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金字塔の意味を考える ~吹田サッカースタジアムへの道すがら~

サッカー森保ジャパンの国際Aマッチの6月シリーズは好調な成績を残した。
豊田スタジアムでエルサルバドルを6対0と破った後、吹田スタジアムでのペルー戦は4対1と快勝した。
南米の強豪でFIFAランキングも日本とほぼ同じ21位の実力のペルーを相手に縦への速いアタッキングサッカーで観る者も楽しませた。

久しぶりに日本代表対ペルー戦取材で大阪・吹田スタジアムに向かった。
個人的に、このスタジアムには強烈な思い出がある。
2016年開催のFIFAクラブワールドカップの準決勝「鹿島アントラーズ(開催国日本王者」対アトレティコナショナル(南米王者)」でFIFAの主催大会において初めてVARが発動されたスタジアムであり、私は日本テレビの国際信号統括プロデユーサーとして中継を担当したからだ。
国際信号とは全世界100カ国以上の国と地域に試合の中継映像と音声を届けるもので、日本のテレビ局がFIFA大会のそうした役目(ホストブロードキャスターと呼ぶ)を担う機会はほとんどない貴重な経験だった。
日本テレビは前身の大会のトヨタカップの時代から25年以上、ホストを担当していたことからFIFAに指名されていたが、責任はいつも重いものだった。
加えてその年は、2018年ロシアワールドカップでのVAR採用を目指していたFIFAによる入念なVAR映像確認体制をホストブロードキャスターとして課せられたので、さらに緊張した覚えがある。
審判の判定に映像が大きく介入するというパンドラの箱を開けたFIFAからは、全世界の視聴者に放送の中で明確に証拠を示すことができるようにときつく念を押された。
現在よりも当時はVAR発動があれば、まさしく決め手となった映像を放送によって正確に再生するようにと、テレビとの連動を強く求められていた。
歴史的なFIFA主催大会初のVARは前半33分に鹿島のPK獲得を導き出した。FKの際にボールから遠く離れた鹿島選手の足を南米選手が巧妙に踏みつけた証拠を映像は確かに暴いてみせた。
VARの判定も後押しをして決勝に進んだ鹿島はクリスチアーノ・ロナウドらを擁する欧州王者のレアル・マドリードと横浜で対戦したが、柴崎岳の2ゴールなどで世界の強豪を追い詰めたが、最後は延長戦で4対2と敗れた。
もしレアルを倒してクラブ世界一に輝いていたら、それこそ鹿島の、いや日本サッカー界における金字塔になったに違いない。

東京から大阪・吹田スタジアムに向かう道すがら、飛行機の中でそんな思い出を振り返っていた。そして2期目を迎えた森保ジャパンのサッカーがペルーとの試合でどのように力を発揮するのか期待に胸を膨らませての短い旅だった。

吹田スタジアムへは、伊丹空港から出ているモノレールを利用して万博記念公園駅が最寄である。
スタジアムへは駅からは徒歩15分なのだが、駅を降りると例の有名な”太陽の塔“が左手にバーンと見えてくる。
実は7年前もこのルートでスタジアムにアクセスしたが、その時は放送準備もあり寄り道をする時間的、精神的な余裕もなかった。
また実は2016年にはまだ太陽の塔内部の修復や一般公開はなされていなかったようだ。
しかし今回は取材受付開始まで時間もたっぷりあったし、スタジアムまではもう徒歩圏内に来ていたので、万博記念公園に寄って”太陽の塔“の内部を見学しようと思い立った。
万博記念公園は今では自然文化園や日本庭園もあり、1970年のレガシーとしてパビリオン資料館も残されたが、なんといっても見どころは“太陽の塔”であろう。
万博史上最多の6421万人を集めた大阪万博を象徴するアイコンだが、単なる巨大彫刻ではなくテーマである「人類の進歩と調和」を表現したパビリオンとしての芸術作品だ。
前衛芸術家・岡本太郎がこの塔をデザインしたが、内部には歴史に残るような展示空間を創出したのだ。

中学生だった私は1970年大阪万博を一度だけ訪れたが、当時は太陽の塔の内部に入場する機会には恵まれなかった。
とにかく多くの観客が全国から押し寄せて、アメリカ館やソ連館にも入れなかった。確かアメリカ館にはアポロ11号が持ち帰った月の石が展示されていて、歴史の偉業の証を観たかったが、入場には数時間待ちと聞き断念した。
ただ万博会場でひときわ目立つ“太陽の塔”は外から見上げるだけでも、そのオブジェの特異性や独創性が伝わってきて強烈な印象があった。

太陽の塔だけが1970年のレガシーとして永久保存されて、かつ2018年には内部の補修がなされて入場可能になっているので、今回初めて足を踏み入れた。
私の勉強不足だが、当時見ることの叶わなかった内部には、素晴らしいオブジェが創作展示されていたとは知らなかった。
それは“生命の樹”と呼ばれる作者・岡本太郎の人生観、哲学が込められたもので、生命の進化を視覚化したものでもある。
太陽の塔の胎内ともいうべき空間に、地下から天井まで41mにわたりオブジェがちりばめられている。
天空に伸びる1本の樹体に単細胞生物から哺乳類、クロマニョン人まで進化を辿る33種類の生き物が張り付けられた独創的なインスタレーションが唯一無二のもので、かつて見たことがない展示に驚いた。
5億年以上も前の生き物から現在の人類に至るまでの気の遠くなるような命の歴史が刻まれた”生命の樹”の、ほとんどのオブジェが修復されて万博当時の姿を蘇らせている。
一番大きな恐竜は1970年当時のまま生命の樹に取り付けられたままと聞き、驚きを隠せなかった。
1967年1970年まで、わずかな時間で作り上げた岡本太郎の情熱や執念も感じられた。
展示の説明に、この太陽の塔と生命の樹は、世界でも類を見ない建築と展示の金字塔であると書かれていたが、その表現に大いに納得がいくほど私は感動した。
太陽の塔は、そもそも塔であるから、これらの創作物はまさしく金字塔を打ち立てた業績に違いなかった。1970年から50年以上たった今でも人の心を揺さぶるものがある。
岡本太郎の様々な創作エピソードも含めて蘇る遺産がこの場所に残されたことは幸せだった。
ちなみに2年後の2025年には大阪・関西万博が開催されるが、新たな何かを残せるかといったことに興味がわいてきた。

久しぶりに味わった知的好奇心を伴った興奮を覚えながら、吹田スタジアムに向かった。
2期目の森保ジャパンは、3月にはウルグアイ、コロンビアに1敗1引き分けと勝利がなかった。
この6月の国際Aマッチはエクアドルに6対0と快勝してからのペルー戦である。
韓国には1対0と勝利しているペルー相手に、日本がどのような試合運びを見せるのか大変興味があった。
19時少し前にキックオフされた試合は、日本の積極的な試合運びの爽快さも相まってスタジアムに吹き渡る風がとても心地よかった。
伊藤のミドルシュート、三笘のドリブルからのシュートで前半を2対0で折り返した日本代表の鋭い攻撃は止まらない。
後半も三笘のパスから伊東、最後は前田が速攻から見事にゴールを決めた。
攻守の切り替えも早く、縦への突破は常にゴールを予感させた90分はあっという間に過ぎてタイムアップのホイッスルが鳴った。

4対1とペルーに快勝し、試合後の記者会見で森保監督は、この6月の2試合で発見はあったか?との問いに「日本人には本当にいい選手が多くいる。選ぶ側からすると難しい」と贅沢な感想を述べた。
確かに2022カタール大会を経験した選手も新たに加入した選手も、それぞれ素晴らしい選手が揃い、課題といわれ続けている「個の力」も高いレベルを見せてくれた。

思えば2022カタール大会でドイツ、スペインを撃破しベスト16に勝ち進んだ森保ジャパンは見事だった。
しかし最終成績だけで見れば2002、2010、2018大会と同じベスト16敗退、クロアチアに勝ちきれず、ベスト8という新しい景色を見ることは出来なかった。
新しい景色とはスポーツ界ではやり言葉のようになったが、従来の最高成績を超えていく快挙を指すのは間違いない。

では、サッカー界における金字塔とは一体何であろうか?
個人の活躍、チームとしての成績など一概には言えないし、まだ人ぞれぞれの感想があるだろう。
しかし、そもそも日本サッカーの金字塔はまだ達成していないという考えが適切の様な気がする。
金字塔とは、「後世に永く残る立派な業績。偉大な作品や事業。」を指す。
言葉遊びをするつもりはないが、後世にほとんどの人が反対なく異口同音に、しかも世代を超えて讃えるものが金字塔なのだろう。
ブラジルのサッカーであっても、通算3回のワールドカップ優勝を成し遂げてジュールリメ杯(当時のワールドカップトロフィー)を永久保持したペレたちの1970年のチームは金字塔を成し遂げたが、黄金の中盤を擁しながら途中敗退した1982年のジーコたちのチームはいかに魅力に溢れていたにしても金字塔は達成できなかったといえる。

そして金字塔を、突然変異で生み出すことはできないに違いないし、長い歴史や取り組むうえでの一貫した哲学も必要だろう。
日本のサッカーも長い苦難と時々の歓喜を味わいながら成長してきた。
来るべき未来は、過去と現在と繋がった一つの大きな歴史から生み出されるものなのかもしれない。

1968メキシコ五輪銅メダル、1993ドーハの悲劇、1997ジョホールバルの歓喜、1998フランス大会初出場、2002日韓大会ベスト16、2010南ア大会ベスト16、2018ロシア大会、ベルギーに悔しい逆転負けのベスト16、そして2022カタール大会でドイツ、スペインを撃破してのベスト16・・。
快挙や感動を伴って様々な歴史を作ってきたのは事実だが、やはり日本男子サッカー界はまだ金字塔と呼べるものは成し遂げてはいないと思う。あえて男子としたのは女子の2011年FIFAワールドカップ優勝は金字塔というものだと思うからだ。

未来にわたって永遠に人々が語り継ぐ偉業、金字塔はサッカーにおいては、やはりFIFAワールドカップでの優勝なのだと思う。2005年に日本サッカー協会が掲げた目標の一つに2050年までに再びのワールドカップ日本開催と、そこでの優勝というものがあったことも思い出した。
そして森保監督は2026年大会優勝を目標に掲げているが、私はもう少し時間がかかってもいいと思っているし、現状では目標とする金字塔にはまだ遠いと感じるのも正直なところだろう。
それでも森保監督は「W杯優勝、世界一を目指すのは、チームとして共有しているところ。
ベスト16の壁を破っていないが、ベスト8という目標ではなく、優勝、世界一を目指しながら今のレベルアップをしていく」と語っており、その姿勢には共感する。
2023年の強化の一環では、9月にはアウェーであのドイツとの対戦が待っている。
もし敵地でドイツに勝利し試合内容も伴っていれば、先のまだ遠いという考えも改めることもあるかもしれないと密かに期待している。
2026大会まで、3年とは長いようで短い旅路かもしれない。
いずれにしても一つずつ内容の伴う勝利を重ねながら、世界一も夢ではないチームに成長してほしいと願う。
身びいきではなく、三笘や伊東のドリブルや、トップを形成する古橋や上田、さらに久保、堂安、鎌田、遠藤、守田の攻撃的な中盤、板倉、谷口、菅原らの守備陣もさらに成長していく期待に満ちていて、世界の強豪レベルに近付ける可能性を秘めている。少なくとも今日のペルー戦は、久々にサッカーの質も高く、観客も大いに満足するいい試合を見せてくれたと思う。

記者会見が終わり、夜の10時過ぎに吹田スタジアムを後にした。
行きと同じ道順で万博モノレール駅を目指し歩いていると、今度は正面に”太陽の塔”がポッカリと見えてきた。もうすっかり闇に包まれた万博記念公園の中で、太陽の塔の頂部に取り付けられた“黄金の顔”の眼だけはライトで光を放っていて幻想的だった。
黄金の顔から発する光を見た途端、再び金字塔という言葉がどうしても頭に浮かんできた。
いつの日か、それも早いうちに日本サッカーの金字塔の達成を見てみたいと思いながら、駅へと足早に向かう私はなぜかとても満ち足りていた。
金字塔という高みを見たい、それに近付きたいという人間の意志と精進が、そしてそれに対する共感こそが、きっと日々の我々の営みを心豊かなものにしてくれるのだと思えた一日であったから。

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