3万人は無料で観覧できるようにするプランらしく、すべてが斬新といえよう。大会組織委員会のエスタンゲ会長は「フランスで初めて開催されるパラリンピックの開会式をパリの中心部で開催することは、障害者を社会の中心に据える考え方を象徴したものだ」とコメントしている。「広く開かれた大会に」という大会スローガンを具体的にアピールし体現する試みに拍手である。
パリ大会ではさらにフランス各地に”ファンゾーン”なるものが設置される予定だ。パリのみならずフランス国内合計200か所にこのファンゾーンが設置されて、ライブ中継や各種イベントを楽しめるエリアとして無料で開放するだけではなく、メダリストたちが訪れてファンたちと直接交流する場となるというから、これまた史上初の試みである。
思えば2021年の東京大会のキーワードは”フィジカルデイスタンス”、コロナ感染阻止のために、すべての人と人との距離を保つものだった。
コロナ禍を乗り越えるためにやむなく無観客で開催された東京大会があったからこそ、そのコロナが終息しつつあるフランス大会は、思い切り人と人の交流、繋がりを目指している。キーワードは”インクルージョン”(包括)ということか。
セーヌ川沿いに60万人もの人々の歓声や拍手が響き渡り、シャンゼリゼ通りも祭典を楽しむ多くの人で溢れかえるのだろう。
ただ治安を維持する警備の問題や、運営の費用が必要以上に膨らまないことも危惧しているのは事実だ。
それでも、それらをきちんと乗り越えて、オリンピックの意義や功罪が議論される時代の中で、パリ大会が新しい風を吹き込んでくれるのではないかと期待している。
(8月2日追記)
7月31日付けの読売新聞でこんな記事を早くも見つけた。
「パリ五輪、成功へハードル」-警備員確保 予定の四分の一、地下鉄整備 遅れ懸念-
記事によればマクロン大統領の肝いりで五輪準備の加速を指示したが、一番の頭痛の種は、テロ警戒などの警備要員の確保だそうだ。
セーヌ川での開会式や歴史的建造物を活用する大会プランにおける厳重な警備が必要にもかかわらず、必要とみられる民間警備員2万2千人のうち確保できたのは四分の一だそうだ。組織委員会は、民間警備会社を対象とした入札を続ける一方で当局とも相談し軍や警察の動員をも想定しているとみられる。会場の一つサンドニとパリ市内を結ぶ地下鉄整備も資材調達の難航から遅れが懸念されているようだ。
さらには物価高騰から大会予算も膨張し、フランス会計検査院は、当初予算の40億ユーロ(約6300億円)から44億ユーロ(6900億円)に増える試算を発表した。「見通しが甘かった」と苦言まで呈したそうだ。
東京大会で組織委にも所属した私は、何度こういった会話を耳にしたことだろう。これからもネガティブな報道も後を絶たないに違いない。
起きている事実をきちんと受け止めて、誠意ある対応と工夫をしながら、予算を可能な限りミニマムに抑えつつ開催市民や国民の支持を得ながら大会に向かうことは、いつも厳しく開催都市に求められている。