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FIFA女子ワールドカップの風⑥ ~放送権ならぬ放送件あれこれ~

スポーツの持つ魅力を最大限に放送で表現するカメラの代表格、スパイダーカメラ(女子ワールドカップでの使用例)

あるスポーツ大会の放送権料が高いか安いか?スポーツ大会の価値は単なる金額の比較だけで推し量れるものではない。
オリンピックの放送権料のように多くのスポーツ大会の放送権料は一般に公開されていない。
世界水泳、世界陸上、世界バスケ、ラグビーワールドカップなど国際大会が目白押しの今年だが、放送権料がいくらだから放送局が儲かった、損をしたという単純な議論もまた意味がないのは事実である。

テレビ放送の成立は、民間放送ではスポンサー料などの営業収入と制作にかかる費用支出のバランスにかかっている。
中長期の投資も見込んだアプローチもあるが、営業収入をベースに、やはり制作費に占める放送権料があまりに高いとなれば、その放送は成立しにくいのだけは事実だ。

最近では、日本のみならず欧州のテレビ局も巻き込んで、ちょっとした騒動になったのが2023FIFA女子ワールドカップであった。
その原因は大会主催者であるFIFA(国際サッカー連盟)が提示する各国向けの放送権料が高すぎたことにある。
先に述べたようにFIFAの示した額が妥当かそうでないかは、今の女子サッカーの人気の程度、すなわちどれだけ高額のスポンサー料が集まるかなどの経済事情にかかわっているので、やはり高すぎたというしかないのである。
日本では最後にNHKが放送権契約を結んだが、民放とは違い受信料で放送費用をまかなっているうえに、年間のスポーツ中継全体に使用する予定額なども公表されており、制限があるはずなのだ。最後はFIFAが日本での放送が皆無になることを恐れて金額的に妥協したと推測するが、それでも数億円単位なのは間違いない。FIFAは当初男子との比較から数十億円を要求していたらしいから、日本での放送がなかなか決まらなかったのは致し方なかったと思う。

そうした放送権の話題を吹きとばすような、なでしこの活躍や開催国オーストラリアの躍進、さらにスペインの初優勝と大会は盛り上がった。
その放送を全世界向けに制作していたのがHBS(ホストブロードキャストサービス)という会社である。
HBSは本拠地をフランス・パリに置き、2002年男子の日韓ワールドカップからFIFAに指名されて以来ずっと、国際信号という全世界共通の映像を制作してきた。今回の女子ワールドカップもHBSが制作したが、試合数も多いので多国籍のチームを編成してローテーションで中継を担当する。例えば決勝戦はオーストラリアとイギリスの混成チームだと聞いた。
その中に1人だけドイツ人が入っているとのことだが、それは2010年ワールドカップ以来、ずっと採用されているスパイダーカメラのオペレーターを指す。
スパイダーカメラとは、スタジアムの中に4本のワイヤー柱を設置して、空中を自由自在に飛び回るカメラのことで、名前の由来は蜘蛛の巣のように張り巡らした細い線からきていると思うが、まるで空中をかける鳥の目のように俯瞰でピッチ上のプレーをくまなく映し出す素晴らしいカメラのことである。
機材の開発がドイツ人の会社だった関係で、国際大会ではいつも決まったドイツ人カメラクルーが来て操作していた。
私も日本で開催された数回のクラブワールドカップや東京2020オリンピックで一彼らと一緒に仕事をさせてもらったが、そのエキスパートぶりにはいつも感心していた。

さて、そのスパイダーカメラであるが、今回の女子ワールドカップでは開幕戦、準々決勝から決勝までの試合しか使用していなかった。男子ワールドカップではグループステージから決勝まで64全試合に採用しているにもかかわらずだ。
また男子の2022カタール大会では決勝戦でのカメラ台数は42台という大規模なものだったが、今回の女子のシドニーでの決勝戦は16台規模と現地で聞いた。
男子との差はバックスタンド側のカメラ(リバースアングル)の設置がほぼないということだけだが、もちろんサッカーを映し出すのに十分なカメラ台数だと私は思う。
ただ少し嫌味を言えば、FIFAも男女平等をうたい、放送権料も釣り上げるのならば放送の規模ももう少し上げて男子と同じような規模にしてもいいのではなかろうか。
ただ今回の大会の放送に関しても、FIFAがHBSに託して推進してきた国際信号のサービスぶりは相変わらずきめ細かいものであることは認めよう。
メインとなる試合を伝える総合的にスイッチングされた国際信号のほかに、両チームの監督、両チームの注目選手を試合中ずっと追いかけるカメラの単独映像提供は2002年からの伝統的な手法とは言え、最近はスパイダーカメラ、戦術がよくわかるように高いポジションに置いた俯瞰カメラなどの単独映像の分岐(アイソレーションフィード)も健在である。
さらにはここ10年ですっかり定着した、選手バスがホテルを出発するところからスタジアム入りするまでを空撮でずっと追いかけて、さらにスタジアムではバス到着から監督の一言インタビューなどを提供するサービスぶりは、そこまでやるかという気がしないでもない。まあ一種のドキュメンタリーを見せるような高揚感を生み出しているのは間違いない。
さらにこれならスタッフを現地に派遣しなくても、HBSの提供する国際信号で十分な番組が制作できるわけで、その費用は放送権者(RHB)にとってほかに回すことができる。
決して悪いことだとは言わないが、ここまでの徹底したサービスぶりの国際信号制作をするからこそ、ますます放送権料も高騰していく構図を生んでいると私は個人的に思っている。
私はなでしこの放送を本当に短い準備期間で、BS1と地上波で実現したNHKはすごいなと感じ入っていた。
そしてグループリーグ3試合をテレビで観たときには、緊急で現地に中継車と独自カメラを数台持ち込み日本向け放送を制作したと思い込んでいた。
しかしのちにNHK関係者に聞いたら、現地にスタッフを派遣しておらず、インタビュアーと取材、連絡コーディネーターとして現地で数人の外部スタッフを雇って対応したとのこと。
試合中も実況や解説の話題のタイミングに合わせて監督や注目選手の映像を切り替えていたのは東京のサブコン(放送拠点)であり、それを実現できたのが、先に説明したHBSの単独映像分岐があるからというわけである。
確かに決勝戦はNHKのBS1の放送があったが、現場シドニーではNHKスタッフ用の実況席もカメラ席も用意されていなかった。
もちろん実況、解説は東京のスタジオで国際信号を観ながら放送を進行するやり方(オフチューブという)は、珍しいやり方ではないし非難するようなことではもちろんない。
NHKとしても急遽の放送決定から、放送人員の確保、費用対効果など総合判断だったのだろう。
ただ、もしなでしこが決勝戦に進出してもなおNHKはオフチューブで対応したのかは聞いてみたい。

スポーツにおける世紀の瞬間はやはりライブ感が全てであろう。
国際信号に映し出されない日本人だけが関心を持ち感動する瞬間もスタジアムには生まれてくる。
アナウンサーや解説者はテレビモニターだけに頼らない、かけがえのない一瞬も表現することで、より放送は輝く。
2011年ドイツ大会でなでしこがワールドカップ初優勝したアメリカとの試合は壮絶なものだった。
最近NHKがその試合の再放送をしてくれたので見返していたが、スタジアムで起きたことで、現場にいた実況、解説者だからこそ表現できたシーンがあった。
1対2とリードされた延長後半もまもなく残り数分で得た日本のコーナーキック。
国際信号はその前のプレーで負傷したアメリカのGKの様子をとらえていたが、再開されたCKは宮間から澤穂希にライナーでピンポイントで渡り、澤が見事なヒールキックで土壇場で同点に追いついた。
解説者は相手GKの負傷手当の時間があったので、宮間と澤が綿密な打ち合わせをしていたからこその、見事なドンピシャの連携だったと語ったのだ。
テレビを通じて観ている全世界の視聴者は治療に専念するアメリカGKの姿を見ていた時に、現場のなでしこ支援であるプロの日本人解説者は、そのCKの打ち合わせに胸をときめかせ得点への期待をしていたということだ。
やはりスポーツはライブ感が絶対に必要だと思う。

そういえばスパイダーカメラは2011年決勝の日本対アメリカのPK戦の時にも使用されていた。
なでしこのキックも臨場感たっぷりに堪能できたのを思い出した。
ちょうど男子の2010年南アフリカ大会から採用されていたから、2011年女子大会では初の採用だったのだろう。
今更ながらスパイダーカメラは優れたカメラである。広いピッチの上空を自由自在にハイスピードで移動しながら、プレーの見やすい俯瞰のシーンを連続的にとらえながら、そのプレーの持つスピード感、選手間の距離やマークの様子まで戦術的に映像化できるからだ。女子の大会でも1回戦から採用してほしいと思うのはそうした理由からである。

さて、今大会で私には大変印象的だったPK戦が2試合ある。
一つはベスト16を賭けたトーナメント1回戦「アメリカ対スウェーデン」、もう一つはベスト4進出を賭けた準々決勝「オーストラリア対フランス」である。
共通するのはどちらも壮絶なPK戦になったことだ。特にアメリカ戦は7人ずつ蹴りあって最後14人目のスウェーデン・フルティグのキックはアメリカGKアリッサ・ネイハーにストップされたように見えたが、高くはねたボールは実はゴールラインを完全に割っていたことがGLT(ゴールラインテクノロジー)というVAR判定の一つで明確になった。
三笘の1ミリならぬフルティグの1ミリと呼べるほど、機械の目でしか絶対に判定できないきわどいプレーだった。
そしてアメリカは史上初めてベスト16で敗退した。
オーストラリア戦のPK戦も凄かった。地元の大声援を受けてGKアーノルドがフランスのキックを数回止めて見せた。
どちらもキッカーの悲喜こもごも以上に、GKが主役に躍り出るPK戦の死闘であったが、10人ずつ蹴りあったPK戦を7対6でオーストラリアが制した。

ただ違うのはPK戦を見せるときのカメラアングルによる見え方のことである。
やや専門的にはなるが、準々決勝までの試合ではスパイダーカメラが設置されていないので、アメリカ戦はメインカメラ(スタジアムのメインスタンドのまさしくど真ん中の特等席)からPK戦の模様は映された。
日本国内の試合でもスパイダーカメラはないケースがほとんどだから、このメインカメラに見慣れていると思う。このメインカメラの映像は、通常のインプレーも含めてPK戦でも過不足ない情報を視聴者に提供するが、ゴール正面にとんだボールなどは角度がややわかりにくく、キッカーとGKの対決はどちらにもチャンスがあるように感じやすい。

そしてスパイダーカメラをメインに据えた際のPK戦についてである。インプレー中と違いPK戦の時は、ピッチ上空5mくらいにカメラ本体を下げて、かつキッカーの背後にかなり接近した位置をとり、PK戦の死闘を映し出す。
いわばキッカーのリアルな目線に近いアングルなのだが、GKへの距離、すなわちゴールは遠く、そして小さく見えるような映像になることが多い。
それはスパイダーカメラポジションの位置取り、カメラの持つレンズ特性、また被写体間の距離や、被写界深度の関係で、ただそのように見えるだけである。
ただしボールの軌道やスピードといった臨場感はメインカメラの数倍迫力があるのも事実だ。
だからオーストラリアのGKが大活躍したこのPK戦の迫力は、メインカメラのアングル以上に視聴者に感動を呼んだかもしれない。
GKが止めて見せれば見せるほど、キッカーの狙う場所が小さく、悩ましく見えてくる・・。少し専門的な話になったが、テレビ出身の筆者ゆえご容赦いただくとして、カメラアングルやワイドレンズのもたらす映像の印象が、そのままスポーツの印象も変わる時があることを理解してほしいと思う。

同じことは、試合終了のホイッスルの瞬間に勝者と敗者をどういったバランスで撮るかで、スタジアムで経験した印象とテレビ映像では印象が少し違うなと感じた経験もあると思うが、スポーツ中継は何一つ捏造した映像がなく、そこで起きたことを撮影しているが、ありのままというのは、やはりライブで自身の目で見たものの印象がすべてなのではないかと思う次第だ。

今回の決勝について、スタジアムにいた私は、イングランドの頭に包帯を巻いてまで最後までプレーした選手を中心に敗者も目で追いかけていた。勝者はワールドカップを掲げる晴れのセレモニーでゆっくり見ようと思っていたせいもある。帰国してみた放送のビデオでは勝者スペインのカットが多かったように思う。もちろんどの見方も間違いではない。

そして2018男子ワールドカップ・ロシア大会から採用されたVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)は進化を遂げて、今までで一番観ているものにわかりやすいオペレーションであったと思う。
先に挙げたアメリカ戦のPKキックの判定以外にも、日本対スウェーデン戦の日本・藤野の見事なFKは、バーを叩いた後、GKの背中に当たり、さらにポストに当たってゴールにならなかったきわどいシーンとなったが、GLTのアニメーション再生VTRでは残念ながらボールはゴールラインを通過していないことが全世界に証明された。
あと数センチの差がかえって、なでしこの無念さを浮き彫りにした。
その他半自動オフサイド判定、通常のビデオ確認によるVARも、審判団の的確な手順と共に、納得のいく判定を後押しした。

ちなみに栄えある開幕戦「ニュージーランド対ノルウェー」を主審として裁いた日本の山下良美さんが、今大会初のVAR判定の結果説明をしたのは毅然として素敵だった。
今年のU-20男子大会から採用しているこのシステムはスタジアムの観衆にも全世界の視聴者にも本当にわかりやすく親切だから、今後すべての大会に採用してほしいと思う。
ただ私も以前に書かせてもらったが、「オンフィールドレビューの結果、判定はペナルティー」とコールした山下さんには、「ノルウェー4番のハンドにより・・」という判定理由もきちんとアナウンスしてほしかったと思っていた。
それが大会前にコッリーナFIFA審判委員長の正式手順説明であったし、そのほうが視聴者にはっきりするからだ。

8月28日日本サッカー協会のレフェリーブリーフィングか開催されて、山下さんらワールドカップに参加した日本の審判団も出席されたのだが、その会で山下さんは、ペナルティー!とコールした後、4番のハンドによるという説明もしたが大歓声にかき消されて伝わらなかったということをお話しされた。そのためアナウンスの順番を理由説明を先にするとFIFA審判団全体で修正されたことも明かされた。
細かいことを上げ足を取っているのではないが、VARの話だけではなく、こうして観客や視聴者にわかりやすい運営こそがよりスポーツを楽しめる大きな要素であるからこそ、先のような修正、進化も本当に良かったと思っている。

そして大会は放送観点でも大成功だったといえよう。オーストラリアでは自国代表マチルダズの準決勝は歴代一番の視聴者数を記録した。日本でも事前のプロモーションがほとんどなかったにも関わらず、なでしこの試合はノルウェー戦13.2%、スウェーデン戦11.7%を記録した。

大会前にFIFAインファンティーノ会長による欧州放送局への脅しまがいの声明まであった。「女子サッカーの欧州各国放送局の放送権料提示はあまりに安すぎる!このままではスペイン、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、など欧州主要国での放送は見られなくなるだろう」と。
優勝したスペイン、準優勝のイングランド、そしてベスト8の日本なでしこ・・何よりそれぞれの自国で、テレビ放送がきちんと観られて本当に良かった。




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