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Jリーグ開幕カード再び ~ヴェルディ対マリノス戦のデジャヴ~

デジャヴとは既視感(既に視た感覚)と日本語に訳されるが、フランス語の「déjà-vu」が由来だ。
なぜか経験したことのあるような、かつて視たことがあるような感覚に陥り、強い懐かしさを伴う印象(既視感)が起こる現象をデジャヴという。
フランスの心理学者エミール・ブワラックによって提唱された概念だそうだが、なぜ人がそう感じることがあるのかなど原因も含めて、私は詳しく学んだことはない。

まだ一度も経験したことがない事象に対して、既に見たことがあるように感じる人間の不思議を示す、超心理学の領域の言葉であったこの言葉を、今の若者は気軽に、カジュアルに使うとも聞いた。
実際には初めてでも、何かしら聞かされたことがあるから、もう経験したような気になっている。
似たような経験をしたことで、それ自体は初めての経験なのに、何となく懐かしく思うということも含まれる。
何回も繰り返し経験したこと自体を、時に面白がってデジャヴと呼ぶことすらあるらしい。

今年31年目を迎えたJリーグにおいて、世代を越えて伝承されてこその既視感を、多くの人が経験したのではないか。
歴史が積み重ねた、そのエピソードが持つ強さや、ノスタルジーな想いを伴って。

1993年のJリーグ開幕戦は、世の中の大きな注目を集めた。
日本においてはプロ野球に次ぐプロサッカーリーグの誕生は歴史的な出来事であった。
1993年5月15日、会場は改装前の旧・国立競技場。対戦はヴェルディ対マリノス、ヴェルディのホームゲームであった。
59626人の大観衆を集めた試合は、ヴェルディのマイヤーの先制ゴールの後、マリノスが2点を奪い2対1と逆転勝ちを納めた。

そして2024年2月25日、会場は改装なった国立競技場。対戦はヴェルディ対マリノス、ヴェルディのホームゲームである。
53026人の大観衆を集めた試合は、16年ぶりにJ1に復帰したヴェルディの先制ゴールの後、マリノスが試合の終盤に2点を奪い2対1と逆転勝ちを納めた。

Jリーグ元年開幕戦と舞台は同じ国立競技場、マリノスが逆転の2-1というスコアも一緒だったことで、みな口々に不思議な縁を口にした。
そして私は、スタジアムで奇妙ではあるが、楽しい既視感にとらわれていた。
マリノスは、MF水沼宏太がスタメンに名を連ねた。父である貴史氏は、この日の試合テレビ解説者を務めたが、マリノスの主力選手として、あの1993年開幕戦にフル出場している。
父子で迎えた、開幕の国立競技場同一カードというのも、マリノスファンならずとも泣かせる大河ドラマだ。
さらに1993年に生まれた現在31歳のA・ロペスがPKを決め、同じく31歳の松原健がアディショナルタイムで劇的な決勝点を奪ったのも不思議な感じがした。

私が見た1993年開幕戦は、今行われている試合とは全く別のものであったが、その試合までなぜか懐かしく見たことがあるゲームのような感覚を持った。
ピッチで戦う選手たちは31年の時を経て、当たり前だが、まったく様変わりしている。
他にも、1993年の時は5月のうららかな春という温かい環境だったのに対し、今回は気温5度の真冬のコンデイション、しかも雨だった。
またテレビも、元年はNHK地上波生放送だったが、今回はDAZNとBS松竹東急の生放送だったことなど、メディアの環境も大きく変わった。
だから試合前には感じられなかったのだが、いざ試合が始まり、両チームのサポーターが、かたやグリーン、かたやトリコロールカラーの、美しい応援風景を31年前と同様に見せてくれるうちに、そしてヴェルディが前半早くにFKで先制したあたりから、私の中で、ああ、これはどこかで見た懐かしい風景と同じだというデジャヴが始まった。

スタジアムで、おそらく視察に来ていた森保一日本代表監督と出くわしたので、短い会話を交わした。

私も31年前にテレビマンとしてJリーグ元年にはサッカー担当として仕事をさせてもらった。ドーハの悲劇の現場にもいた。
森保監督は、選手としてドーハでの挫折を味わい、監督としてドイツ、スペインを撃破するドーハの歓喜を導き、そしてまたドーハのアジアカップで苦杯をなめた。
私が改めて森保監督に「スポーツに、突然変異は無いですよね」と話したら、大きく頷いてくれた。
自身も1993年プロが誕生したその年から、サンフレッチェ広島を中心にサッカーで飯を食っていく選手生活を送った。
そして今や日本代表監督として一つ一つ積み上げながら、サッカーの世界で新しい景色を見ようと日々精進している。
その日も、サッカーという競技は一歩一歩の積み重ねですねと、かみしめるように語ってくれた。アジア大会でのベスト8敗退のこともあり、何かまた捲土重来を心に秘めたような話しぶりでもあった。
そう、あの日の国立競技場には、そのような初心を思いださせてくれるような、デジャブがあふれていたように思う。

長く続くスポーツ文化こそ、そうした感覚を味合わせてくれるに違いない。
歴史が積み重なれば、思い出も増えるし、エピソードもドラマチックになっていく。
例えば日本のサッカーも常に新しい景色が見たいと、ワールドカップでもベスト8以上に挑戦し続けているが、今はまだ叶っていない。
しかし、いつか日本がベスト8以上、最終目標であるワールドカップ優勝を成し遂げたとしよう。
その優勝から10年、30年、はたまた50年、100年と時を重ねて再びの優勝を勝ち取った時、しかもその決勝のゴールスコア、対戦相手がかつてと同じだったりすることがあるかもしれない。
その時、スポーツを楽しむ人々は、その長い歴史における、いつか見たことがあるような景色として、心に思い浮かぶはずだ。
思えばサッカーであれば、ブラジルやドイツ、フランスといったワールドカップに複数回優勝の経験のある国民は、きっと昔このような感激を味わったと感じる時があるかもしれない。
実際にリアルタイムでその場にいた人も、祖父母や両親からの伝承で聞かされた人もいるであろう。
今度はどこで、どんなシーンで、それぞれの時代の人々がデジャヴを味わえるのか、楽しみは尽きないだろう。

試合直前にJリーグ初代チェアマン、87歳になる川淵三郎さんが国立競技場の舞台に立った。
電光掲示板に「Jリーグは、大きな夢の実現に向かってその第1歩を踏み出します」という開会宣言の映像が流れた。
そして31年前と同じように、ピッチ中央に設えらえたスタンドマイクでスピーチが始まった。その聞きなれた声こそ、いつか昔聞いた声と全く同じに聞こえた。
途中珍しく、川淵さんは感極まり言葉に詰まった。やはりここまで来たという万感の思いがあったのだろう。

Jリーグは開幕当初から、地域密着を掲げて、100年という長いスパンでのサッカーの浸透を図る壮大なプランを打ち上げた。
Jリーグ100年構想・・Jリーグがスタートして、まだ30年ちょっとしか経過していない。
しかし31年前と同じカードの開幕戦、同じスコア、同じ勝者と敗者が生まれる歴史が刻まれ、多くの人が楽しめたのはJリーグの未来に明るい光をもたらしたと言っては言い過ぎだろうか。

もちろん、懐かしむばかりでは進歩もない。過去は過去、振り返ってばかりでは飛躍もないし、それは停滞を指す。
それでも、スポーツの輝かしい瞬間、感動した思い出、人々が繋がり共に経験した未来につながる発展の予感、そうしたエピソードを語り継ぐのは大歓迎だ。
きっと熱量を持った素敵なエピソードこそが、人々にデジャヴを感じさせるに違いない。
1993年を知らない人も、郷愁をもって思い出す人も、全ての人がスポーツを通じて幸せになるようなデジャヴの共有は最高だ。
そういえば、こんな楽しく幸せな気分、どこかで味わったことあるなあ・・既視感とは誰にでも、どんなことにでも、そしていつの時代にもある。

1993年5月15日 Jリーグ開幕戦「ヴェルディ川崎対横浜マリノス」の招待券。当時、長くサッカーを担当したゆえのご褒美であったと思っている。

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