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パリオリンピックの煌めき① ~観客のいるスポーツ現場の幸せ~

3年前の夏、世界を震撼させたコロナ禍の中で東京オリンピック・パラリンピックは開催された。
2021年7月の東京は緊急事態宣言が発令中で、人々は自粛生活を強いられていた。
そのような事態の中、強行して開催されたオリンピック、パラリンピックは基本的に無観客となり、アスリートの雄姿をスタジアムやアリーナで一般の観衆が観ることは叶わなかった。
海外からの観客を含めて、国内の誰もが会場で競技観戦を楽しめないオリパラに意味があるのか?と様々な議論を呼んだが、国も東京都も組織委員会も、そしてIOC(国際オリンピック連盟)こそが開催を決めたといってもいいだろう。
無観客のオリンピック、パラリンピックが決定した日の空しさをよく覚えている。
開会式までもう2週間を切った7月8日の出来事だった。
大会組織委員会の一員として2014年から7年かけて運営準備をしてきただけに、なおさらであった。
観客席に空きが大きく出た分、放送用のカメラを追加して設置することが容易になった事は、自分たちの業務範疇ではいいように少しだけ思えた。
やるせない気分のまま大会開幕を迎えた。

それでも私は、様々な困難を乗り越えて開会式が行われた7月23日の東京の夜空に煌めくイルミネーションの美しさを、忘れることが出来ない。
全世界に向けて制作された国際信号のオープニング映像が冒頭からおよそ数分間、ヘリコプターによる空撮で映し出した東京の絶景のことだ。
オリンピックカラーに彩られたスカイツリーからゆっくりとお台場レインボーブリッジを巡り、じきに東京タワーの煌々としたオレンジのイルミネーションが見えてきた。
東京タワーをなめるように、明かりのついた都心のビル群の中を進むと、やがて神宮の森の中にぽっかりと浮かぶようにライトアップされたオリンピックスタジアムに到着した。
東京の夜景がこれほどまでに美しいのかと、改めて認識し、ため息が出た。
当時夜8時には東京のビルなどの消灯も推奨された。東京タワーのライトアップも東京都の要請で早めに終了していた。
不要不急の外出を控え、飲食店も酒類提供禁止や開業時間の制限もあるなど、街は早くに眠りにつくよう推奨された。
しかし夜8時に開始された、オリンピックの開会式の時に東京のイルミネーションは美しく煌めいていた。
大会期間中には特別措置がとられて、照明は日の出まで煌々と輝き続けたのだ。
もちろん、その日の東京の夜景自体はスポーツの現場と呼ぶものではない。
しかしオリンピックの舞台となる、この東京という都市は生きており、そこに住む人々を包み込むような、光のぬくもりがある限り、パンデミックには負けないはずだと感じた一夜だった。

いざ大会が始まると、やはり競技会場は寂しいと言わざるを得なかった。
何より参加しているアスリートたちにとって、観客の応援や叱咤激励の無いスポーツ現場は残念であったことだろう。
(注)一部の地方会場、サッカーなどは制限付きで有観客で行われた。
放送関連の運営チェックのため、いくつかの会場を訪れたが、その現場は本当に無機質な仮想空間のような印象すらあった。
4年に一度のこのような大きなスポーツ大会に、観客がいない世界は誰も経験したことなどなかったはずだ。
体操の橋本大輝が個人総合優勝を果たした時も、本来なら湧き起こるであろう大歓声もなく、まるで練習会場を取材しているような錯覚すらあった。
新しい国立競技場(オリンピックスタジアム)で、男子100mx4リレーにおいて金メダルを目指すと言っていた日本チームが、第一走者から第二走者へのバトンリレーで失敗し失格した時も、観客のため息すら起きない分、まるで現実感がなかった。
ああ、まだこれはリハーサルなのだとまで思えた。

それでもオリパラは粛々と競技を開催し、勝者と敗者が生まれ、スポーツ競技そのものの感動的なドラマも生まれた。
パラリンピック大会も全て終わるころ、有明テニス会場で、男子テニスシングルス決勝で日本の国枝慎吾が金メダルを獲得した。
グランドスラム大会で生涯50回チャンピオンになり、2008、2012オリンピックシングルス金メダルを獲得している国枝であっても、2016リオ大会では負傷に苦しみタイトルを逃していた。自国開催での東京で頂点を再び極めるために、努力と節制を繰り返しつかんだ世界一であった。
何せ2013年9月に東京2020開催が決まった夜には、興奮して一睡もできなかったそうだ。
その時優勝を果たした全米オープンの闘いの真っ只中にいた29歳の国枝が、7年後に自国のファンの前での自身の活躍を頭に描いてのことだろう。
数多くのタイトルを獲得した国枝にとっても、自国でのオリンピックに参加し、大観衆の前で雄姿を見せることは特別なことだったということだ。
後にご本人から聞いた話では、2020年は絶好調だったが、コロナ禍で延期となった2021年は実は調子が悪く腰痛がぶり返していたという。
大会直前まで続いたコルセットが必要なほどの痛みは、不思議なことに有明の会場に入ってからピタッと治ったそうだ。。

私も業務があり、会場にいて惜しみない拍手を送り続けたが、本来あるべき大観衆の万雷の拍手があったら、なお国枝の不屈の精神と精進を讃えるのにふさわしいスポーツ現場になっていただろう。
他にも書き尽くせない無観客でのオリパラのドラマを思い出すにつけ、今回のパリオリンピックには期待をしてしまう。
歓声、どよめき、ため息、手拍子のある本来のスポーツ現場の完全復活をパリは果たしてくれるのだろうと。

ちなみに東京の大会組織委員会で働いていた、何人かのスタッフはパリ大会にも運営側として参加すると聞いている。
バスケットボールのスポーツ運営担当だった方は、ボランティアで同じバスケットボール運営に協力するという。自費でも参加したい理由は、「どうしても観客の入ったオリンピック大会でのバスケットボールに関係し、その現場をみたい」とのことだ。
他にも大会運営のフード(関係者や会場の食品担当)としてパリの組織委員会に職員応募し合格した人もいる。英語以外にフランス語を勉強してトライしたと聞くから頭が下がる。いずれも無観客のオリンピックに関わった者たちとして、本来の大観衆の中で開催されるスポーツ現場を見届けたいという強い想いを持ってのことだ。
そして、何よりアスリートたちこそ、今度こそ多くの観衆の前で自己のベストパフォーマンスを披露するという、熱い想いをもって大会に臨むに違いない。
こうした観客と一体となったパリの現場は、テレビを通じても全世界へ十分に伝わると思う。
日本とパリとの時差は現地からマイナス7時間だ。
多くの競技は日本の深夜帯での放送が多いかもしれないが、お祭りの期間中なのだから頑張ってテレビ観戦もいいだろう。

そして個人的には、7月26日現地19時からの3時間に及ぶ開会式が楽しみで仕方がない。
セーヌ河畔をクルーズしながら進むアスリートたちと、それを見守る約30万人の観衆たち。
6㎞もセーヌ川を移動していく式典だから、きわめてテレビ的なものになりそうだ。スタジアムの一か所から見ているものを超越するスペクタルは、約100台のカメラで捉えていく予定だと聞いた。
華麗なパリのランドマークを巡りながら、祭典の開幕を高らかに告げる様子を想像しただけでも、ワクワクするのは私だけではないであろう。
また今回のパリの競技会場の多くは、コンコルド広場やエッフェル塔などパリの有名な観光名所に設置されている。
都市には人が暮らしている。その生きている様々な場所で、多くの人々とスポーツシーンが溶け込む。なんと素敵な光景ではないか。
そしてそれこそが、我々が目指していく日常なのだと思う。

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