Essay

シリーズ・記憶の解凍⑱「1976年モントリオールオリンピック」~コマネチ10点満点と社会現象~

記憶の解凍とは、白黒写真をAIでカラー化して蘇らせて、記憶を鮮明に継承していく東京大学のプロジェクトのことである。

日本人の多くは今でも、我が国のアスリートではない、しかし偉大なアスリートの名前を知っている。
その名は、”コマネチ”。
ルーマニアの体操女子競技の伝説的なアスリートである。

コマネチは14歳で参加した1976年モントリオールオリンピックで、段違い平行棒と平均台の演技で史上初めての10点満点を出したことで知られる。
個人総合と種目別で3つの金メダル、団体で銀メダル、ゆかで銅メダルを獲得した。
この時IOCや審判団は体操競技で、満点が出ることを想定していなかったため、得点掲示板には1.00点と表示された。
つまり9・99までしか表示の用意はなかったから、やむなく10点を1.00としたのだ。まさしく人間業とは思えない想定外だった。
ちなみに現在では採点方法が変わり、もはや実質上、10点満点にはお目にかかれないだろう。
純白のレオタードが似合う可憐な容姿と、見事な技が観衆を魅了し、”白い妖精”のニックネームが付いた。

今でも当時の演技の様子を、ユーチューブなどで観ることが出来るから、観てみるときっと驚くことだろう。
私も久しぶりに地元カナダ・CBCスポーツの中継映像を見る機会があったが、コマネチの演技は今見ても完璧なものだった。
演技前は14歳という若干のあどけなさを残しながらも、大人びた風情の表情。
白のレオタードに包まれた全身は、すらりと伸びた長い脚がことさら印象に残る。
ひとたび演技が始まると、切れのある跳躍や回転、そして何より着地がピタッと決まる、まさに満点の体操だ。
そして確かに電光掲示板には1.00と出た。
地元の実況アナウンサーもすぐに反応し、信じられない、信じられないと繰り返した。

NHKを中心とした中継番組のみならず、民放放送局でも朝から晩までニュースで、コマネチ10点満点が放送された。
もちろんその演技の素晴らしさもさることながら、まだ見たこともない未知の領域10点という事実が、よりコマネチを輝かせた。
体操、フィギアスケートなどいわゆる採点競技で、誰もがパーフェクトな数字など考えられなかった。
放送のみならず、新聞や雑誌にもコマネチ10点満点の活字が躍る。
メディアは人々を洗脳するかのように、人類で初めて月に到達したアポロ11号のアームストロング船長の名前と同様、いやそれ以上の世界の共通語にした。



そして、日本では、あの多芸なコメディアンの登場だ。
コマネチの切れのある演技と、スキッとしたレオタードの風情からか、ビートたけしがテレビでことあるごとに「コマネチ!」と股の前で手振りを披露した。
今でこそ水着などハイレグは当たり前だが、当時はハイレグなどほとんどなかったので、ビートたけしの表現はシュールで妙に印象的だった。
大爆笑というより、ついクスッと笑う、ライトな感じも受けたのかもしれない。
昔、「小股の切れ上がったようないい女性」という表現があった。
「小股の切れ上がった女性」というのは“足の長い女性”“腰の位置が高い女性”という意味であると聞く。粋な女性であることには間違いない。

コマネチの切れのある演技からも、そうした表現へのヒントが生まれたのかもしれない。ただ、お笑いギャグの分析はしても意味がないであろう。
いずれにせよ、現代ならハラスメントと受け取られかねないが、1980年に生まれたギャグは、時代背景も味方したかもしれない。
モントリオールオリンピックの映像を覚えている人も、まったく知らない若い世代の人も、同じようにコマネチの姿が思い浮かぶような気がするから本当に不思議だ。
コマネチご本人も2011年に来日した際に、ビートたけしと一緒に「コマネチ!」のギャグをして、公認の様だったからよかった。
ギャグと共に、日本人の間でも、コマネチの名は永遠不滅のものになった。

オリンピックで生まれたヒーローやヒロインを忘れがたいものにする大事な要素がもう一つある。
それは、オリンピックにおけるテレビ放送である。

スポーツ大会においても、社会現象と呼ばれるほどに日本国中の耳目を集めて話題になるには、条件があると思う。
それは全ての放送局で中継番組や、ニュース報道、情報番組が取り扱って初めて、日本を熱狂させるものになる。
今でこそ当たり前のようになったNHK、民放全局で取り組むジャパンプール=JP体制こそが、それを実現したといえるだろう。

実は、このモントリオール大会で初めてジャパンプール(JP)という組織体制が組まれた。
今ではジャパンコンソーシアム(JC)と呼ばれるもので、NHKと民放局が手を組んで現地制作に取り組んだのだ。
放送局の垣根を越えての番組つくりは、アナウンサーも自局のためではなく、日本代表チームのように派遣されたワンチームでオリンピックに臨んだのである。
日本テレビのアナウンサーの実況がNHKで放送され、NHKのアナウンサーの実況が民放で流れるという痛快な仕組みは、制作者たちをいっそうオリンピックにのめりこませる機会を創出した。

ただモントリオール大会の後の1980年モスクワオリンピックの放送権を、初めてテレビ朝日(当時、NET=日本教育テレビ)が独占する出来事が起きた。独占がすべて悪いとは言わないが、今までNHKを中心に広く放送されていたものが、1局になることで、やはり露出量は減ってしまうのだ。それでも当初プランでは、大型編成を組み、スタッフも大量に投入されるはずだったと聞く。
日本の参加ボイコットで、テレビ朝日の野心も完遂できなかったのは事実だ。

その反動かのように、1984年ロサンゼルス大会から、NHK、民放全局での放送権獲得、在京6局すべてでオリンピックが放送されるスタイルに大きく前進した。
JP体制の充実である。つまり共同で放送権を交渉し権利金を払い、かつ制作体制も全社で構築するものだ。
そして収入に関しては、電通が代理店としてスポンサー集めをし、放送局が高い放送権利金を支払ってもなお、営業黒字は2012年ロンドンオリンピックまで続いた。

放送側の営業収支はさておき、そのことで、オリンピックはさらに国民的関心事になっていく。
思えば視聴者にとっては、どのチャンネルで放送されようが関係のないことだ。
ただ、観たい競技がしっかりカバーされて、じっくり競技を見せてくれることが最優先なのだと思う。

つまり、アスリートたちの健闘が前提条件だが、それを事前から事後までメディアが盛り上げてこその社会現象なのだと思う。
最近では野球のWBC、ワールドカップでの森保ジャパンの活躍、世界バスケットなどが思い浮かぶと思うが、なんといってもオリンピックはその土壌が出来上がっている。
後は思う存分、アスリートたちにベストを尽くしてもらうだけだ。
そしてその社会現象は、何も金メダル獲得に限った事ではない。
感動や話題を呼び、人々の心にいつまでも残るエピソードにはそれだけではない魅力も時にあるから、スポーツは面白い。

2024年の現在のスポーツ関連の社会現象と呼べるものは、アメリカ・メジャーベースボール(MLB )で大活躍する大谷翔平であろう。
大谷の場合、もはや人物そのものと、彼の日常ほとんどすべてが、社会現象を起こすネタに溢れている。

もちろんこの選手の並外れた実績は驚くほどである。
二刀流で、ベーブルースの持つ、二桁勝利、二桁本塁打記録を103年ぶりに破った。
2度のMVPと日本人初のホームラン王も獲得した。
さらにグラウンドの外でも、全国の小学校へのグローブ寄付や、留学資金の援助提供、そして何より震災への義援金・・。
2度目の満票獲得MVP発表の際に、愛犬と一緒にテレビ出演しただけで、大きな話題になる。
愛犬の名は「デコピン」、それだけで世間はさらに盛り上がる。
デコピンの犬種は、オランダの狩猟犬がルーツという「コーイケンホンディエ」だが、問い合わせが殺到する。

2023年エンジェルスからドジャースへ移籍の際、驚愕の長期10年契約の総額7億ドル(約1015億円)も前代未聞だった。
そしてキャンプ初日から連日、今日はどのような練習をしたか、何を語ったか、こと細かくニュースが取り上げる。
そして大谷は、自身の結婚をX(旧ツイッター)で公表した。すると、すぐにテレビでは大谷ロスだという女性のインタビューが流れるといった具合だ。

加えて、社会現象と呼べるかどうかだが、スポーツ関連での流行語も、数多く一般に定着した。
何もオリンピックに限らない、様々なスポーツシーンにおいてである。

「それ、イエローカードだよ。いいやレッドカードだ」職場での上司のパワハラやセクハラまがいの言動に対して、陰でこう突っ込む。
「VAR発動だ」ワールドカップの三笘の1ミリに代表されるように、きわどいプレーになぞらえて、日常生活でも「VARもののぎりぎりだから」などと使ったりする。

あなたにとって、スポーツにおける社会現象と感じたエピソードは他にいくつあるだろうか。
私が真っ先に思い浮かぶのは、甲子園野球の「ハンカチ王子」だ。
2006年、夏の甲子園で優勝投手になった早稲田実業の斎藤佑樹は、マウンドで礼儀正しくハンカチで汗をぬぐう仕草で話題を集めた。
この愛称はマスコミによって一気に広まり、早稲田実業にはこのハンカチに関する問い合わせが殺到し、デパートではハンカチの売り上げが急増した。
後に斎藤投手のハンカチはニシオ(株)が製造・販売していた「GIUSEPPE FRASSON(ジョゼッペ・フラッソン)」というブランドのものだと判明したが、その時はすでに販売が終了していたため、その後ニシオはサンリオと提携し「幸せの青いハンカチ」と銘打ってハローキティの顔をあしらった青いハンカチを販売し約65万枚、約3億円を売り上げたから、すごい。

最近では「三笘の1ミリ」、「ペッパーミルパフォーマンス」だ。
2023年WBCでのヌートバーの活躍とペッパーミルパフォーマンスの影響で、普段日常の食卓でミルを使わない人まで購入し、ヒット商品になったほどだ。
ただ、いずれも言葉や背景の説明は不要なほど、多くの人の共通の記憶となっているものばかりだろう。

思えば、芸術や音楽、伝統芸能、スポーツ・・すべては人の営みの中にある。
高尚であるとか低俗であるとか、そういったことで、これら文化的活動を評価すべきではないと思う。
肝心なことは、多くの人が多大な関心を寄せて、メディアでも、今ならSNSでも盛んに取り上げられて、多くの人々が社会で共有すること、しかもそれが楽しく、我々の生活に潤いを与える様な話題になることだ。
コマネチ、ビートたけしの時代は、地上波テレビ放送というマスメディアが、その媒体の中心だったが、今ではSNSという手段で、あっという間に世界に拡散する。
手段はともあれ、そういった社会現象こそ時代を映す鏡であり、世代を超えて人の記憶にいっそう残るものなのだと思う。

そんな社会現象にまで昇華する素敵なエピソードなら、いつの時代も大歓迎である。
人々の記憶にいつまでも深く刻まれるのなら、それがギャグによろうが、つけられたニックネームによっても構わないではないか。
誰も傷つけない、それどころか、そうしたことでスポーツの記憶が、いつまでもいっそう輝くのなら。

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