
森保ジャパンがブラジルに勝った!
かつてアトランタオリンピックでのマイアミの奇跡はあったが、年齢制限のないフル代表では史上初の快挙である。
それでも世の中には親善試合でしょう、来年の本大会で勝たないと意味がないという方は多いかもしれない。
しかし、まぎれもなく森保ジャパンが成長をしてきたことは間違いない。
もっと言えば偶然やフロックではなく、日本サッカー自体がそれなりの時を費やして、王国ブラジルを撃破するに値する進化を遂げてきた一つの証と言ってよいと思う。
実際に試合後の会見で、森保監督は先人たちの努力と精進で日本サッカーが前進してきたことを強調した。
「先輩、関係者のみなさん、日本サッカーがチャレンジし続けてきたことが、今日の結果につながったと思います。ケガ人などのマイナス要因があったとしても、ポジティブにとらえ、常にその時のベストを目指す。劣勢のなかで切れないメンタリティと、個々の強さをもっと上げていき、最高・最強のチームをつくることが私のできることです」
日本サッカー界が丁寧に、真摯に時間をかけてチャレンジし続けたことが結果につながったのだと。
さらに記者の質問の中で、自身のプレーヤーとして戦ったブラジル戦のことが触れられたことで、30年も昔の試合の景色が私の頭にも蘇った。
1995年6月、場所はリバプールのグディソン・パークスタジアム、雨の中で開始されたアンブロカップという4か国対抗試合であった。
当時、日本テレビのサッカープロデュ―サーであった私はイギリスからの生中継業務にあたっていたので、間近でその試合を見つめていた。
森保監督は後半最後の10分しかプレーしなかったが、結果は0対3の完敗。FWにはカズやゴン、DFでキャプテン井原の時代である。
若きロベルトカルロスが40m近い強烈なロングシュートを日本ゴールに突き刺した。
その弾道の美しさと共に、大げさではなく、これは100年経ってもブラジルには勝てないのではないかと思わされた一夜だった。
「その頃はまったく歯が立たなかったと記憶しています」と森保監督自身が快挙の後の記者会見で語ったほどだ。
だからこそ、なおさら親善試合とはいえブラジルに勝利することの難しさと、撃破の価値を嚙みしめているように感じた。
試合は、前半の日本は5-4-1の守備ブロックからコンパクトに中盤を制する意図があった。しかし時間の経過とともにブラジルに押し込まれてプレスも弱まり、たて続けに2ゴールを挙げられた。
この時点でさすがに後半からの逆点勝利への道は閉ざされた気がしていた。
ところが、日本は後半からマンツーマンのハイプレスにを果敢に挑み、1対1のボール争いにも勝ちながら圧力を高めていった。
ブラジルCBのミスを見逃さなかった南野拓海(モナコ)が右足を振り抜いて1点を奪うと、一気に日本ペースになった。
伊東純也(ヘンク)のピンポイントクロスから中村敬斗(スタッド・ランス)が同点ゴールを決めると、最後は上田綺世(フェイエノールト)が伊東のコ-ナーキックにヘッドで合わせて逆転し、ブラジル相手に歴史的勝利を挙げたのだ。
ブラジルもベストメンバーではなかったという見方もあるが、日本はどうであったろうか。
カタールで成功したメンバーでもあり、通常は中心メンバーである三笘薫、遠藤航、守田英正、板倉滉らを欠いていた。
それでも3バックの左で先発出場した鈴木淳之介(コペンハーゲン)の1対1の強さには驚かされた。
代表戦はわずか3試合目にもかかわらず「とにかく目の前の相手に負けないっていうのを意識した」と試合後に語った22歳は、2002年日韓ワールドカップを知らない世代だ。
また佐野海舟(マインツ)のボール回収の鋭さから攻撃への切り替えも見事だった。
スポーツの世界では、たった一つの勝利の記憶もまた、相手への強烈なメッセージとして刻まれるものだ。
ピッチの上での1対1の勝負でも、相手に裏をとられたフェイントの記憶が、次の対戦時にその選手を惑わすことがある。
セットプレーでやられた思い出が、その守備マークに引きずられて他のゾーンに穴が生まれることもある。
過去の対戦データや経験は、相手対策に有用である反面、監督の選手起用や采配にあらぬ猜疑心や迷いを生む事さえある。
ワールドカップ本大会のようなビッグゲームであればあるほど、苦手意識とまでは言わずとも、負の記憶は重要な局面でネガティブに作用する事さえあると私は思う。
だからこそ親善試合とはいえ、ベストメンバー同士ではなかったとしても、勝利や成功体験の記憶はどのチームにとっても貴重なのだ。
試合後のミックスゾーンでのブラジル選手たちの意気消沈ぶりはなかった。
それはそうだろう。
よもや日本に負ける時が来るとは、つゆとも思っていなかったのではないか。
日本人にとってもブラジルは特別なサッカー王国であり、勝てる時が来ることなど長く想像もできなったのは事実だろう。
1990年代、カズがブラジルでプロを目指した時代には、「日本人(ジャポネス)なんかがサッカーするんだ」と奇異の目で見られた。
日本人はフットボールが下手というのが定説で、ブラジル人がボールを蹴っていて「お前は日本人みたいだな」と言われたら、それは最大の侮辱だったという記事もどこかで読んだ。
大きな話題と注目を集めた2002年日韓ワールドカップ大会で優勝したのもブラジルだった。
1958、1962、1970、1994に続く史上最多5回目の世界一を成し遂げたイレブンの中心にいたロナウドは、ドイツとの決勝戦で日本人になじみの深い「子連れ狼」の大五郎と同じ髪型で活躍した。日本開催で見せつけられた金字塔の記録と共にブラジルは強いという想いもまた、我々日本人の記憶に深く刻み込まれた。
またブラジル人・ジーコ監督が率いた2006年ワールドカップドイツ大会ではグループステージ最終戦で対戦し、ロナウドらにゴールを決められ1対4と完敗だった。
試合終了後ピッチに倒れ込んだ中田英寿はその試合を最後に引退を表明したから、現在の日本代表選手の多くはそのシーンを、ブラジルの桁違いの強さを子供心に強く刻んだかもしれない。
そして、サッカー王国ブラジルとの過去の対戦成績0勝11敗2引き分けは紛れもない事実だった。
レアルマドリッド所属のジュニオール・ヴィニシウスは、そそくさとスタジアムを後にしプライベートジェットでスペインに帰国していったというニュースを耳にした。
大事な欧州でのリーグ戦のことで頭がいっぱいだとは思うが、それでも彼らにとっても悔しさや屈辱感は刻まれたはずだ。
スポーツの世界に突然変異はない。
明日、今日より倍の速さで走れるようにはならないし、あさって倍の重さを持ち上げたりできるようにはならない。
しかし血を入れ替える、あるいはDNAを塗り替えていくような年月をかけた進歩は必ず存在する。
岡田武史氏がよく表現する言い回しがあり、ことあるごとに引用させてもらっている。
古くは1993年ドーハの悲劇の日本代表を評して、岡田氏がプレーした1980年代の代表はアジアで10回戦って勝利の可能性は3回だけだったが、彼らは5回は勝てるようになったと。
でもそれではアジア最終予選を勝ち抜けなかった。
2022年ワールドカップワールドカップ大会前には、当時の森保ジャパンはドイツと10回戦ったら3回は勝てるかもしれないと分析した。
それほど進化したことを岡田氏は見抜き、実際ドイツのみならずスペインまで撃破した。
では2025年のブラジルと10回戦って何回勝てるか?
そして2026年本大会で相まみえた時に勝てるのか、興味は尽きない。
ちなみに放送の視聴率は、テレビ朝日の地上波によるゴールデンタイムで世帯平均16.0%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)であった。
もちろん高視聴率なのだが、世界陸上2025の最終日の19.1%やMLB開幕戦の24.9%には及ばなかった。
来年の本大会に向けて、これから一般認知度と期待値がぐんぐん上昇することを願っているのだが、大会の放送の概要は正式に決定していない。NHKはじめとした民放地上波の放送は絶対に必要だ。
放送の人気を示す一つのバロメーターである視聴率はブラジルやアルゼンチンでは本大会では90%近くマークするとさえ言われている。
こちらも日本がサッカー王国への道を歩むのなら、スポンサーや放送局の絶対的な支持を得てほしいとも願っている。
私の夢は「ワールドカップ決勝で日本がブラジルと対戦することだ」と、Jリーグが開幕した1990年代からずっと言い続けて来た。
本当に夢の夢だと思ってきたし、今でもそのようなことは夢にすぎないという人もいるだろう。
1970年から2000年ぐらいまでは、なぜブラジルは強いか、世界一のサッカー王国なのかという議論になると必ず挙がった話題があった。
ブラジルでは貧しい暮らしを抜け出し、両親を楽にさせ、あるいは家族を養うために、お金になるサッカーのプロを多くの少年が目指し、かつ不屈のハングリー精神を持っているからだと。
ある意味そうした要素でサッカーを多くの少年たちが目指すこともあったかもしれないが、身近な生活の中にボールを蹴るという行為が食事と同じように当たり前であり、やはりサッカーが上手くなるにふさわしい身体的、精神的資質を備えているからなのだろう。
サンバのリズムの様に、生まれながらにフットボールの血が流れているという人もいる。
では日本人はどうか。
歴史を学び、積み上げてバトンを繋ぐ、すなわち継承していくメンタリティ―に長けていると思う。
組織の中でいかに自分を発揮するか、あるいは献身するかについてもチームプレーに向いていると信じている。
劣勢の中でも頑張れる精神力も捨てたものではない。
最近は幼少からサッカーボールになじむ環境や設備も整ってきている。
国内プロのJリーグは30年以上の歳月をかけて日本全国にサッカークラブを浸透させて、裾野は間違いなく広がった。
そして何より、若いうちから海外の一流クラブに挑戦し、成功を収める選手が各段に増えた。
世界レベルを肌で感じ、急成長していくトップ層の拡大は現在の森保ジャパンを支えている。
さて、2025年10月14日に行われた日本対ブラジル戦から、日本のサッカー王国への遥かな道は見えたかについてである。
私はこの1試合のことだけで軽々しく、あるいは偉そうに物を申すつもりはないが、答えはイエスである。
目標は遠くとも、いつか辿りつける道であることを再確認したからである。
先に挙げたように日本人でもブラジルやドイツやスペインと言ったサッカー先進国、いや王国とも呼べるような国に実際に勝つことが出来るようになった。
しかもその強さを支えているのが、あまたあるスポーツからサッカーを選び、世界の舞台を目指す若者たちであることにも大きな希望が見出せる。
しかしその道のりは、まだまだ平坦ではなく険しいものだ。
スポーツの人気度を測るのに、本当に正しいデータなど存在しない。
サッカー王国と呼ぶにふさわしい姿とは何だろうか。
組織ごとの選手登録数、新聞社などによる人気アンケート調査、そして放送の視聴率・・いずれも参考にしか過ぎない。
となれば、王国への道を一気に切り拓くためには、やはり来年のワールドカップ本大会における日本代表の活躍にかかっている。
そしてそれはベスト4以上、できれば優勝という頂点が望ましい。
そうすれば自ずと放送の視聴率も歴代最高の70%以上を更新するかもしれない。
過去のスポーツ中継視聴率の歴代1位は、1964年東京オリンピック・女子バレー日本対ソ連66.8%、2位は2002年日韓ワールドカップ・日本対ロシア戦66.1%である。
数字自体は試合開催時差の影響もあれば、そもそも調査方法も過去のものとは単純比較できないが、要は国民のほぼ全員が注目して生中継を視聴するということだ。
さらに学校で、会社の職場で、カフェや居酒屋で、老いも若きも国民が同じサッカーの話題を口にする。
そして大谷翔平をみて野球を、八村塁に憧れてバスケットボールを目指していた少年が、サッカーを選ぶかもしれない。
夢の夢と思わず、ワールドカップ優勝を口にしてきた森保ジャパンにあらためて期待する。
緩やかに歩みを進めてきたサッカー王国への遥かな道を、一気に切り拓く起爆剤となる景色をぜひ見せてほしい。
