Essay

シリーズ・記憶の解凍⑨「1972年ミュンヘンオリンピック回顧」~あなたは「ミュンヘンへの道」を観たか~

記憶の解凍とは、白黒写真をAIでカラー化して蘇らせて、記憶を鮮明に継承していく東京大学のプロジェクトのことである。

2023年5月9日、ミュンヘンオリンピック男子バレーボールの金メダリスト、横田忠義さんが享年75歳で亡くなられた。
横田さんといえば、大古、森田と並び日本代表の長身ビッグスリーといわれたエースである。
ミュンヘン大会では腰痛に悩まされて、自転車チューブを腰に巻く緊急措置をして最後まで戦い抜いた。ご冥福をお祈りいたします。

かつて「ミュンヘンへの道」というテレビ番組があった。
練習部分が実写、エピソード紹介部分がアニメーションのドキュメンタリーだった。
当時はアマチュア規定が非常に厳しく、選手のテレビ出演が規制されていたためにこのような形式になったのではないかと推察する。
現在では逆に選手側の肖像権や、事前PR的な番組編成の困難さなどで、もはやこのような番組は地上波では登場しないのではないかと感じている。
またアニメ制作は予算も制作時間もかかるため、今ではドラマ仕立てで役者を使った再現VTRなるものが主流であるのは言うまでもない。

番組は、TBS系列で1972年4月23日、オリンピックまであと125日の時点から、開幕6日前の最終話まで17回放送された。放送枠はなんと日曜日夜7時半から30分のゴールデンタイムであった。
ミュンヘンオリンピック男子バレーボール金メダリストたちの実に面白いエピソードが多くの人の記憶に残されたのは、この「ミュンヘンへの道」のおかげもあると思っている。物事はいつもエピソードに溢れていると、その時々の出来事や思い出はより輝いて見える。
いずれにしても、チームや選手、ひいてはそのスポーツを事前にアピールしたという意味では日本スポーツ史上最高のプロモーションといっていいだろう。
競技のこと、プレーのこと、アスリートのプロフィールからその物語、それらがたっぷりと盛り込まれた内容であった。

「これはバレーボールに青春をかけた男たちの、血と汗と涙の、そして心の記録である。」というナレーションからスタートする、実写とアニメが混在した番組内容とともに、オープニングのテーマ曲も耳に残っているほどだ。
作詞は阿久悠さんで、ハニー・ナイツというグループが歌っていたが、当時中学生だった私は、今でもこの歌が歌えるほどに刷り込まれた。

実にマニアックで詳細なエピソードがこのテレビアニメドキュメンタリーで紹介されたが、記録に残っているタイトルからして面白い。
「涙のBクイック」、「松平サーカス」、「誓いのドライブサーブ」、「動く要塞砲」、「優しい巨人」、「コートの魔術師」、「黄金の秘密器」、「小さな戦士の詩」、開幕まであと6日の最終回は「金メダルへの挑戦」だ。

今では一般常識にもなったAクイック、Bクイック、Cクイックといった攻撃の種類から、一人時間差といったスペシャル攻撃の解説までが、まるでスポーツ教本ビデオのように挿入されて解説された。フライング・レシーブやドライブサーブという攻撃的なサーブなども番組内で詳しく紹介されて楽しかった。
その一方で選手たちの苦労の物語はアニメで詳細にドラマ仕立てされて、感情移入させた。
「松平サーカス」という回では、代表チームのフィジカルトレーニングをリードする斎藤勝トレーニングコーチの物語であった。
当時のチームの成長を促したフィジカル強化の内実を象徴的にしていたのが、斎藤コーチの編み出した練習法にもあったから興味深かった。
最強チームを作り上げるために、松平監督は徹底して大型選手を集めた。
1964年の東京大会では183.5cm、そして8年後のミュンヘンには191cmと平均身長で8cmもの大型化となったが、さらには、その長身選手たちが俊敏に動きフライング・レシーブをやり遂げるなどのフィジカル強化を徹底した。
大型の選手が体操選手のように動ける身体能力のアップを目的に、選手全員に後方空中回転いわゆるバク転と、9m以上の逆立ち歩行を課した。
最初は逆立ちすらできない選手が、斎藤コーチの指導で楽々と歩行できるようになったらしい。
バレーボールにワイヤーを付けたものをコーチが振り回す中を、それこそサーカスのように全身を投げ出しながら、そのボールをかいくぐる様子には目を見張った。
現代ではそのようなトレーニングが有効なのかもしらないド素人だが、かつて見たことのないようなアクロバチックな動きに魅せられた。

しかも、番組は松平監督自身がテレビ局に売り込んで成立したところにも驚いた。
スポンサーにコネクションが多少なりともあったとも聞くが、ゴールデンタイムの放送に企画を通すのは並々ならぬ工夫と熱意が必要だったことだろう。
1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した女子の人気のほうが先行していただけに、東京で銅、メキシコで銀と成果を上げていった男子の金メダル獲得は松平監督の信念と執念に基付く未来予想図だった。
1964年以降8年計画で大型選手を選抜し鍛えあげる、そうして高さでも負けない上にスピードと技術を兼ね備えた強力なチームには自信もあったのだろう。
それでも勝負は水物、金メダルを取ると宣言し退路を断つ気持ちがあったとしか思えない。

そしてオリンピック本番でのドラマがまた凄かった。
準決勝のブルガリア戦では、セットカウント0-2という絶体絶命のピンチから見事な大逆転勝利を果たし、決勝で東ドイツを破り見事に金メダルを獲得した。
あまりにも劇的な勝利にいまだ「ミュンヘンの奇跡」と語り継がれている。
試合は相手チームのエース、ズラタノフにセンターからのクイックを次々に決められ、あっという間にセットカウント0-2になり後がない。
しかし、松平監督は選手たちに「あと2時間コートに立っていろ。そしたらお前たちは勝っている」とあくまで冷静だった。
松平ジャパンの武器は、時間差攻撃を中心とした多彩な技と、横田、大古らの大砲の攻撃力だった。
その一方で、松平監督は南将之を中心に、徹底的に守備力も鍛え上げてきた。窮地に立たされてもクールだったのには、相手のスパイクにきっちりと対応できるだけの絶対な守備力への自信だったのかもしれない。

そして監督の選手交代采配も見事に的中した。第3セットから選手を交代し、守備を鍛え上げてきた選手たち、南、キャプテン中村祐三らを投入。
相手の攻撃をしのぎつつリズムをつかんでいくと、そのまま第3セット、第4セットを15-9で奪い息を吹き返す。
そして迎えた勝負の第5セット、一時は3-9と6ポイントリードされるも、ここで再びの選手交代で、ベテランの猫田勝敏選手がセッターに入ると、トスで相手を翻弄して3連続でポイントを獲得するなど流れをつかんだ日本は一気に逆転し、15-12で最終セットを取り大逆転で決勝へと進んだ。
全選手で勝ち取った勝利だったが、大会中絶えず腰痛に悩まされながらも、コートの裏で腰に自転車チューブを巻き付けてプレーし続けたという横田の奮闘も忘れられない。
試合時間は3時間15分、絶体絶命の第2セット終了から約2時間立った時に、奇跡の逆転劇は終了した。これもまた松平監督の描いた未来予想図通りだったのか。

1964年銅メダルを獲得しながらも、もっと上を目指しチームを8年計画で世界一になる日を逆算した・・オリンピックまでの道も気の遠くなるような逆算で、日々取り組んだのだろう。すさまじい計画と執念というしかない。
ブルガリアとの準決勝における奇跡の大逆転まで、一応の計算に入っていたかのような松平監督采配も奇跡的であり見事なものだ。

大会が始まる前から「ミュンヘンへの道」の番組で日本国中に金メダル宣言をしたような男子バレー、すべてが今の時代では考えられないことだらけだった。
加えて奇跡のブルガリア戦も生まれた。
WBCやFIFAワールドカップが始まる前に、このような番組が今でも成立したら面白いだろう。
しかし今の時代は放送局側もこのような企画は難しいし、何より選手サイドも肖像権がどうのこうのと、絶対に成立しないかもしれない。
ただ番組のことはあくまでチーム強化に対する励みの一助に過ぎず、勝利をめざす戦術と人心掌握、有言実行した信念や哲学こそが素晴らしいと思う。

横田忠義さんが金メダリストになった1972年から51年たった。
この50年、日本男子バレーボール界は一度もオリンピックでメダルを取ることができないでいる。
逆算ならぬ逆行していってしまったのが、寂しい現実だ。
男子バレーボールにとっても目指す道はいつも続いているのだから、歩みを止めないで進んでいってほしいと思う。
2024年パリへの道、またさらに先の2028年ロサンジェルスへの道は続いていく。日本にとって明るい未来予想図を期待している。
今年の9月30日から10月8日まで、パリオリンピック予選も兼ねたワールドカップバレー2023が日本で開催される。
(女子は9月16日から24日まで同じく日本開催)
パリオリンピック予選に向けた男子バレーボールは現在世界ランキング7位(女子は世界ランキング6位)だが、大いに期待できると聞いている。
試合中継はフジテレビが全試合を独占放送する予定で、お得意のプロモーションをどのように展開していくのか。
現在の選手たちの活躍とともに、彼らの日頃の努力やドラマ、エピソードが少しでも多く色々なところで報道されることを楽しみにしている。
そして多くの国民が、日本代表選手全員の名前と素敵なエピソードがスラスラ言えた時にこそ、メダルが見えてくる気がするから不思議だ。

2023年5月に書いたこのエッセイから、およそ1年が経過した。
その間に、男子バレーボールの日本代表はさらなる進化を果たし、世界大会での結果を出した。
2023年ネーションズリーグでは銅メダルを獲得し、今年の大会ではついに1977年ワールドカップ以来47年ぶりの銀メダルを獲得した。主要国際大会における52年ぶりの金メダルは来たるパリオリンピックにとっておこう。
あのミュンヘンのドラマが再現される予感がなんとも楽しいではないか。
フランス相手の今回ネーションズリーグ決勝スタメンは、主将の石川祐希(28)、セッター関田誠大(30)、髙橋健太郎(29)、小野寺太志(28)、西田有志(24)、大塚達宣(23)、リベロは山本智大(29)。そして負傷で調整中の高橋蘭(22)はいま絶大な人気を誇っている。
日本を率いたフィリップ・ブラン監督の顔も、すっかり覚えたことだろう。
今大会では男女ともに銀メダルとなり快進撃をみせ、パリ五輪でのメダル獲得へ弾みをつけた。
ネーションズリーグは、連日TBSが地上波とBSで日本戦の完全生中継をした。
バレーボールは選手のアップを捉える機会が極めて多い、テレビ向きのスポーツである。
しかも笑顔や歓喜、時に悔しさをクローズアップで映像にすることも多いから、テレビドラマの主役並みに視聴者に刷り込まれる。
こうした「パリへの道」を歩み続けるチームを熱く伝えた影響も本当に大きかったと言えよう。奇しくもミュンヘンへの道を放送したTBSというのも因縁めいたものさえ感じる。
もう、にわかファンでも選手の名前と顔、さらにはそのキャラクターまで知るところとなったバレーボール日本代表。
結果は時の運もあるかもしれないが、金メダルの夢をみさせてくれるオリンピックに大いに期待したい。

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