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偉大なる、おっさんずアスリート ~スキージャンプ葛西紀明の、やめないよ~

スキージャンパ―葛西紀明、51歳。
失礼ながら、世の中ではもう十分におっさんである。
1972年6月6日生、北海道下川町出身、土屋ホーム所属。
オリンピックには通算8回出場し、1994年リレハンメル大会で団体銀メダル、2014年ソチ大会では個人ラージヒル銀メダル、団体銅メダルなど輝かしい戦績がある。
誰もがおいそれとまねのできない、素晴らしいキャリアと記録を持つ、スーパーなおっさんなのだ。

またスキージャンプ・ワールドカップには1988年に初出場して以来、36年間も飛び続けてきた。
そして今年の2月18日、通算571戦を達成し、最年長出場でも51歳257日と、またまたギネス記録を更新した。
当然、長く選手生活を続けていなければ達成できないものである。
小学3年生でジャンプに出会い、15歳にして大倉山ジャンプ台にデビューした男の言葉には今でも驚かされる。
「自分はまだオリンピックで金メダルを獲っていないので、まだ這い上がっている最中です」と。

「たくさんの方が『よかったね』と声を掛けてくれたが、僕にとってはまだまだ通過点。もっともっと試合数を重ねて、600試合を目指して頑張っていきます」と記録更新に満足する様子もない。
最年長記録で目指す数字については、「この年になっても全然疲れも衰えも感じていないので、いけるところまでいきたい。
今51歳、とりあえず次60歳までやってみて、そこからまた先は決めたいなと思います」とのコメントに驚いた。
まだまだ現役を退くつもりなど毛頭ない、つまり、「やめないよ」ということなのだ。
60歳還暦で現役という、具体的な設定まで口に出すこと自体、スキージャンパーとしてあまりにも凄すぎる。

「やめないよ」というフレーズは、サッカーの三浦知良、KAZUの書いた本の題名からの引用である。(新潮新書2011年発刊)
その本には、以下の様な言葉の数々が並んでいる。

「人生は、いつの瞬間だって挑戦なんだ」
「今でも自分がうまくなれる感触がある」
「僕は学び続ける人間でいたい」
「常にその時点でのベストを目指す姿勢でいたい」

その本はカズが44歳になった2010年に書かれたものだが、当時Jリーガーとして現役を続けることに誰もが驚いた。
常識的な選手生命から考えれば、いつ辞めてもおかしくないと巷で言われることに対して、カズは「やめないよ」と言ったのだろう。

かつて1995年、イタリアのジェノアでプレーしていた28歳のカズにインタビューをした時のことだ。
「いろいろ挑戦していくには時間が足りない。50歳までやれたらどんなにいいか」と真顔で語った。
ドーハの悲劇でワールドカップに出られなかった。当時所属したセリエAでは1ゴールしか記録できなかった。
1993年Jリーグ初代MVPが、もがいているような時期ではあった。
その後のワールドカップ出場に向けて、自分がもっとうまくなるにはどうしたらいいか、いくらトレーニングしても、いくら経験を積んでも、まだ成し遂げていないものがあるうちはやめられないと解釈した。

しかしその後、カズは自身のワールドカップ出場に関しては現実的ではなくなっても、「やめないよ」なのだ。
現在56歳になっても、いまだにポルトガルリーグ2部のプロ選手として頑張っている。
そして、60歳まで現役のサッカープロ選手を続けたいと、日々精進しているのだ。何も今更ワールドカップに出ることが目標ではないはずだ。
自分の中で、まだまだ成し遂げていない、言葉を換えれば、まだまだ超えられる自分がいるからこそ競技を続けるのだと、そしてそれが生きがいなのだと、私は理解するようになった。

現在51歳の葛西は、カズよりは5歳年下であり、このサッカー界のレジェンドを尊敬し、自分が長く競技生活をする励みにしていると、色々なところで語ってきた。
葛西もまた成し遂げていないという意味合いは、必ずしも金メダルを獲得していないということではないと思う。
達成感は、自分の限界を超えていくことにあるのかもしれない。
さらに、『この年齢で頑張ってるね。俺も仕事頑張ろう』。そう言ってもらえるだけですごく嬉しいことなので、まだまだ出来るんだぞっていうのを皆さんに伝えていきたいし、55になっても、60になってもできるよっていう、それを伝えていきたいという言葉も残している。まさに世の中のおっさんたちの、希望の星でもある。

葛西とカズ、両者には共通点があるとよく言われる。
もちろん競技の特性も全く違えば、団体スポーツと基本的に個人のスポーツとでは単純比較など到底できないのは事実だ。
しかし、どちらのスポーツの世界でも、肉体的な面も精神的な面においても、50歳を超えてなお一線で活躍することは2人とも超人的なことであると思う。

そしてアスリートにとって、一般的に外から見ると、耐え難いだろうと思える経験していることだ。
自分が目指した道の途中で一番達成したかっただろうものを、その時には手に入れることが出来なかった悔しい思いだ。
本人たちがどう思ったかは別にして、挫折と言えばわかりやすいのかも知れない。

サッカー日本代表が初めて出場を決めた1998年ワールドカップにおいて、カズは最終メンバーから落選した。それまでプロ化された日本サッカー界をリードしてきたのは間違いなかったし、憧れ続けたワールドカップだった。
欧州に渡っていざ本番直前の最終発表に、本人ならず多くの国民が驚く出来事だった。
葛西については、地元開催の長野オリンピックで金メダルを獲得した団体での出場メンバーから漏れた。
1994大会ノーマルヒル5位、1998大会でも7位と、当時日本の中では一番力と勢いがあると言われた。
25歳という若さと豊富な経験が融合した時期での、長野大会でもあったはずだった。しかし事前のケガが原因で、団体チームでの歴史に残る栄光を逃したのだ。

それを乗り越えてカズはJリーグのみならず、海外クラブへ再びチャレンジを続けていった。
葛西もまたオリンピックに出場を続け、41歳で迎えた2014年ソチ大会では、個人ラージヒルでの銀メダルも獲得した。

そうした栄光にまだまだ満足しないということだろうか。歳を重ねて肉体的には厳しくなる中で、いまだに競技を極めようという情熱、まだまだ上を目指す志、そのための鍛錬、意志の強さはどこから来るのだろうか。
2人とも、もちろん単にギネス記録や最年長記録といった、数字を残すためにに競技を続けているわけではない。
その競技が大好きで、自分の限界をつくらず、それを超えていくことこそが人生という考えこそが、やめない理由なのだと私は考える。
カズからは、いくつになってもサッカーを続けるのは、「息をしているのと同じだから、当たり前なのだ」と聞かされた。
葛西にも、同じような感覚があるのだろうか。いつか直接たずねてみたい。

若いころより疲労の回復が遅かったり、けがをする可能性も高まっていくと容易に想像できる。
葛西は減量が一番つらい、筋肉痛まで起きると告白している。
くれぐれもけがの無いよう、おっさんずアスリートの代表として、いいパフォーマンスをまだまだ見せてほしいと願う。
葛西は、まずは2年後の2026年ミラノ・コルチナダンペッツォ五輪への出場を目指していると聞く。
もしその願いが叶ったら、冬季五輪出場は9回目となる。
その時は超人、いや、もはやスキージャンプの神様と呼んでもいいだろう。
過酷なスポーツにおいてオリンピック出場という、トップクラスを維持するのはあまりにも難しいことだから。

それでも葛西紀明は言うのかもしれない。
いやいや、スキージャンプがいつまでも好きだから、自分の限界に挑み越えたいから、応援してくれる人がいるから・・
だから、やめないよ。

2月22日追記)
葛西紀明が今年のワールドカップ終盤戦の遠征メンバーに名を連ねた。3月1日のラハティ(フィンランド)大会から参加すると、全日本スキー連盟が22日、発表した。葛西が海外ワールドカップに参戦するのは2019年12月以来の4シーズンぶりのことである。
葛西は17日に札幌のワールドカップ個人第19戦で30位に入り、上位30位以内に与えられるワールドカップ杯得点を獲得して、個人総合で日本勢6番手に浮上。4番手だった中村直幹が腰痛で辞退したことで機会が巡ってきた。札幌では個人第20戦にも出場し、自身が持つ最多出場記録を571試合に更新したばかりである。

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