記憶の解凍とは、白黒写真をAIでカラー化して蘇らせて、記憶を鮮明に継承していく東京大学のプロジェクトのことである。
世界一速い男を決めるレースがある。
人類が己の持つ肉体と精神の全てをわずか10秒に賭ける過酷なレース・・それはやはり陸上の男子100M決勝レースである。
コツコツと積み上げていくアスリート達のストイックさはスポーツの世界でも突出したものだ。
見る者にとって瞬きする事さえもったいないと思わせる、その100Mレースに於けるオリンピックという最高峰の舞台は、しかも4年に一度しか巡って来ないのだ。
1988年ソウルオリンピックで我々は、一瞬だったが神に近付いた一人の男をこの目で確かに目撃した。
世界一速い男の系譜としては今ではジャマイカのウサイン・ボルトの名前が挙がるが、1980年代から90年にかけてその名を刻んだのはカールルイスであろう。トレーニング環境やアスリートの肉体の進化と共にこの競技の記録は少しずつ塗り替えられてきていたが、それでも10秒の壁は大きく立ちはだかっていた。
そしてその時代にルイスにとって強力なライバルといわれた男がいた。ベン・ジョンソンである。
1961年にジャマイカに生まれ、母親と共にカナダに移民したジョンソンは86年ローマでの世界陸上でルイスを破り優勝を果たす。
記録も驚異の9秒83の世界新記録。
後半追い込み型のルイスとは異なり、ベン・ジョンソンの強みは低い姿勢からのロケットスタートだったが、それを支えていたのが鍛えられた全身の強靭な筋肉と言われた。
84年のロサンジェルスオリンピックで金メダルを獲得し絶対王者といわれたルイスを打ち破っての優勝となれば、88年ソウル大会の両者の激突は世界中の注目の的であった。ローマ世界陸上以降、ますます調子を上げていたベンはソウルでも金メダル候補の最有力であり、あのルイスでさえ勝負は危ういかもとの予測もあった。
1988年9月24日、ソウルのオリンピックスタジアムは快晴。抜けるような青空の元世紀のレースが始まろうとしていた。
レース開始は現地時間午後1時半とアメリカのゴールデンタイムに合わせた設定になっていた。
アメリカの放送権を握るのはNBCで、その後も多額の放送権をIOCに支払っているNBCの意向は尊重されている。
現に2020年東京オリンピックも陸上や水泳の重要な決勝種目は全て東京時間の午前中に設定されており、その分アメリカの視聴者はゴールデンタイムにその勝負を十分に楽しめる仕組みになっている。
今から35年前のソウルでの決勝も地元の観客、視聴者より全米のテレビ視聴者が優先だったのだ。
世紀の大勝負はスタートですべてが決まる・・ベン陣営はそう読んでいた。
低く前に出るベンのロケットスタートがルイスの華麗な追い込みを交わすか、世界中が見つめていた。
日本の放送実況は名調子で鳴らしたNHKの羽佐間アナウンサーだったが、スタート前のベンの全身のアップを捉えた国際映像に向けた一瞬の実況コメントは「ベン・ジョンソン、筋肉の塊」。
そこで号砲が鳴りベンはとてもいいスタートを切った。そこから9秒79という一瞬の時が駆け抜けて、そしてベンが勝利した。
驚異的な世界新記録でベン・ジョンソンが優勝し金メダルを獲得し、ルイスは銀メダルに終わった。
当時日本テレビは1991年の世界陸上放送権がらみのスポンサー関係で、ベンともルイスとも独占インタビュー契約を結んでいた。
ベンが勝利した2日後に、我々は当時日本テレビのスペシャル五輪キャスターであった長嶋茂雄さんをインタビュアーにして、ベンと約40分に及ぶ独占インタビューを行なった。
オリンピック特番の目玉コーナーの収録で、当時ベンが宿泊していた高級ホテルの彼の自室で驚異の世界新をたたき出したヒーローとの濃密な時間が私には夢の様だった。
長嶋さんには超有名人のためテレビ番組の顔となり、いくつかスタッフも用意していた質問を次々とこなしていただきながら、ベンも笑顔でこれに応じてインタビューは無事に終了した。
金メダリストとのインタビューは尺的には十分だったし勝利者のコメントは誇りに溢れた素晴らしいものだったと記憶している。
その時短い質問でいろいろな番組に使えるように担当ディレクターであった私からベンに質問をさせてもらった。
私はシンプルな質問をしてシンプルな答えをベンに期待していたのだと思う。
「何があなたを勝たせたのか?」
簡潔な質問に対して、私は彼が何と回答しても別に特別なものを期待していたわけではなかった。両親への感謝、コーチとの緻密な計画、ルイスというライバルの存在・・など。
そして少し考えた挙句にベンは一言こういったのだった。その答えは一瞬、何の変哲もないようで妙に心に響くものだった。
「神が与えたもうたこの肉体だ」
その時に現場にいた気の利いた通訳さんは宗教的な話、すなわち神が与えるに対し、きちんと給うたという尊敬語をきちんと引用して訳してくれたのだろうが、その時の何か神という言葉と、ベンのやけに充血した白目の強い印象を忘れる事が出来なかった。
しかしオリンピックはまだまだ続いていく。
男子100m決勝のドラマで特番の目玉を用意できた私は、得意げに収録VTRを東京の受けスタッフに伝送したのだった。
大会はまだ2日目、これからオリンピックはまだまだ続いていく。
世紀の100m男子決勝は、大好評のうちに最終回の放送が済んだ人気ドラマのように、素敵な余韻と共に終わったはずだった。
その翌日の早朝未明のことだ。当時携帯電話のなかった時代で宿泊ホテルの自室の固定電話が鳴った。先輩プロデューサーからの一言。
「ベンのドーピングが発覚し、金メダルがはく奪された。すぐにベンのホテルに行け」
寝起きの私には何が何やらまだ理解できないままホテルに向かった。
まるで事件が起きた時に至急現場検証に飛んだ若手刑事のような心境だったが、証拠品など見つかるはずもなかった。
前日インタビューしたベンのホテルの一室はがらんとして、もぬけの殻だった。
放送人として何か映像にしなければと、必死の思いで思いついたのはそのホテルの玄関前に置かれた各国のメダル獲得数を示すパネルだった。
カナダの金メダルの欄に1つという数字がまだ残っていた。
カメラマンにこの無機質で感情のない映像をとってもらいながら、こんな事しかできない自分が腹立たしかった。
もうベンはカナダに逃亡したとの情報だけがあたりを駆け巡った。実際そのころベンは既にソウル金浦空港からアメリカに逃亡し、IOCは金メダルのはく奪と2年間の出場禁止と追放を公式に発表していた。
ドーピングは筋肉増強剤ステロイドの中でも作用が強烈と言われたスタノゾールの検出と言われた。
筋肉を創り出す威力は凄いが、人体への影響は未知数で命の危険すら伴うのが筋肉増強剤の怖さでもある。
確かに肉体の強化を猛烈に助けるが、その分使用中のみならず、将来の自身の身体に想像もつかない負担を残すとも言われていた。
メダルのために薬物を使用するというのは、まさしく悪魔にそそのかされたアダムとイブのようなものだった。
オリンピックへの用意周到な準備の中で果たしてドーピングの網の目をかいくぐるようなやり方をベン陣営はしていなかったのか?
薬物の検出を隠滅するやり方を繰り返しイタチごっこのようなやり取りも当時常套手段とも言われてはいたのだが。
私は放送センターに戻るロケバスの中で、呆然としながら昨日のベンの異常なほど血走った白目と、私をじっと見つめながら放ったたった一言を、うわごとのように反復していた。
「神が与えたもうたこの肉体こそがすべて」
果たして彼の肉体は薬によって作られたものだったのか。
ベンの筋肉の塊は長年流した血のような汗と共に培ったものではなかったのか。
当初裁判所でも容疑を否定していたベンだが結局93年には永久追放となる。薬物使用は認めたが、みんなやっていたことだ、あのカールルイスもね、自分ははめられたと最後まで主張した。
ちなみに同じソウル大会で大活躍した女子選手がいた。
アメリカのフローレンス・ジョイナー、100mでは当然のように金メダルを獲得した。
当時打ち立てた100mの世界新10秒49、200m21秒34は未だに破られていないとてつもない大記録だ。
その彼女もドーピング容疑はついて回っていた。いかんせん女子にしては速すぎる、近年急に強くなったなど不可解な面もあったからだ。
また薬物はホルモンに作用して女性なら男性化するなどの副作用があることもよく世に知られていた。
当時ジョイナーがびっくりするような長くカラフルな付け爪や背中まで伸ばした長い髪など女性らしさを強調するようないでたちは、男性化をカモフラージュするとまで噂された。
事実ジョイナーはそれらドーピング容疑追及を逃れるように1989年29歳で現役を引退した。
翌年から厳しくなると予想された薬物対策を恐れたのではないかとまで言われたが、謎のままである。
私達日本テレビのスタッフはそのジョイナーにも独占インタビューをする権利を持っておりソウルで金メダリストインタビューをした。
声が野太くて男性の様だ・・筋肉に浮かび上がる血管の太さも男性化の象徴だ、薬物の影響が出ている・・などいろいろ言われていたのは私も知っていた。まさしく目の前にいるジョイナーはその通りだったことにはいささか驚いた。
そしてインタビューの時、放送用ピンマイクを装着する瞬間に、やや無防備になった彼女の顎を見やるとそこにはうっすらと髭が密生していた。
噂は噂、でもその産毛のような髭を見たときに私はこの女性のホルモンはおかしくなっているのでは、そして男性化しているのではないかとはっきり感じた。
引退から10年後、世紀のヒロイン、ジョイナーは38歳の若さでこの世を去った。
死因は心臓発作だった。
1988ソウル大会から35年もの長い年月が経過した。
2022北京冬季オリンピックで女子フィギアスケート、ロシアのカミラ・ワリエワ選手がドーピング疑惑で物議を醸した。
大会前から圧倒的な天性の才能を生かして素晴らしい演技を見せるこの15歳は、他のフィギア選手に無力感を味合わせる事からついたニックネームは「絶望」。
そしてそれこそが神から授かったともいえる
長い手足や愛らしい風貌、身体能力全てが金メダル獲得を予感させていた。にもかかわらず、ドーピングの疑惑は彼女の北京オリンピックを、いやフィギア人生すら台無しにしてしまったと言えよう。
15歳の彼女が本当に薬を常用していたのか?
祖父が飲んでいる医薬用の薬を間違って同じコップを使用したためであると弁護士が主張するような茶番もあったが、いずれにせよ彼女のオリンピックでの演技は精彩を欠き、信じられない転倒を繰り返した。
きっとフィギア競技、スケ―ティングを愛したであろうワリエワが、今後の大舞台で輝くことは無いかもしれない・・ドーピング疑惑と引き換えに、神は絶望をこの15歳に与えた。
スポーツの世界で、ドーピング問題は現代も大きな課題となっていることは間違いない。
オリンピック組織委員会に在籍した時に同じ職場でアンチドーピングチームの話をよく聞いた。
今度このドーピングについても最新のコラムを書いてみたいと思う。
ドーピングに関するエピソードを参照したもらえたら幸いである。
シリーズ・記憶の解凍㉒「2008年北京オリンピック」~陸上男子4x100mリレー、メダルの色とドーピング~ - スポーツジャーナリスト 福田泰久 (yasuhisafukuda.com)