
「可能性が1パーセントでもあるのであれば、この場に足を運んで、ここで滑りたい」
スノーボード・ハーフパイプ、平野歩夢の競技に臨む前の言葉である。
どんなに傷ついていようとも、ある目標に挑み乗り越えようとする強い力を、人間は持っていることを改めて実感した。
しかし、それはいつでも何処でも、そして誰しもが自在に発揮できる力ではない。
人生の中で価値を見出し追い続けたものへの挑戦、大げさに言えば生き様をみせる舞台であるからこそ、それは魔法であるかのように驚くほどの強い力を発揮して、観ている人の感動を呼ぶ。
平野歩は、2014年ソチ、2018年平昌と男子ハーフパイプで連続銀メダル、そして2022北京大会では金メダルを獲得しているスノーボード界のレジェンドの一人だ。
今大会もメダルを期待されていたが、1月17日のW杯スイス・ラークスで転倒し、右骨盤など複数個所の骨折、左膝などの打撲を負った。
痛めた左膝は大きさが2倍ぐらいに腫れ、「トイレに行くのも一苦労」と松葉づえや車いすの生活を強いられた。
日本に緊急帰国し、リハビリに励んで段階的に練習を再開し、驚異的な回復力でオリンピックを迎えた。
膝には感覚がないまま臨んだ予選で、周囲の心配をよそに7位に入り12人による決勝に進んだからそれだけで驚きだった。
普通なら滑走やトリックなど、到底繰り出せない肉体コンディションであったはずだ。
決勝でも超人的な精神力で大技に挑んだ。
2回目に実戦では初めて試すフロントサイドダブルコーク1620を成功させた。
3回目には怪我の原因となったダブルコーク1260クリップラージャパングラブにも挑んだ。
これは転倒に終わったが、史上空前のハイレベルの戦いの中で、けがを感じさせない演技で7位で競技を終えた。
競技後、平野は穏やかな表情でこう語った。
「自分の全てがチャレンジしかないような決勝の3本。生きるか死ぬか、そういう気持ちはどこかに持って覚悟して臨んだ。結果としては悔しいが、これまでやってきたことは何一つ無駄ではない。また0から悔しさをつなげていけるような、そういう風に思っています」
「本当に生きてて良かった。無事にけがなく体が無事に戻って来て、それは自分の中ですごくホッとすることはある。生きてて良かったなと気持ちになれているところはありますね」
平野は2017年3月にもUSオープン(アメリカ)での公式練習中に転倒し肝臓破裂と左膝の内側副靭帯裂傷を負った。
集中治療室で約2週間の治療を受け、死の淵を乗り越えた凄絶な経験もあったのだ。
だからこそ、生きていることへのありがたみと、果たせない想いは未来に繋がるというポジティブな言葉が溢れ出たのだろう。
男子ハーフパイプは日本の戸塚優斗が金メダル、山田琉聖が銅、平野流佳が4位と好成績を挙げ、スノーボードの日本躍進を印象付けた。
女子スキーアルペン滑降のリンゼイ・ボン(アメリカ)もまた決死の覚悟でオリンピックの舞台に挑んだ。
2010年滑降金メダリストの彼女は、その後ケガに苦しみ2019年には引退をしていた。
前十字靭帯断裂という試練を乗り越え、手術により人工の膝手術をした結果、慢性的な右膝の痛みが消えたという理由から再び現役に復帰した。
ひざに爆弾を抱えながらもオリンピック前のワールドカップでも勝利を挙げるなど女王復活かと思われていた。
しかしオリンピック開幕わずか9日前のワールドカップで転倒し、またも左ひざ前十字靭帯の断裂を負った。
誰もがオリンピック参加は不可能だと思った。
「人生で完璧なことなんてないし、いつもそんな状況に立たされてきた気がする。でも、転倒するたびに私は起き上がってきた」
女子アルペンスキー滑降は、それでなくとも過酷なレースである。
優勝どころか、完走すら難しいかもしれない。
それでも、「私はスタートラインに立つ」と何度も繰り返した。
迎えた2月8日の決勝にボンの姿があった。
しかしスタートからわずか十数秒後、最初のジャンプで旗門に接触するとバランスを失い、空中で体をねじらせてそのまま雪上に叩きつけられた。。
大型スクリーンに映し出された転倒映像を見て、会場は静まり返るほど衝撃的なシーンだった。
その後ボンは担架に固定され、救助ヘリによって空中へとつり上げられながら搬送された。
10日に自身のインスタで、複雑脛骨骨折を負ったと報告。「ラインを5インチ(約13センチ)だけ狭く取りすぎた」とし、過去の負傷は転倒と無関係だと説明し、手術を3回も行い命に別状などないとも明かした。
ただしその一方で手術は成功したものの、ケガは極めて深刻で場合によっては生涯にわたる後遺症の可能性もあるという専門医の指摘もあると聞くから心配ではある。
競技人生で金メダルを既に獲得していながらも、さらなる挑戦をし続けたいという想いは平野と重なるものを感じたが無事を願うばかりだ。
私は医学の専門家でもトレーナーでもないから、どのような状況なら欠場辞退すべきだとか、選手生命など今後のことを考慮する状態の判断など到底つかない。
しかし誰がみてもドクターストップにならない時に、最終決断をするのはアスリート本人だ。
自分はまだやれる。どんなに傷ついていようともスタートラインに立つんだという強い決意を持てるかどうか。
加えて、これまで積んできた練習や、過去の大会から学んだ心技体の全てを賭けて臨む自分を信じることが出来るか。
負傷を乗り越えてスタートラインに立つのは、人間の持つ強い意志と、そこにかける熱い情熱と、鍛えられた肉体と精神が生み出す魔法のような回復力なのかもしれない。
その奇跡のようなチャレンジに、人は勇気と感動をもらうことがある。
けがをしながらもそれを乗り越えて金メダルを獲得した選手と言えば、私はどうしても1984年ロサンゼルスオリンピック柔道重量級の山下泰裕さん(68歳)を思い出す。
1980年のモスクワオリンピックに日本はソ連(当時)のアフガニスタン侵攻に対し、アメリカなどと追随しボイコット、大会不参加を表明した。
参加していれば間違いなく金メダルと目されていた山下さんら有力アスリートは涙し、傷ついた。
4年の止めない精進を重ねて迎えたロスオリンピックで優勝候補最右翼の山下さんは準決勝で足首にケガを負った。
窮地に立たされながら戦った決勝戦で、相手のラシュワン(エジプト)はその痛めた足を狙わなかったとされるフェアプレーも注目された。
山下さんは見事にけがを乗り越えて優勝した。
その後は柔道界の後進指導にあたりながら、やがて日本オリンピック界をリードするJOC(日本オリンピック委員会)の会長になる。
東京2020大会の成功や2030冬季大会における札幌誘致など重責を担っていた。
しかし2020大会のコロナ過による1年延期や談合疑惑などの不祥事を受けて、その後の札幌誘致の断念などJOC会長としての責任問題まで問われることにもなって心労も絶えなかったろう。
JOC会長在職中の2023年10月に家族で出かけた温泉施設の露天風呂から上がる際に意識を失い、2メートル近い崖下に転落。
頸髄(けいずい)損傷による長期療養を余儀なくされた。
妻や子どもたちから「生かされているのには意味がある」と励まされ社会復帰を目指した。
2025年9月に退院し、現在は首から下がほとんど動かせず、車いすで生活をしている。
母校である東海大学では11月下旬から体育学部武道学科特任教授として「柔道論」を週1度担当し、リハビリと並行しながら2026年度も前後期で行う予定だという。
負傷後、心身を支えたのは自らが歩んだ道だったという。
共同通信の記事によれば、
「柔道を通して学んだことを人生で生かしていくのが柔道の道。首から下が動かなくなって、私は真の柔道家かどうかが試されている」
「一歩手前で生き残った。そこに何かの意味がある。果たすべきことは何か。生かされているという気持ちがかなり強い」
「いいことも悪いことも、幸運も不運も、いろんなことが起きての人生だ」
「ありのままの姿をさらけ出し、障害者を身近に感じてもらえたらいい。これからは自分のできる活動をしていこうと考えている」
「他の人の協力がなければ何もできない」と自ら明かし、着替えには2人がかりで約30分かかるという。それでも救われた命に報いるために、あえて不自由な姿で人前に出ることを決意。「かすれる声で息は絶え絶え。鼻水も流れる。それでも後悔はない」と述べた。今後は障害者スポーツの普及にも意欲を示したという。
人生を歩んでいく道の途中で、誰しもが何らかの痛みや傷を負う場面に出くわすことがある。
話が少し飛躍したように思われるかもしれないが、人生の中で大きな傷を負ってもなお自分の目指すものを追い求める気持ちを持ってあきらめない姿を見せる事は、一様に多くの人々に感動を与え、激励する力がある。
史上最強の柔道家、金メダリストの称号を得た山下さんが、負傷から立ち上がる姿は人々に人間の強さ、生き様をみせてくれるものだ。
平野歩夢はじめ、多くのアスリートのパフォーマンスに感動するオリンピックの日々が終わりを迎えてほしくない気持ちだ。
傷ついていてもあきらめない不屈の人間の持つ強さに励まされ、私たちも日々強く生きたいと思う。
こんなことでへこたれている場合ではないぞと。
やはりオリンピアンが、メダリストが、そして数々のアスリートたちが「生きるか死ぬか」命を削るような思いで挑んだ舞台を経験したからこそ生まれる、人に勇気を与える魔法は存在する。
最後に山下さんが今回のミラノ・コルティナ五輪に臨むアスリートたちに送ったエールを紹介する。
私は2023年10月に、頸髄(けいずい)を損傷する事故に遭った。今も左手が少し上がる以外は体を動かせない。でも柔(やわら)の道を貫き、真の柔道家でありたいとの思いが生き方の支えになっている。日の丸を背負い、五輪で戦う体験は、人生を変える重みがある。参加しその場に立たなければ、分からないこと、感じられないことが山ほどあるからだ。私自身の人生で言うと、1984年ロサンゼルス五輪で足を負傷し、ぎりぎり追い込まれた中で戦った。あれを通して、覚悟を決めることの大切さを知ったし、大抵のことは恐れなくなった。
代表として選ばれるということは、だからそれだけで素晴らしいこと。ただ、その経験を自分で生かすことが大切だ。誰にでも訪れる幸不幸、運不運、感動と失望。それをどう受け止めるのか、それによって人生が変わってくる。選手として誰も出来ない経験をするのだから、それをぜひ生かしてほしいと思う。
日本オリンピック委員会の選手強化本部長、会長として、最強の選手ではなく最高の選手作りを目指してきた。日本代表として、一個人ではなく日の丸を胸に戦う、誇りや自覚を持ってくれと。その上で言いたい。恐れるものは何もない。その場に立てる喜びを感じて、思い切りチャレンジしてほしい。失敗することもあるだろう。それでも「夢への挑戦」という、私の好きな言葉を贈りたい。できればその夢をつかんでほしいと。