Essay

シリーズ・記憶の解凍⑩「1984年ロサンゼルスオリンピック」~日本の全放送局で同じ中継映像が流れた日々~

記憶の解凍とは、白黒写真をAIでカラー化して蘇らせて、記憶を鮮明に継承していく東京大学のプロジェクトのことである。

あの遠い夏の日、日本国内でテレビをつけたら、どこのチャンネルでも同じ中継映像が流れていた。
1984年ロサンゼルスオリンピック開催中、現地との時差17時間をものともせず、早朝や深夜にテレビの前にかじりついていた日本国民の姿があった。

1984年のオリンピックは日本人にとっては、待ち焦がれたオリンピックであった。
1980年、当時ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻を受けて、日本はモスクワオリンピックの出場をボイコットした。
何名かのアスリートがその絶頂期を迎えていたが、彼らが日頃の努力の成果を表現する場は失われた。オリンピックに日本が参加しない・・それは衝撃的な歴史の出来事だった。
頂点を目指すアスリートにとっても、そのドラマを見守る観客や視聴者にとっても、1976年モントリオール大会以来8年ぶりの夏季オリンピックだったのだから、特別な思い入れを持っていた人は多かった。
そのことが、多くの日本人にとって、この1984年のロス五輪を忘れがたいものにしたのは間違いない。しかし、もう一つ大きなある事実があったことを知る人は少ないかもしれない。

開催都市のロサンゼルスは、アメリカの西海岸にある太陽の光に満ちた美しい街だ。
1984年夏季オリンピックは、その陽光に包まれ、まばゆいばかりの輝きを放った大会となったが、後年の商業オリンピックへ進む大きなきっかけともなった。
大会組織委員会のピーター・ユベロス会長はそのビジネスの手腕を発揮して、新しい取り組みを編み出した。
なんと大会は1セントも税金を使わずに行われた。スタジアムも1932年ロサンゼルス・オリンピック時のものをメインとして使用した。
それまでの大会は、スタジアムの建設や環境整備などで開催都市が多額の費用を負担することでの赤字続きで大きなダメージを残したこともあり、1984年大会の開催都市立候補はロサンゼルスのみであった。
ユベロスが打ち出した、開催経費捻出の柱は以下であった。

まずはテレビ放映権料である。
それまでの常識を超える高い金額を最低価格としたコンペ形式にして、アメリカ4大ネットワークのうちで一番高い金額を示したABCと約450億円で契約した。
スポンサー協賛金については、それまで多くのスポンサーが組織委と契約し五輪マークを使用してきたが、スポンサー数があまりにも多すぎてメリットが半減していると判断し、スポンサーは1業種1社、合計で30社と数を減らして価値を高めた。企業イメージアップへの独占は魅力的で、例えばコカ・コーラとペプシが激しいスポンサー争いを演じ協賛金も吊り上がるなど、他業種もスポンサーに次々に名乗りを上げ、高額の協賛金が集まった。
また大会記念グッズの売り上げや、プロモーションの巧みさも挙げられる。鷲をモチーフにした“イーグルサム”というマスコットは人気を博し、これを主人公にしたテレビアニメも製作、放映された。
また有名音楽アーチストを起用した、様々な競技ごとのテーマ音楽のアルバム発売も話題を呼び、中でも大会公式テーマはジョン・ウィリアムズ作曲で、いまだにオリンピックのファンファーレテーマの定番になるほど歴史に残っている。
さらに史上初の試みとして、一般市民の聖火ランナーからも参加費用を徴収し収入とした。
聖火を運営し管轄するギリシャ委員会は「聖火を商品化するのは五輪を冒涜する行為」と反対したが、結局、ユベロスがギリシャ委員会を説得して有料聖火ランナーは実施された。
最終的にはこの大会は、およそ約400億円の黒字を達成し、その全額がアメリカの青少年の振興とスポーツのために寄付されたと聞く。

さて、ロス大会は開会式からして度肝を抜かれた。
アメリカ東部時間に合わせて午後5時から開式、日本時間では朝7時開始だったので、多くの日本人視聴者も関心を寄せた。
NHKの視聴率は47.9%の高視聴率であった。(注1)
レーガン大統領による開会宣言から、オリンピックテーマ曲に乗せて鮮やかな色彩のハリウッドショーが展開された。
その中で宇宙飛行士の様な姿で空を飛んできた、俗にロケットマンと呼ばれた登場シーンには驚いた。
ビル・スーターの操縦する個人用ジェット推進飛行装置を使った空中遊泳は、さすがアメリカと思わされたし、多数のピアノを使用したラプソディ・イン・ブルーの演奏なども印象的だった。
1980年モスクワ大会ボイコットに対する報復ともいえる、ソ連・東欧圏の選手が出場しなかったオリンピックではあったが、日本人に向けては様々な話題を提供して盛り上がりを見せた。
モスクワには参加できず涙を流した柔道の山下泰裕が、足の負傷を追いながら決めた金メダル。
体操の男子個人優勝の具志堅幸司、森末慎司の鉄棒における満点演技など、日本は10個の金メダルをはじめ合計32個のメダルをを獲得したことで、この大会は強烈な印象を残した。しかしそれだけではない、もう一つの大きな要因があったと私は考える。

それは、オリンピック放送の日本国内における取組みと、番組編成であったのではないだろうか。
1984年のロス五輪はテレビ放送史上初めて、NHKと民放ががっちり手を組んで多くの競技を放送したが、開会式や女子マラソンなどはNHK、民放の同時間の並列生放送が実施された。
例えば開会式の模様はNHKでも民放でも視聴者は楽しむことができて、かつ全く同じ映像を観ていたのである。
同じ映像というのは、オリンピックやワールドカップなどは、全世界向けに国際信号(国際映像と現場のノイズ音声をさす)を一つのプロダクションチームが制作する決まりとなっており、この時はアメリカのABCがその役目を担った。ただし、その映像につける実況や解説はNHK、民放それぞれのアナウンサーなりが担当したので、放送の音声自体は別々で違ったものだった。

特に民放は初めてのこうした体制の中、開会式、閉会式や女子マラソンなど注目競技を、日本国内の民放局全部が一斉に同時間編成を行ったのである。
(正確に言うと1976モントリオール五輪でも、開会式などは一斉同時編成があった)
つまり日本テレビも、TBSも、フジテレビも、テレビ朝日も、テレビ東京も、そしてその系列局もすべてがオリンピック中継を流している時間帯があったのだ。

各民放局は、北は北海道から南は九州、沖縄まで系列ネットワークを持っており、当時120社以上の地方局でも開会式や女子マラソンが生中継で観られた。
ましてや全国ネットのNHKを含んで、NHK教育テレビ以外のチャンネルのどこを回しても、オリンピックの同じ映像が流れていた光景が想像できるだろうか?

ちなみに開会式はNHK、民放代表それぞれ独自の実況、ゲストといった音声を付けての放送だった。
NHKは確か羽佐間アナウンサーと磯村正徳キャスター、民放は高雄孝明アナウンサーと長嶋茂雄さん(当時、監督など離れて浪人)のコンビであったように思う。
ちなみに女子マラソンはJCとして派遣されたスタッフによる実況、解説でありNHKも民放も全く同じ放送であった。
いずれにしても、今の地上波編成を考えたら、前代未聞の出来事であり、スポーツ中継ではもう2度とないことであろう。
こうして放送メディアは、日本人に向けて強烈にオリンピックの魅力を刷り込んだと言えよう。

オリンピックのテレビ放送は、日本国内においては基本的にNHKが中心に担ってきた。
それが1980年モスクワ五輪における、民放のテレビ朝日(当時NET)による独占放送権獲得という衝撃的な出来事から、NHKは民放と放送権を共同で獲得し、権利金を支払う共同体であるジャパンプール=JP(今ではジャパンコンソーシアム=JCという)を強化した。
モスクワのテレ朝独占を経て、仕切り直しのオリンピックであり、放送権料のNHK、民放の配分以上に、優先種目や独占種目の取り決め方の方が、まだまだ難しいとNHKは考えていたから、開会式など双方の並列にしたと元NHKスポーツ幹部から聞いたことがある。
今でも日本国内の放送権は、JCというNHK、民放の共同で獲得し、地上波を中心に放送がなされている。
現在は、まずNHKと民放の優先種目を選択し、例えば開会式はNHK、女子マラソンは民放などと放送分担が振り分けられる。
そして民放の中で、どの種目を放送するかは、非公開ながら抽選で決定されている。
オリンピック種目はどの競技も魅力的とは言いながらも、やはりその時々の話題を集める種目、金メダルが期待される種目を各放送局も高視聴率を狙って選択したいのが実情である。

さて、ロスオリンピック放送において、特に忘れられない中継がある。
それは女子マラソンの中継で、現地時間8時スタート、日本時間深夜1時スタートの放送だった。
先に述べたようにNHK、民放共に同じ中継内容の並列放送だったため、テレビをつけたら、どのチャンネルも女子マラソンをやっていた。
大きな注目を集めたのは、女子選手には危険過ぎるとの理由で、長年開催されていなかった女子マラソンがオリンピックで初めて公式種目になったからだ。
日本からは佐々木七恵、増田明美選手が出場した。レースは8月開催の大会のため酷暑の中でのレースとなり、温度を下げるためにコース中にシャワーを設置するなど対策を行った。
レースはベノイト(アメリカ)が2時間24分52秒のタイムで、初の女子マラソン女王に輝いた。
日本の佐々木は2時間37分04秒で19位、増田は途中棄権で映像にも映らなかった。
そしてベノイトのゴールから約14分後に、世界中の人々の記憶に残る出来事が起こった。

東京のサブコンと呼ばれる場所で放送業務をしていた私にとっても、今でも思い出す強烈な思い出だ。
NHK並びに全民放の並列放送において、民放だけはいくつかのCMを挿入しなくてはならなかった。
そしてそのCMタイミングを計り、生中継中に全民放局に同じCMを同時挿入するボタンを押す作業などの全権を任された担当局は、日本テレビだった。
手元にあるCM挿入ボタンを押すと、系列を超えた約120局にCM稼働信号が送られる仕組みだった。
東京の受け業務制作担当の私は、緊張しながらレース中のCMタイミングを慎重に読みつつ、先輩プロデュ―サーとの共同作業に当たっていた。
もう先頭のベノイトも、日本の佐々木もゴールし、ほっとした我々は残ったCMを挿入しようと思ったその時だ。
後ろにいたプロデューサーが「待て!CMへ行くな」と叫んだ。
様々な前準備をしていた私には一瞬見えなかったが、ロスから送られている国際映像は、ふらふらと明らかに調子の悪い一人のランナーを映しだしていた。
常ならぬ状況、いったい何が彼女に起きているのか?いずれにせよこの映像をぶった切ってCMに行くことは出来ない。
そのままスタジアムに入ってからも、よたよたとしながら必死に歩いてゴールをひたすら目指す一人のアスリートを放送し続けた。ABC制作の国際映像もほかの選手のゴールを無視してまで、苦境に陥った女性の姿を全世界に送り続けようとしていた。
彼女の名前はガブリエラ・アンデルセン(スイス)。
実は脱水症状により、まさに千鳥足でのゴールであったが、係員の手助けを拒否し、見事に完走でゴールした。
当時、脱水症状の実態を詳しく知らなかった私は、ただただ彼女の無事を祈るのみだった。
記録は2時間48分42秒。

ちなみにNHKは後枠のバスケットボールか何かの競技に切り替える時間だったので、最後のゴールまで放送しなかったと聞いている。
アンデルセンの出来事はもちろん放送のノルマでもなければ、場合によってはCM中のことで、日本では生放送されなかったかもしれない。
しかし全民放局の幹事役だった私たちは、この歴史に残るアンデルセンのゴールをリアルタイムでお茶の間に届けることができてよかったと思っている。
暑さ対策やアスリートの健康、命の問題に話が及ぶときに、今でもこのアンデルセンのエピソードは必ず引用されるほど、歴史的な生中継であったからだ。

繰り返しになるが、この女子マラソン生中継はNHK、民放全局、すなわちNHK教育テレビ以外はテレビをつけていれば、同じ映像、そして音声が流れていた。
音声についてもJCで選抜されたアナウンサー、解説者で実況を付けていたので、どのチャンネルも全く同じ番組が同時に地上波で放送されていたのである。
視聴者はどのチャンネルをつけても同じなので、当時どの放送局を選んでもいいはずだが、圧倒的にNHKを選んでいた。
その事実は視聴率から明確で、NHK19.1%、日本テレビ0.9%、TBS0.6%、テレビ朝日0.9%、フジテレビ1.4%、テレビ東京0.5%だった。
同じ番組を見るならやはりNHKだという昭和の時代だった。民放の中でフジテレビが少し数字がいいのは、当時民放の中では年間視聴率三冠王を誇るトップキー局だったからだろうか。
(注1)ちなみに開会式の視聴率については、NHK47.9%、日本テレビ4.5%、TBS2.2%、テレビ朝日1.9%、フジテレビ2.9%、テレビ東京0.6%と、NHKの圧勝。
民放でトップの日本テレビは実況、ゲストのキャスティングの影響なのか?

本題に戻そう。
もともと1964年自国開催を経験した日本人にとってオリンピックは国民的な人気を誇っていた。
それにつけてもモスクワボイコットで日本不参加による8年のブランクがあったために、ロスオリンピックは日本人の渇望を満たした。
そして、テレビをつければ地上波でアスリートたちが活躍している場面を強烈に刷り込まれたのだから、オリンピック人気は特別なものになったと思う。
あれから40年、サッカーのワールドカップ予選やアジアカップ、ボクシング世界タイトルマッチなど、有料の配信が地上波にとって代わる時代になりつつある。
その理由はいろいろあるし、将来の展望論は別の機会に譲ろう。

いずれにせよ、多くの人が一斉に気軽にスポーツ放送を観られることで、そのスポーツの素晴らしい瞬間が広く記憶されたうえに、深く伝承されて、それがいつまでも語られること自体は間違いないと考える。
もう2度とないであろう、1984年オリンピック地上波完全並列放送を思い出すたびに、なんとおおらかで、贅沢な昭和の時代であったことだと感じずにはいられない。
そして、スポーツが光り輝く時間を、多くの人に提供し共有する、いわゆるマスメディアの力も、これまた捨てたものではないと最近つくずく思うのだ。

1984年当時の民放オリンピック番組編成予定表。NHKは別の資料となるが、開会式や閉会式、女子マラソンなど全民放局が同じ番組を流すプランが示されている。

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