
2月6日、第25回冬季五輪ミラノ・コルティナ大会が開幕した。
92か国・地域から選手約2900人が参加し、22日までの17日間、8競技116種目が行われる。
開会式のテーマは「調和」だ。
イタリア語ではアルモニア、英語ではハーモニーと呼ばれるもので、日本人もよく使う美しい響きのある、私の大好きな言葉でもある。
調和の意味するところの解釈は様々であるが、世界中の森羅万象に当てはまるのではないか。
この地球にあるもの、すなわち自然と人類を含む生き物たち全てが共存し共鳴し合い、生かされた環境の中で心地よく過ごしていくのに欠かせないものだと私なりにとらえている。
何もオリンピックの開催の時にだけ、自然と人類の共生や調和を考えるのでは意味がないと思うが、こうした世界の多くの目が注がれるスポーツの祭典を一つのきっかけに、調和というものは何かを考えたり感じ取るには大きな意義があると思う。
今大会は広域の4会場で一斉に入場行進が行われた。
ミラノのサンシーロスタジアム、そしてコルティナダンぺッツォ、リビーニョ、ブレダッツォといった山間部の街である。
それぞれの選手行進は、それぞれの美しい瀟洒な街を舞台に繰り広げられて響き合った。
史上初の広域開催の是非論こそあるが、既存施設の有効利用による経費削減、自然環境への配慮、競技に一番そぐう場所の選択が最優先されたものだ。
そして開会式で観られたように放送や通信、伝送の革新は、遠く離れた場所を確実に繋ぎ、あたかも一つの空間を形成し人々の心まで繋ぐようだから不思議だ。
聖火の点灯もミラノの平和の門と、コルティナのディボーナ広場の2か所で行われて、離れていても心は一つになれる調和のメッセージとして印象深かった。
IOCのコベントリー会長は「持続可能性、伝統と革新がどう共存できるかを示す新たなモデル」と今回の大会を位置付けている。
個人的な意見だが、持続可能性を実現するのは、そこに人類と取り巻く環境との調和、アルモニア(ハーモニー)こそが欠かせない要素なのだと思うのだ。
それぞれが生きやすく、居心地がよく、生きる意味を見出せる調和である。
開会式の中で歌われた、『青く塗られた青の中で Nel blu dipinto di blu』は、1958年にリリースされたイタリアのカンツォーネである。
日本ではジプシーキングスのラテンカバー『ボラーレ(Volare)』で世に広く知られ、CMにも使用される楽曲などとして人気も高い。
ボラーレはイタリア語で「飛ぶ」という意味で、聞いていると高揚感まで生まれる名曲ではないか。
開幕2日目、スキーのアルペン競技、男子滑降をテレビ観戦した。
高低差1㎞近い山の頂上から、時速130㎞近い猛スピードを出しながら、わずか2分足らずで滑り降りてくるから迫力満点だ。
残念ながらこの種目には日本人選手は出場していない。
しかしこの競技の映像に釘付けになった。
競技そのものも迫力とスリル満点なのだが、レース中に中継カメラが描く自然の美しさといったら言葉にならないほどだ。
その時に何故か頭に浮かんだのが、『青く塗られた青の中で Nel blu dipinto di blu』だった。
コースを取り巻く山々は、世界遺産にも登録されているドロミテの岩山の峰である。
太古の昔、この辺りは海に沈んでいたが地殻変動によってサンゴ礁の石灰岩層が隆起し、氷河に削られて3000m級の山々ができたと聞く。
コース上や山の頂は雪に覆われた白い世界だが、その周りをずっと取り囲み、選手を優しく見守るような大空は、どこまでも美しく青かった。
どのように絵具を混ぜたら、こんな青色ができるのかと思える様な、まさしく青く塗られた青の世界が広がっていた。
そして、かつて海の中であったこの山々の場所から見渡す大空の青は、まるで地中海の青の様で不思議な気がした。
まるで山の自然に中にぽっかりと広大な海が横たわっているような。
雪山における白銀の美しさとはよく言われることだが、もし頭の上の空が曇天で灰色であったら、その世界は全く違うものに見えることだろう。
今この時、山と雪と青空という大自然と、その中で競技を競うアスリートたちの美しい調和を感じた。
自然が創りあげた岩山と、取り巻くどこまでも青い空、そして真っ白な競技コース、その雄大な自然の中を選手たちはまるで空を飛ぶように滑り降りてくる。
その様子をダイナミックに映像化しているのは、ドローン撮影によるものである。
あたかも選手の目線のようなスピード感を再現すると共に、青空と山々のパノラマを余すことなく見せつけた。
大会は、初日からスノーボード男子ビッグエアーで木村葵来の金メダル、木俣椋真の銀メダルが生まれた。
ジャンプ女子ノーマルヒルで丸山希が銅メダル、フィギア団体で銀メダル獲得と日本勢も滑り出し好調である。
もちろんそれも大いに楽しく嬉しいことだ。
なかでもフィギア団体で、改めて日本の三浦璃来と木原隆一の「りくりゅうペア」の息の合った演技に魅了された。
2人の頭のてっぺん、手先から足先までの美しい動きに見事な調和を感じた。
調和という言葉を軽々しく使うなとおしかりを受けるかもしれないが、息がぴったりと合うということこそ調和の原点なのかもとも思えた。
おそらくスポーツに限らず、人の営みの中で、そのチームワークであったり心を一つにした作業が生み出す成果の中にも、誰しもがきっと調和を感じた経験があるであろう。
そして多くの人が調和という言葉の持つ意味を噛みしめ、その実現に心を砕く日常が当たり前になるとしたら素敵なことだ。
それが国家間のレベル、人種を越えたレベルでの調和が生まれたら、戦争や紛争もなくなる世界があるのではと心を馳せてしまう。
わずか16日間、しかもスポーツ競技大会という限られた日々の中にさえ、人類のめざす調和のかけらたちが垣間見える気がする。
やはりオリンピックの魔法とやらは存在すると、早くも確信して少し嬉しくなった。
そして毎日のオリンピック中継が楽しみになった。