素なエピソードに溢れる国を目指して

福田泰久

人は誰しも様々な経験をして、色々な事象に触れながら人生を過ごしている。生きていく過程で、心に残るエピソードがたくさんあるときっと楽しいはずだ。エピソードとは誰かに話したくなり、共有して継承したくなる出来事であるが、必ずしもハッピーなものばかりではないかもしれない。それらは自分の人生と同様に喜怒哀楽のエッセンスがいっぱい詰まった忘れがたい記憶なのだろう。

きわめて個人的なエピソードもさることながら、この国で暮らす人々みんなにとって共通の感動や逸話を持つことができるのは、生活に潤いをもたらすに違いない。

それらのエピソードは人の営みに関わる様々なジャンルから生み出される。音楽、文学、映画やイベント興行とありとあらゆる文化的な楽しみがあるが、スポーツがもたらすパワーとそれにまつわるエピソードの豊かさは計り知れないと思う。4度の自国開催のオリンピック、プロ野球、大相撲、箱根駅伝、Jリーグ・・数え上げたらきりがないほどのエピソードがある。

最近の例をあげれば2022FIFAワールドカップにおける「三苫の1ミリ」「ブラボー」「新しい景色を見たい」は強烈なエピソードとして多くの日本国民の記憶に刻まれた。そして「ドーハの悲劇」は「ドーハの歓喜」となった。

さらにWBCである。
日米対決、大谷対トラウトのラストシーンは永遠に残る名作映画のようだった。
「ペッパーミルパフォーマンス」「奇跡の二刀流・泥だらけのクローザー」「村神様の復活」「信」という言葉・・。

エピソードはときに因縁やリベンジといった歴史によって熟成されて、さらに素敵なものへと昇華するのかもしれない。学校や職場、カフェや居酒屋で共通の話題を語り合い、次代にまで継承されたときにそれは文化としても根付くのではないか。そのためには成功だけではない失敗の歴史も必要だ。

素敵なエピソードに溢れた世界は私たちの心も豊かにさせてくれるだろう。日本が、そんな豊かなスポーツの王国になれたら私たちはきっと幸せに違いない。

縁があって日本テレビでスポーツ番組制作を延べ35年の長きにわたり経験させてもらった私は、スポーツにおけるエピソードのかけらたちを集めて、レガシーになるようなコラムを書いたり、いたるところで語り部になれることを目指したいと思う。