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「ふり向くな君は美しい」高校サッカーに見る敗者の美学

毎年、年末から年始にかけて開催される全国高校サッカー選手権大会。
101回の歴史を重ねたこの大会に参加した選手はいったい延べ何人いるのだろうか?
優勝校は各大会で1チームしか生まれていないが、敗れて涙したチーム、選手は数えきれない。はたして優勝校以外は全てが敗者なのか?

スポーツは勝者と敗者が必ず生まれるものだ。
見る者にとって敗者たちに寄せる共感は、時代を超えて存在する。
あの時のあの特別なシーンのこともあれば、いつか見た事のあるドラマを、もう一度見たような不思議で普遍的な感情を持つことがあるのも、スポーツの面白さでもある。
多くの人にとって、その主役は勝者以上に敗者たちなのかもしれない。二度と同じシーンは無いにも関わらず、いつも同じように胸を熱くさせてくれる高校サッカーには魅力が溢れている。

高校サッカーには番組内や会場で必ず流れる大会テーマソングがある。
それは「ふり向くな君は美しい」という楽曲で、作詞・阿久悠さん、作曲・三木たかしさん
という稀代のヒットメーカーによって生まれた。
大会首都圏開催の1976年から約50年近くの長きにわたり大会や番組で使用されており、多くの方が耳にしたことがあるであろう。
“うつ向くなよ ふり向くなよ
 君は美しい 戦いに敗れても 君は美しい・・♪“

このテーマソング作成を依頼したのは、高校サッカー事業放送を育てた人物である
坂田信久氏(元・日本テレビスポーツ局次長、東京ヴェルディ社長も歴任)だ。
詩を作るにあたり、阿久悠さんから高校サッカーの中継で一番大事にしていることは何か?と聞かれたときに、坂田さんは“敗者のいい映像をいかにつくるか”と答えたそうだ。
そして出来上がった曲は、負けてもなお拍手を惜しまない敗者への賛歌だった。
そして約半世紀をかけて、この名曲は高校サッカーそのものになったと言える。

そもそも高校サッカー大会の事業運営は特殊といってよい。
年末年始に最短10日間で決勝までの47試合を開催し、全ての試合をどこかの局で原則として完全放送する。
8会場同時に同じ時間のキックオフで開催し、中継をするのはワールドカップやその他の競技大会でも無く、その運営自体は大変である。
その放送運営を支えるのが全国高体連サッカー部と民間放送43社である。
首都圏開催への経緯や様々な困難を乗り越えて今の大会の姿がある。
まあそのような放送局側の事情はさておき、視聴者にとっては本当に短い期間に多くのサッカー試合に触れられるのは幸せなことに間違いない。このような大会は世界でもまれであると思う。
特に1回戦、2回戦では一日で16試合が行われるので、そこで多くの敗者が一気に生まれるのも、このドラマ性を引き出しているのかもしれない。
全国約4000の高校の頂点は一大会につき、わずかに1チームである。

その他にも、より感情移入できる舞台設定は見逃せない。
年末年始の大会はそもそも印象的である。それは箱根駅伝もそうだが、つかの間のお休みを楽しむ視聴者が見ている環境として、心が洗われるような状況が生まれやすい。
春うらら、爽やかな秋と違い、真冬のスポーツはアスリートにとっては過酷かもしれない条件で戦う姿に感動する。
これは真夏の高校野球・甲子園も同様かもしれない。

そしてピッチの上で戦うイレブン以外にもドラマがあることを伝えやすい。
応援席にいるかつての仲間や父兄、遺影を手に持つ親や兄弟・・彼らは誰でもいい誰かではなく、特定の物語があるサポーターである。ワールドカップの観客席のサポーターはあくまで不特定の老若男女といったシンボルだが、ここではピッチ上の選手という主役の背景を描いて見せる。
そしてベンチの風景だ。
主役の選手たちは長くても3年間で大会へのチャレンジは終了するが、指導する監督の思いは長い年月をかけて継続していく。それは何十年も費やす執念のリベンジ、遥かな夢を叶える人生の自己実現であるかもしれない。
その道のりは気が遠くなるような時間を費やしてきたものだ。
そうした指導者の戦術をはじめベンチでの表情や選手への指示にもドラマがある。
そして何より高校年代の持つ青春という儚さに人は強い思い入れを持つのではないか。
多くの人が高校生活で様々な部活動をした思い出がある。
スポーツでも音楽でも文芸でも何でもいいが、友人と過ごした青春のそうした日々は
甘酸っぱい記憶かもしれない。
そして今必死にボールを追いかけているA君、Bさんはかつて教室の隣にいたクラスメイトを思い起こす。夢を達成しチャンピオンになり、優勝するのは難しい。
たいていの人が、それでも限りある時間で思い切りその部活に夢中になったのではなかろうか。そんな自分自身に彼らの姿を重ねているのかもしれない。
3年しかないという有限の自覚が、切ない感情をさらに呼び起こすのではないか。
それでいてサッカーのみならず人生は終わりではなく、むしろこれからが始まりなのだと
希望を持てる思いになるから幸せだ。
実際に今回の試合には負けたが、数年後にプロサッカー選手になりワールドカップで活躍する選手たちを多く輩出する時代になったから、未来に向けて次へのステップを踏み出す彼らに大いなるエールを送ることも素敵な気分にさせてくれる。
「人生長いよ、これからだ!次の一歩を踏み出そう」
そう、それこそが「うつ向くなよ 君は美しい」なのだ。

そうした高校サッカーの持つ魅力をいかに美しく表現するか、
テレビ制作スタッフもまた、哲学を持って放送に臨んでいる。
哲学と言っても難しいものではなく、共通の価値観を持った決め事と言い換えてもいいだろう。それはいつも負けた選手をリスペクトしようということに尽きる。
敗者は次がないから勝者以上に丁寧に表現するようにカメラを向けるなどだ。
試合終了の歓喜と悲哀、光と影のコントラストを描きながらも敗者を美しく讃えるカメラワークを目指す。
また試合終了後にいくら放送時間が残り少なくなっていても、敗者レポートは優先してノルマにする事も徹底されている。

また短い期間の大会はリーグ戦ではなく、ノックアウトのトーナメント戦だから常に勝敗を決めるためにPK戦が頻発する。
同じ敗退でも通常試合時間では負けてはいなかったという思いはある。実際は引き分けだったのだからと。
選手のみならず、観る者の感情を揺さぶるPK戦の非情さこそが、さらに敗者をクローズアップすることになるのかもしれない。
ワールドカップカタール大会でも日本はクロアチアにPK戦で敗れた事でベスト8に行けなかった。キッカーの選択や、自ら蹴る勇気、どちらに蹴ると成功率が高いのか、PKへの周到な準備とは何か、など様々なエピソードが生まれた。
思えば決勝戦「アルゼンチン対フランス」もPK戦で決着を争ったから、PK戦での敗戦ほど悔しいものは無いと想像できるだろう。

実は高校選手権では、昭和48年度第52回大会からPK戦を採用した。
それまでは抽選での決着であったが、指導者側に、高校生にPKというのは酷という意見が大半だったと聞く。
しかしむしろ抽選の方が割り切れない思いがあったはずだ。
そして、およそ半世紀にわたりPK戦決着の試合は約50大会で数多く生まれた。
特に83、91、99回大会は決勝戦もPK戦決着だった。
さらに101回大会は準決勝2試合ともPK戦決着と実力が拮抗している大会になった。

ちなみに、11人全員が蹴っても決着しなかった壮絶なPK戦の記憶がある。
第65回大会の準々決勝「宇都宮学園対室蘭大谷」では何と両チーム14人全員が成功した末に、最後は15人目で室蘭GKがストップして15対14で室蘭が勝利したのだが、
当時は大いに話題になった。宇都宮学園には元日本代表の黒崎久志がいた。
この敗退で準決勝の国立競技場に進めなかったのだから悔しい思いは想像を超えるものだ。
97回大会では「帝京長岡対旭川実業」戦で17対16のPK戦が行われて32年ぶりに記録を更新した。
ちなみに地区予選の、福岡大会決勝は21対20の試合もあった。GKまでがキッカーとして2周りまでPKに挑んだのだから驚きだ。
もし高校野球との違いがあるとしたら、PK戦という極めて個人の責任が重いとされる非情な決着方法かもしれない。

いずれにせよ勝敗が決した後の選手たちの表情は印象的だ。
高校サッカー関連番組では「最後のロッカールーム」というコーナーを特集している。
そっとテレビカメラを入れさせてもらう、特別な許可の上で撮影された映像記録がいくつか残される。
そこでは長く選手の指導に当たってきた監督が、敗れた選手にかける思いやりのある温かい言葉に溢れている。試合終了直後の敗者たちのいるロッカールーム、いくつもの名言がそこで生まれたと感じたが、熱い気持ちで交流してきた監督と選手の飾らない、いつものエール交換なのかもしれない。
また2009年ロッカールームで敗者の滝川二高の選手が「大迫半端ねえ」と泣きながらも
勝者の大迫勇也(鹿児島城西)を讃えた姿も、潔い敗者の表情だったと思う。

また高校サッカー卒業後にプロになり日本代表で活躍する選手は多い。
あの時に敗れたからこそ知る、次への燃えるような熱い思いがあるという選手もいた。
城彰二(鹿児島実業)は準決勝で敗退も日本初のワールドカップ出場へと夢を繋いだ。
75回大会の中村俊輔(桐光学園)も決勝で敗れているが日本を代表するレフティーの10番となった。
あの雪の決勝戦で敗れた中田浩二(帝京)、そして本田圭佑(星陵)も準決勝のPK戦で敗退した経験をしたが後にワールドカップで輝いた。
カタールでドイツを撃破したスーパーゴールの浅野琢磨(四日市中央工)も3年連続で全国大会に出場したが、2年時の準優勝が一回あるだけである。
人生に勝敗というものが無いように、全国大会のみならず、地区予選含めて高校サッカーに参加したすべての選手たちは決して敗者ではない。
そして試合に負けてなお、彼らは一様に美しい。
そしてこの高校サッカーという舞台で繰り広げられる人生の一コマは長い年月の中で
人や時代は変われども普遍的で、観る者誰しもが感情移入できるドラマなのである。
高校サッカーのテーマソング「ふり向くな君は美しい」は今でも大会運営や番組で使用され続けている。
1990年代日本にもJリーグができたころにスタッフの間で、そろそろこの楽曲に変わるものを考えようとなったが、結局変えることができなかった。
実際にアレンジを変更して編曲したり、いくつかの別の楽曲を作成してもらい、試聴しながら議論したが、結局はこの曲を払拭して高校サッカーのイメージを築く新しいものが見つからなかった。
そしてテレビ中継スタッフは、数多く生まれる敗者へ光を当てること、感情移入することを忘れることはない。
テーマソングに込められた思いである“いかに敗者を美しく撮るか”。
スポーツ中継は誰が撮っても、ただ起きた事を映すのだから変わらないでしょうという人は多いが、先にあげたような哲学を持つか持たないかで、描かれるものは違ってくると思う。
半世紀近い年月を経て、スタッフはなん数年ごとに担当交代し、世代交代もなされていった。そして世の中は当然移り変わっていくものだ。しかし変わらないもの、変えてはいけないものも、まだまだあることを私たちは知った。

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