Essay

シリーズ・記憶の解凍⑤ 「NBA伝説の“スカイフック“と、レイカーズ八村塁」~FIBAバスケットボール・ワールドカップ開催の年に~

記憶の解凍とは、白黒写真をAIでカラー化して蘇らせて、記憶を鮮明に継承していく東京大学のプロジェクトのことである。

2023年2月7日、アメリカプロバスケットボールNBAにおいて大記録が生まれた。
ロサンゼルス・レイカーズのレブロン・ジェームズが、対サンダー戦で38得点を挙げて通算38、390点としてNBA歴代最多得点記録を更新したのだ。
それまでの記録は同じレイカーズに所属したカリーム・アブドゥル・ジャバ―の持つ38、387点であったが、38歳のジェームズはキャリア20年で、その記録を34年ぶりに破った。
通算記録は1得点ごとの積み重ねであり、時間もかけながら長く一線で活躍したプレーヤーの最高の称号といえよう。
そして長くこの記録が破られなかったことも、改めてジャバ―の偉大さを浮き彫りにした。

そのジェームズと同じレイカーズに、今年の1月に日本の八村塁が移籍し、現在一緒にプレーしている。
NBAで活躍する日本人である八村塁、記録更新のレブロン・ジェームズ、そしてレジェンドであるカリーム・アブドル・ジャバ―とつながるレイカーズの話題から、私の曖昧な記憶の解凍が一気に始まった。

今から42年前の1981年6月、東京の代々木第一体育館で、“全米プロバスケットボールオールスター戦”と銘打った大会が開催されたことを、ご存知の方は少ないかもしれない。
そこにはレイカーズ所属のカリーム・アブドゥル・ジャバ―も来日しプレーした。
1981年は私が日本テレビに入社した年で、スポーツに配属された私は、間違いなくジャバ―の、あの伝説の”スカイフック“を現場で実際に観た事を思い出したのだ。
日本テレビが中継をし、スポーツニュースの取材編集も任されたから間違いはない。
正直に言うと5月にスポーツへ配属されたばかりの私には、業務のほとんどが野球、ゴルフ、プロレス中継などと思っていたから、バスケットボールの中継が珍しかったと記憶している。
その後もバスケットボールファンには申し訳ないが、日本テレビが中継をする機会はほとんどないまま現在に至っている。

大会のネーミングは、“NBAオールスターバスケットボール”とは微妙に違うが、“全米プロバスケットボールオールスター戦“だったというのも奇妙な話だった。本物のNBAオールスターは、例年もちろん本場のアメリカで開催されており、1981年は2月に、オハイオ州リッチフォードで東軍123対西軍120、MVPはネイト・アーチボルド(ボストン・セルテイックス)という記録が残っている。
大会ネーミングのことや、出場ギャラなど、日本の大会主催者とNBAとの契約は全く知らないが、とにかくジャバ―は日本のファンの前で、本場でしか見られないだろうスカイフックを披露したのだ。

あまりに昔のことで、まずはネットで調べても来日情報は全く載っていなかった。
スポーツの先輩で当時の中継担当ディレクターだった方に確認をしたら、間違いなくNBAオールスターのバスケット大会の業務をしたと断言してくれた。
今は喜寿を迎えられた先輩は、中継業務の上でダンクシュートやノールックパスに驚き、もちろんジャバ―のスカイフックにも圧倒されたらしい。

念のため古本を探し回って、月刊バスケットボール1981年7月号を何とか入手した。紙媒体の証拠は、さらに私の記憶を鮮明に蘇らせた。
エキジビションながら試合は、代々木第一体育館で間違いなく行われていて、ジャバ―の他、モーゼス・マローン、ネイト・アーチボールドといったNBAのスターたちが来日した。
コートサイドのチケットは8000円と記載されており、現在なら数万円の高額だったようだが、会場は超満員だった。
1981年6月4、6,7日の3試合が開催されて、主催は日本テレビ、協力が日本バスケットボール協会、4日の放送は平日19時半からのゴールデンタイムであったから、改めて驚きの出来事だった事を再認識できた。

となれば、日本テレビの映像は残っているのか?
さっそく気になってスポーツ局の後輩に調べてもらったら、当時の中継映像は日本テレビのアーカイブには残っていなかったが、スポーツニュースの短い映像だけは残っていることが確認できた。
日本テレビに行き、特別にアーカイブを検索してもらい、ジャバ―の東京でのスカイフックを42年ぶりに映像で見ることができた。3試合のニュースは各試合1分足らず、そしてスカイフックはわずか10秒ほどの映像として残されていた。
やや劣化し、色あせたビデオ映像アーカイブのキャプションには、最終戦スコアは西軍126対東軍104で、西軍のジャバ―がMVPに輝いたとだけ記されていた。
しかし、なぜそのような大会を日本テレビが主催できたのか、3試合も東京でやる興行には一体いくら予算が必要だったのか、当時の仕掛け人プロデュ―サーの方々は既に亡くなられたので、開催の経緯は知る由もない。

カリーム・アブドゥル・ジャバ―、来日当時34歳。
身長218㎝、ポジションはセンター。
その長身から繰り出す”スカイフック“は誰にも止められないと言われた。
ジャバ―は1989年、42歳での引退まで、20シーズンの間にNBAのMVP6回、オールスター選出19回というNBA史上最多記録を持つ超レジェンドである。
ニューヨーク・ハーレム出身で、本名はフェルナンド・ルイス・アルシンダー・ジュニアだ。1969年にミルウォーキー・バックスでNBAデビューをし、1971年にはイスラム教に改宗し、名前をカリーム・アブドゥル・ジャバ―とした。
アラビア語で、カリームは”尊い“、アブドゥル・ジャバ―は”偉大な者(神)の僕(しもべ)“という意味だそうだ。

余談だが、ブルースリーの主演映画「死亡遊戯」(1972)にも出演しているから、不思議な選手でもある。映画の中での172㎝のリーと218㎝のジャバ―の武闘シーンの映像は一種異様な迫力のあるもので、印象に残っている人も多いと思う。
いずれにしてもバスケットボールに造詣が深くない私には、その程度のことしかわからないが、当然、日本での大会の目玉は何と言ってもジャバ―であった。
現場でみたジャバ―は、やはり驚くほどの長身であったが、目の角膜を保護するためなのか、ゴーグルをつけた姿もまた独特だった。
球技をするスポーツ選手のゴーグルや眼鏡姿は稀であったせいだろう。

スカイフックが誕生したのは、学生時代NCAA(全米大学体育協会)バスケットボールでは、一時期ダンクシュートが禁止されていたため、そこで彼が磨きをかけた必殺のシュートであったと聞く。
スカイフックとは、長い腕をいっぱいに伸ばして最高の打点から放つフックシュートのことである。高い身長、ジャンプ力、手の長さ、左右両手での正確なコントロールが可能にさせたジャバ―のスカイフックは、相手デフェンスが手も足も出ない、強烈な必殺技といったところか。

加えてバスケットのルールには、ゴールテンディングというものがある。
日本バスケットボール協会公式サイトが公開している【2022競技規則】第5章の第31条には、次に説明されている。

フィールドゴールのショットで、ボール全体がリングの高さより上にある間にプレーヤーがボールに触れた場合、以下のいずれかの条件を満たしているときにゴールテンディングになる。
・ボールがバスケットに向かって落ち始めている。あるいは、ボールがバックボードに触れた後。
(中略)
・ゴールテンディングの規定は以下の状況になるまで適用される
・ボールがバスケットに入る可能性がなくなる
・ボールがリングに触れる。

つまりジャバ―が放ったスカイフックは、ゴールより高い位置から投げ下ろすため、そのシュートの軌道上に関してのブロックはルール上してはならない、ゆえに相手チームは、ボールがリングに触れて外れることを祈るしかないということだ。
1981年当時、そんなルールも全く知らない、NBAも見た事がない新入社員の私は、ただただジャバ―のスカイフックが描く放物線を、マジックの様にみていたことを思い出す。

そのようなジャバ―の伝説ともいえる大記録を更新した、レブロン・ジェームズのニュースから、やはり八村塁の今後のNBAでの活躍に思いを馳せる。
日本人で初めてNBAのドラフト1巡目指名を受けた、身長208㎝の逸材だ。
富山県出身、ペナン人の父と日本人の母を持つ八村は、恵まれた体格を生かして頭角を現し、2019年ワシントン・ウィザーズに入団、パワーフォワードまたはスモールフォワードとしてプレーしNBAでの活躍が始まったが、2023年1月にレイカーズに移籍をした。
年俸は約8億円と聞くから、凄い。ただNBAの平均は約12億円、一番の高給取りは年俸約64億円のステフィン・カリーだから、まだまだ上を目指してほしいとも思う。

野球、サッカー、ラグビー、バレーボール、ハンドボールなど団体球技スポーツの種目は数多くあるが、オリンピックやワールドカップ、国内リーグ戦含めて、なかなか注目を浴びることが少なかったバスケットボール界。
漫画のスラムダンクの存在など、一般に認知度は高く、人気があるようで今一つなのも正直なところかもしれない。
さらに失礼を承知で言うならば、40年以上前にNBAジャバ―のプレーを見た私は、日本の当時アマチュアのバスケットボールとは、まるで別のスポーツの様に感じた。
そしてNBAでプレーする日本人など絶対に現れないと思っていた。
そんなNBAで、カリーム・アブドゥル・ジャバ―、コービー・ブライアント、マジック・ジョンソン、そしてレブロン・ジェームズ・・レジェンドたちと、現在同じチームでプレーしている選手が八村塁なのだ。
私がNBAのコートでダンクを決める八村の姿に感動すら覚えるのは、個人的なNBAとの初めての出逢いの衝撃のせいかもしれない。
八村はまだ25歳だから、少なくともあと10年は一線で頑張って欲しいと思う。
また渡邊雄太(ブルックリン・ネッツ)も頑張っている。
初の日本人NBAプレーヤー田臥勇太の後を受けて、日本人もNBAでやれる手ごたえを2人は今、ファンに示してくれている。今後、NBAに挑戦する若手が多く育つことも夢ではない時代になった。
もちろんジャバ―の様なNBAのレジェンドになる日本人が生まれるには時間がかかるとは思う。

日本バスケットボールも、大会組織運営の問題からFIBA(世界バスケットボール連盟)に警告を受け、リーグ統一を果たし、2016年にBリーグが開幕、女子では東京オリンピックの銀メダル獲得など、ようやく以前よりも期待が持てるようになった。

そして、今年はFIBAバスケットボール・ワールドカップが、日本の沖縄、インドネシア、フィリピンの3カ国で開催される。女子チームの東京五輪での銀メダルを導いた、ホーブス監督が率いる日本代表男子チームの健闘を期待する。
八村、渡邊というNBAプレーヤーだけではなく、河村勇輝などの活躍も見物だろう。
大会は、日本テレビとテレビ朝日が放送をすることが決定している。
テレビもまたこうした大会を経験しながら、そのスポーツの進歩を多くの人に届ける責務がある。
ワールドカップ放送権が決定してからの両局は、Bリーグや、日本代表のアジア予選や強化試合も放送するようになった。
関連の話題も幅広く扱うようになり、メディア露出が増えたと言えよう。
視聴率が取れる、放送にも事業にもチームなどにもスポンサーがつく、テレビや新聞の扱いが大きくなれば、さらに放送の機会も増える。有料を中心とした配信の放送が増えるなど、地上波だけの時代からは変化しつつあるとはいえ、それでもなおこの構図は変わらない部分が多い。
放送局の社をあげてのプロモーション活動も見逃せない。
例えば日本テレビの汐留オフィスの、一般の方でもアクセスできる玄関ロビーには、早くから、ワールドカップのプロモーションの展示がされているほどだ。

そして、もちろん歴史は一気につくられるものではない。
ワールドカップで今回の日本代表がメダルに輝くとは想像しにくいのは事実だ。
何と言っても過去には、ワールドカップでのグループリーグ突破は一回もないのだから。
またWBCの様な視聴率を稼ぐとも考えにくい。
しかしスポーツの歴史は進歩し、塗り替えられてきた。
ジャバ―を代々木第一体育館でみたNBAへのただ憧れだけの、40年前とはわけが違う。
大谷翔平ではないが、憧れているだけでは越えられないものがあるということか。
思い起こせば、1981年当時のサッカーもプロリーグすら無ければ、ワールドカップ出場など夢の夢だった。野球はドメスティックで、江夏豊のMLB挑戦もまだ先であったし、野茂英雄、イチロー、大谷翔平のMLBでの大活躍など誰も想像していなかったはずだ。
ましてラグビーはワールドカップの存在すらなかったし、その後1995年ワールドカップではニュージーランド(オールブラックス)に17対145点と屈辱の敗戦があったのだ。

バスケットボールも例外ではないと信じよう。
ただし他のスポーツの発展と同様に、ステップは確実に踏んで前に進む必要がある。
4月29日にはワールドカップのグループステージ組み合わせ抽選会が開かれる。
日本は果たしてどのグループに入るのか。大会は8月25日から9月10日まで、32チームが世界一を争う。
エキジビションではない本物の真剣勝負である。
とにかくまずは欧州チームから初の勝利を期待したい。
そして今回のワールドカップが日本代表にとって、これから未来の夢舞台への第一歩となるように期待を込めて見守りたい。
日本の沖縄でも、そしてテレビ放送でも、多くの人に、超一流の世界のプレーを見ることができる喜びを味わって欲しいと切に願っている。
そのスポーツをじっくり見る機会があれば、あるいは強烈な印象を受ける実経験があれば、今まで親しみのなかった人たちも、その面白さに気が付くことも大いにあるのだ。
サッカーワールドカップ、野球のWBCしかり。
スポーツにおける、にわかファンは大いに結構と、私はいつも言っている。
スポーツをすること、観ることに関しては、いくつになっても誰もが最初は初心者であり、誰の経験も、記憶も、ファーストステップが必ずあるものだから。
その出会い方にこそ意味があり、それぞれに素敵なエピソードが生まれるのだと私は思う。

日本テレビ・汐留オフィスロビーにあるバスケットボール・ワールドカップのPR

-Essay