福田 泰久(ふくだ・やすひさ)プロフィール
都立日比谷高校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。
日本テレビ放送網に勤務。1981年入社から2022年退社まで主にスポーツ番組制作に従事。
プロ野球巨人戦中継、箱根駅伝、サッカー、ゴルフ中継など延べ35年間スポーツ制作に関わる。
91年世界陸上の国際信号制作ではトラック競技を担当し、C・ルイスの当時世界新の映像を全世界に届けた。
1993年のJリーグ開幕の時にサッカープロデューサーを担当しヴェルディの初代チャンピオンを見届けた。
野球中継のプロデュ―サーとしては2000年巨人のミレニアム優勝と日本シリーズにおけるON監督(王、長嶋)決戦を経験した。
オリンピックは夏冬合わせて11回現地で業務、サッカーワールドカップは7回現地取材。
ラグビーワールドカップ現地3回取材、スーパーボウル現地経験5回。
2014年から2021年まで東京オリンピック・パラリンピック組織委員会に兼務出向し放送部門のヘッド・オブ・ブロードキャストを務めた。
日本テレビではアナウンス部長、東京ヴェルディ、日本テレビサービス取締役も経験。
各種大学でスポーツとテレビ論などを題材に講義経験あり。上智大学、法政大学、東京経済大学など。
著書
初めての著書「World Cupの記憶」が好評発売中
ドーハの悲劇の中山の慟哭、ラモスが神様と呟いた瞬間、ジダンの頭突き
印象的なあの映像の裏側……。「一緒に歩んだ同志のよう」と三浦知良氏が語るテレビマンだからこそ語れる映像の歴史!
私がこの本を出版したのは2022年FIFAワールドカップの直前の11月のことだ。8月末に日本テレビを定年退職した私は、常日頃から自身の様々な経験を次の世代に継承できたらいいなと感じていた。テレビ局での35年以上のスポーツ制作体験は失敗もあったが、素敵な思いもさせてもらえたもので、共通の財産にできたらと考えた。まずは7回の現場経験をしたFIFAワールドカップの記憶をもとに、自伝的な部分もあるが、スポーツへの賛歌、リスペクト、映像論やテレビ制作の哲学も込めたつもりである。
日本代表の歩んだ苦難の道も、2022ドーハの歓喜への期待感も、そしてカタール大会でも話題になったVARの初導入からの歴史なども、本書には書き記した。そしてキーワードは、いつまでもサッカーへの憧れを忘れない少年の純粋な思いである。そうした情熱の継承こそが日本のサッカー文化を育んでいくと信じている。
スポーツの本質を描き、魅力を引き出すことにテレビは大きな力を持っている。事実、スポーツの発展にテレビ放送が果たしてきた役割は計り知れない。その現場には常に勝者と敗者が生まれるが、光と影、歓喜と悲劇はいつも隣あわせだ。そこで起きたことは全てが事実である。
光をあてたものは永遠に映像の記録となり、物語は語り継がれて忘れられない記憶となっていく。しかしカメラで撮らなかったものは何も起きなかったこととして闇に葬り去られる。
テレビがありのままに表現した、勝者も敗者もない美しいプレーの数々、明日それらを真似しようという少年たちがきっと増えるに違いない。
彼らはスタジアムにも足を運び、憧れの妙技に酔い、友と語り合う。
やがて夢を叶えた少年は、今度は表現者の側に立ち歴史を紡いでいく。
4年に一度、忘れがたいエピソードに溢れた世界は間違いなく素敵だ。
日本もいつか豊かなスポーツの王国になれる日が来るだろうか。
(カバー折り返し文より)
「早稲田学報」2023年4月号 書評
嗅覚を働かせて材料を集め、理想のシーンを画面上に創造する。その一点凝縮のために放送局のディレクターは、あらかじめあちこち歩き回ってさまざまな世界を訪ねていく。いったん中継車に入れば、機転を利かせると同時にこだわりを捨てないという二律背反の決断を求められる。昭和から平成にかけてしのぎを削ったメディア環境の中で、同時代に放送業界に籍を置いていた私には、壁にぶつかるたびにスマートにハンドルを切った筆者の胸の内をまざまざと見て取ることができた。
この書の語り口の特徴は、切り替えの早い時代描写である。ページを繰れば、W杯サッカーの歴史がハイライト番組のように展開されていく。それだけではない。テレビを通じてドライに勝負を届けているはずが、サッカーへのウェットな感情が吹き出して止まらない。多彩に歩んだ人生は、区切りをつけたと語ってなお幕を引く様子はない。福田泰久のエネルギーは尽きることを知らないのだ。
山本 浩(元NHKスポーツアナウンサー、法政大学スポーツ健康学部教授)