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FIFA女子ワールドカップの風③ ~開催国チームの躍進が生むもの~

女子オーストラリアサッカーチームの愛称は”マチルダズ”という。
その名前の由来については、オーストラリアを代表する歌とされるワルチング・マチルダにちなむ。
その曲は国歌と同じように国民に愛されているとも聞く。日本チームが”なでしこ”で親しまれるように、愛称はより選手たちを身近に感じ、愛情すら感じるものだ。
その”マチルダズ”の快進撃は地元開催で初のベスト4という歴史を作ったが、残念ながら準決勝でイングランドに3対1で敗れ去った。
8月16日のスタジアム・オーストラリアは何と75784人の大観衆を集め、スタンドはナショナルカラーの黄色一色に染まった。
正直に言うと私は最近、7万5千人の観客を飲み込んだスタジアムに居合わせたことがなかった。
東京の国立競技場などでも、超満員になっても6万人台の収容力と実績しかないわけで、いかにこの集客がすごいかをわかっていただけると思う。
思えばオーストラリア国内の大会盛り上がりはすごかった。共催であるニュージーランドも開幕戦で強豪ノルウェーを破るなどスタートし、なんといってもオーストラリアは快進撃を続けて準決勝まで来たから、開催国は大きな風を受けてきたと思う。

実は、デイリー・テレグラフ紙(豪州版)が試合前に「キャシー・フリーマンに勝つことができるか?」と大きく報道し、この試合でのテレビ視聴者数最多記録の23年ぶり更新へ期待を寄せていた。キャシー・フリーマンとは2000年シドニーオリンピック女子陸上400m金メダリストで、その時のテレビ中継が豪州国内での視聴者数880万人と歴代最高だった。
今大会のオーストラリア女子代表は準々決勝では優勝候補の一角であるフランスをPK戦の末に下し、同国史上初のW杯準決勝という快挙を達成し、同紙は「この試合のテレビ視聴数は417万人が観戦したが、この数字にはバーなどの飲食店やパブリックビューイングなどでの観客は含まれていなかった」と説明。
「オーストラリア人がスポーツイベントにこれほど興奮したのがいつだったかを思い出すのは難しい。本当にびっくりするような出来事だった。
この勝利をきっかけに国内での関心はさらに高まっており、いよいよ23年間続いてきた視聴者数の史上最高記録を破れるかもしれない」と報じていた。

試合は前半36分にイングランドのエラ・トゥーンがが先制したが、後半18分にオーストラリアにスーパーゴールが生まれて、地響きのような歓声の後スタジアムがまさしく揺れた。エースストライカーのサム・カーがイングランドDFに囲まれながら右足の強烈なミドルシュートを見事に決めたのだ。
オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパと3つの大陸リーグで得点王を獲得してきた絶対的なエースは、今大会予選グループ含めて右足の故障からフル出場がかなわずにいたが、ここへきてのキャプテンの活躍がマチルダズの仲間をさらに鼓舞し、スタジアムに熱狂を呼ぶ。
奇跡のようなドラマが期待されたが、そのあと後半の中で最低2回はあった絶好のチャンスを、カーはゴールに結びつけることはできなかった。
同点のまま進んだ試合は、終盤に入り後半26分オーストラリアDFの一瞬の競り合いからのミスを突いたイングランド・ローレン・ヘンプが2対1とし、最後はカウンターから後半41分にルッソが3点目を挙げて試合を決めた。イングランドにとっても初の決勝進出で、スペインとの対決となった。
惜しくも敗れたオーストラリアだったが、開催国代表としての快進撃と、この日のサム・カーの歴史的なスーパーゴールは後世に語り継がれるに違いない。

そして注目の視聴者数が準決勝の翌日17日に発表された。
オーストラリアは1-3で敗れたが、国の全人口約2500万人のうち驚異の1150万人が視聴し、平均視聴者数は713万人だったというから、とにかく歴代最高を記録した。
国民のほぼ半分が何らかで放送に釘付けになったということだから驚異的だ。
またオーストラリアのテレビ局チャンネル7によれば、2001年に現在の視聴率のシステムが導入されて以来、スポーツ以外も含めて最も見られた番組になったという。詳細数字データは把握していないが、発表されたデータには、有料放送のオプタス・スポーツなどで視聴した人は含まれていないというから、とにかくホスト国オーストラリア中が熱狂した大会の証といえるだろう。

昨夜の試合を地元メディアはどう伝えたか。
朝からチャンネル7は、サム・カーのゴールを何回繰り返し放送したことか。しかし何度見ても素晴らしいゴールであった。
併せて地元のライブサイトにおけるファン興奮の様子から、スタジアムに向かう臨時直通電車の超満員の様子まで伝え、キャスターもやや興奮気味であった。
ちなみに豪州内の放送権はオプタス・スポーツが獲得し全試合を有料配信し、オーストラリアの試合や決勝戦などの権利をサブライセンスという2次的な購入を果たしたチャンネル7が無料放送を行なっている。
新聞メディアはどうだろうか、デイリー・テレグラフ紙(豪州版)を街中で購入した。
表紙の写真は額に手を当てた傷心のサム・カー。「ハートブレーカー(胸が張り裂ける思い)」の一行が大見だしに違いないが、小見出しはこう踊っていた。
「キャプテン、サム・カーのワールドカップ史上、最も偉大なゴールの一つでさえマチルダの夢が続くことに足らなかった。心がねじれるような喪失にもかかわらず、私たちの緑と金色のユニフォームの女性たちは我が国のスポーツの景色を永遠に変えた。
マチルダズよ、私たちはあなた方に敬意を表します。」
さらに裏面には「マチルダズのワールドカップ制覇の夢は27日間で終わった。6試合での10のゴールはオーストラリアのスポーツを永久に変えて見せた。すべての国民から、ありがとうを言おう」

もしなでしこが今大会で2度目の世界一になったとしても、さすがにここまでの日本メディアの扱いがあったかどうか。
もちろんオーストラリアは過去ワールドカップで躍進的な結果を出していなかったこともあったが、なんといっても今回は開催国としての注目と誇りが、ここまでの国民的人気と称賛を集めたのだと思う。地元のメディア関係者のみならず、街中の一般人に聞いても、女子サッカーがこのように特別な人気がずっとあったわけではないという。
ただオーストラリア国民はスポーツが大好きらしく、ラグビーやクリケット、バスケット、そしてサッカーにも競技としての魅力は見出していたと聞く。
やはりワールドカップやオリンピックなど地元開催の大会はやはり特別なものだ。男子や女子のスポーツの区別ももちろんないし、種目の隔てもない。
そして開催国が長い時間をかけて準備した様々な要素が、大会を忘れられないものにするのだろう。
国を挙げての運営準備と受け入れ、設備投資、観光プロモーション、経済効果への期待も込めて献身した部分もあるだろう。
数えきれない関係者、ボランティアも多くかかわったに違いない。
そうしたことが老若男女それぞれに様々な思い入れを生み出し、大会には国民的な期待が寄せられたはずだから盛り上がるのは当然かもしれない。
賛否両論あるFIFAの参加国24チームから32チームへの拡大による試合数増加、男女平等を標榜する大会賞金引き上げの話題、LGBTという多様性の時代なども大会に新しい風を送り込んだかもしれない。
しかし、なんといっても最後に魔法をかけるのは、アスリートたちの活躍であることは間違いない。
そしてマチルダズには19日ブリズベンで、スウェーデンとの3位決定戦が待っている。
実は、とても気の早い話だが、2032年夏のオリンピックはそのブリズベンで開催されることが既に決まっている。
オーストラリアにとって、さらなる新しい歴史を作るのに、ふさわしい場所になるかもしれない。

今大会は、実は日本も開催地に立候補していた。
結果的にオーストラリアとニュージーランドによる共催に決まったが、日本サッカー協会の田嶋会長は2031年か35年になるが、そのときの大会開催を取れるようにしたいと、今後ふたたび自国開催の実現を目指す考えを語っている。
今大会のなでしこが見せた美しい奮闘をテレビで見た小学生から高校生までの幅広い少女たちが、なでしこに憧れてサッカーに真剣に取り組むかもしれない。そして日本で女子ワールドカップ開催を迎えたとき、この国にはどんな風が吹いているのだろうか。

(追記)
8月18日今朝の地元チャンネル7の放送では、オーストラリアは2034年に男子のワールドカップ開催に意欲を燃やしているというニュースが流れた。
日本についてはどうなるであろうか。2002年に日韓共催で経験したあの男子ワールドカップの熱狂は再び戻ってくるのか。自国開催については、サッカー以外でも様々な話題がある。例えば、夏季東京オリンピックの汚職事件や談合疑惑などで、2030年冬季オリンピック開催に意欲を燃やしていた札幌も招致に踏み切れないでいる。しかし今年の8月には沖縄でバスケットボールのワールドカップが開催され、2025年には東京で世界陸上が開催される。いずれにしても今一度、世界的なスポーツ大会を開催する意義を考えてみたい。そして自国開催の持つパワーが、大きな風を吹かすのを日本でも見てみたい。

2023年8月16日 準決勝「オーストラリア対イングランド」の観客数は75784人、凄まじい歓声に会場のスタジアム・オーストラリアが揺れた。

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