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カズ56歳にしてポルトガルリーグにデビュー

カズが、またまた偉大なことを成し遂げた。
今シーズン、ポルトガル2部リーグのオリベイレンセに加入した三浦知良選手が4月22日、アウェーの試合で移籍後、公式戦初出場を果たした。56歳1か月での公式戦出場はリーグ最年長記録とのことだ。アウェーで行われたアカデミコ・デ・ビゼウ戦で、4対1で迎えた後半終了間際に途中出場し、チームはそのまま4対1で勝利したニュースを聞いた時は嬉しかった。プロ38年目の56歳が、今シーズン終了までの期限付き予定であるものの、ブラジル、イタリア、クロアチア、オーストラリアに次いで5回目の海外プロリーグ挑戦だ。
世界新達成や金メダル獲得などスポーツの世界でも偉大な業績は様々にあるが、プロサッカー選手として18歳から56歳までプレーをし続ける姿は、やはり偉大だ。

「1分でも長くピッチに立てるよう頑張りたい。その中で勝利に貢献できるプレーをしたい」と決意を語っていた一方で、身体の違和感がある時もあるから慎重に準備を進めていたと聞く。当たり前の話だ。56歳という年齢のアスリートがサッカーという過酷な競技に於いて、またプロの世界で現役を続行するだけで、もうそれは奇跡というしかない。
カズの肉体は50代にしては驚愕の数値を記録しており、普通の50代の男性の体脂肪率は20%ほどらしいが、わずか9.2%と一般的なサッカー選手の平均値と同じであり、筋肉量は筋トレや食事管理によって年間を通して64kg前後を維持しているとも聞く。
今でも50m走は7秒、1000m走はおよそ3分30秒などの走力数値も驚異的なもので、毎日のトレーニングと節制は並外れているアスリートだ。

カズに番組用インタビューした遠い昔、1995年4月のことを今でも忘れない。
今から28年も前の話、カズは長髪の28歳だった。JリーグのヴェルディからイタリアのセリエAのジェノアに移籍した時の現地でのロングインタビューのことだ。ドーハの悲劇を経験した後、セリエAにアジア人で初めて挑戦したカズの心情を色々と聞かせてもらった。Jリーグで初代MVPになったのに翌年にセリエAに移籍したのには意味があったと聞いた。
「サッカーも人生も何が起きるかわからない。5年前にはセリエAでプレーしているとは思いもよらなかった。ドーハの最終予選を突破して94年ワールドカップに出場していたら、何か違うものもその時見えたかもしれない。今は選手として見えない部分があるから、このイタリアでの厳しさにも耐えて頑張れる」
当時のセリエAは世界最高峰のリーグと言われており、実際カズもレギュラー獲得には苦労をしていた。得点はジェノアダービーの対サンプドリア戦の1点のみだ。
その試合のサンプドリアには、オランダ代表のフリットや、マンチーニ(現イタリア代表監督)が出場していたからレベルの高さが窺い知れる。

そして今になって思うことだが、何より印象的だったコメントがあった。
「何かを成し遂げるには、とにかく時間が足りない。50歳までサッカーができたらいいね」
当時の私はカズの真意も読み取れず、いつもの場外ジョークかなと聞き流していたが、いつももっとうまくなりたいと語っていたカズなら、本当に時間がもっと欲しいと願っていたようにも思う。特番制作用に撮影したものだったが、企画はセリエAの放送権をフジテレビが獲得した事などもあって機を逸してしまい、多くのカズの語りはお蔵入りしてしまった。それでも50歳の誕生日には、ニュース情報番組企画で繰り返し放送されて、このアーカイブビデオは掘り起こされた。

昨年、カズが所属した鈴鹿ポイントゲッターズ(JFL)に練習や試合を観に行った時に、少しの間話をさせてもらったが、これもまた印象に残った言葉がある。
「今自分がそこにいる存在意義は、いつどこにいても持ち続けている。イタリアもクロアチアでも、そしてここ鈴鹿でも、自分がそこで何かをできる事に、意味はある。」
そしてカズに、「サッカー選手を続けているのは、息をしているのと同じ感覚?」と聞いたら、「その通り。辞めたら死んじゃうかもね」と言って笑った。
「いつか辞める時は、本当に自分がもう駄目だと思う時しかないと思っている」とも言っていたカズは、いま遠い西の国ポルトガルでまだまだ息をし続けている。

ところで今回のカズの期限付き移籍についてはいろいろと取り沙汰されている面もある。
日本サッカーのレベルアップのためには若手を欧州に送り込み、一人でも多くイングランド、スペイン、ドイツ、イタリア、フランスの5大リーグにステップアップさせることが重要と言われる時代だ。現在、ベルギー1部のシントトロイデンが最初の欧州チャレンジの登竜門の様なクラブとなっている。親会社は日本企業のDMMグループで遠藤、鎌田、富安が、シントトロイデン経由で欧州の強豪リーグのチームに巣立っていった。カズの所属元の横浜FC(Jリーグ1部)の親会社の小野寺グループは、オリベイレンセの経営権をも獲得した。そのためにカズのポルトガル行きにはそうした思惑があるとも言われている。しかしそのような狙いが含まれていても、大いに意味があると私は思う。
カズが、先の様な欧州チームへのトライに道筋をつける親善大使の役目でも構わない、いやむしろ28歳の時の様な道筋の作り方とは違うが、56歳のカズなりの役目はきっとある。
もっとうまくなるために、もっと何かに貢献するために、自分の使命はどこにいてもあると思い続けるというカズは素敵だ。
カズも自分がそこにいる存在意義を見出したからこそ、いくつかあったと言われる移籍先から、海外プロチームといういばらの道を選んだに違いない。
いずれにしてもお飾りだけの選手を置いておく余裕のあるプロサッカーチームなど世の中に存在しない。
そして今もカズは、身を削るような究極のトレーニングと節制でポルトガルリーグの一員としての貢献と、ゴールをまだあきらめていない。

最後にカズのポルトガル語についてである。
15歳から単身ブラジルに渡って8年過ごしたから、完璧だ。ヴェルディ時代に、ラモスと試合内容のことで議論が白熱した時に、私の様なテレビ関係者が傍にいたから2人はラモスの母国語であるポルトガル語でやりあっていた記憶がある。オリベイレンセでも、親子ほどに年齢のはなれたチームメートにポルトガル語で色々と自身の体験や哲学を伝えているに違いない。海外でプロサッカー選手を生業とするなら、絶対に語学力は必要だと思うが、そうしたこともカズは日本の先駆者だ。
カズの直筆サインの定番は、いつも”ボア・ソルチ”というポルトガル語の挨拶を添えることだ。
日本語に訳すと、”幸運を” 英語で言うグッドラックであり、時に激励の意味も含まれる。私も自身の出版記念など特別な時に何回か書いてもらったことがある。
今度は私たちがカズにこの言葉を送ろう。”君に幸あれ!”と。

参考)拙著「World Cupの記憶」~少年とテレビとサッカーと~の中で、カズの過去のエピソードと共に、カズが60歳まで大きなけがもなくプレーし続けて欲しいとも書かせてもらった。https://yasuhisafukuda.com/topic-002/

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