topics

パリオリンピックへの厳しい道のり ~なでしこ最終予選のドラマ~

アスリートでもないのに、試合に出るわけでもないのに、間違いなく心拍数が上がって、ハラハラドキドキする時がある。
いつもなら、勝負は時の運と冷静に、また相手への拍手も忘れないのだが、ついつい日本のピンチには危ない!と声が出てしまう。
日本のチャンスには「それ行け!」と叫びたくなる。
日本人として、やはり「がんばれ!」と日本を応援している自分に気が付く。
今年はオリンピックイヤーだけに、やはりそんな気持ちにさせる様々なスポーツシーンに、幾度も出くわした。

2月の女子サッカーのパリオリンピック最終予選は、北朝鮮とのホーム&アウェーの一騎打ち。勝った方だけが出場権を得る。
アジアからの出場枠はわずか「2」、本大会は12チームという狭き門なのだ。

加えて今回の北朝鮮との最終予選においては前代未聞の出来事が、なでしこに苦難をもたらした。
2月24日の北朝鮮のホーム試合が、平壌での開催に対して、定期航空便がないことや試合運営の脆弱さなどから、AFC(アジアサッカー連盟)が介入した。
第3国開催を模索するうちに迷走し、サウジアラビアのジッダに決定したのが試合日の4日前、キックオフタイムなど詳細決定は3日前と異例の事態となったのだ。
ローマに所属する熊谷紗季はローマから日本に移動し、一日練習しただけでまたジッダに移動という、弾丸ツアーのような、過酷スケジュールとなった。

そして直前の長距離移動や日本より気温の高いジッダの環境に苦しみ、24日の第1戦をなでしこは0対0で引き分けた。
北朝鮮も鋭い攻撃力と、あたりの強さで実力の高さを見せつけて、負けないでよかったといえる試合でもあった。
思えばFIFAランキングも日本が8位なら、北朝鮮は9位、通算対戦成績もアジアで唯一日本が負け越していることも、緊張感を増大させた。

20年前の2004年4月にも、アテネオリンピック出場を懸けて死闘を繰り広げた因縁もある。
当時「アジア最強」と呼ばれた北朝鮮に対し、東京・国立競技場を舞台に3対0と勝った。
日本は2000年シドニーオリンピック出場を逃し、国内では景気低迷の影響で女子チームの企業撤退も続き、国内Lリーグの集客もままならなかった。
しかし、あの時の北朝鮮戦では3万1324人もの観客を集め、アテネ大会では優勝したアメリカに準々決勝で敗れたものの、これが「なでしこブーム」の出発点になり、2011年のワールドカップ優勝にも繋がっていった歴史がある。

そして今回のホーム国立競技場での2戦目もまた、女子サッカーの命運をも懸けた大一番となった。
試合前に、テレビ解説(NHKとDAZN)で来ていた、元なでしこの岩清水梓、岩渕真奈さんを見かけた。
クラブチーム、ベレーザの試合では、観客が数百人しかいなかった時代を知っている二人だ。
現チームキャプテン熊谷とも一緒にプレーした2011年世界一メンバーだが、今は応援するしかない立場だ。しかし後輩たちの懸命な覚悟を信じていた。

「勝たなきゃ本当に全て終わり」とまで選手に言わせた運命の試合が始まった
肌寒い国立競技場には2万人の観衆が訪れたが、事前に報道されていたようにアウェー側の北朝鮮応援サポーターがやたらと多く感じた。
赤いユニホームにスティックバルーンと、一糸乱れない応援が、日本にとってプレッシャーのように映る。


前半、北朝鮮のシュートを熊谷が気迫で止めた数分後の25分、日本が待望の先制点を挙げる。ゴール前のこぼれ球を高橋はなが押し込んだ。
北朝鮮のサポーター席が一瞬静まり返った。
前半終了間際、北朝鮮のヒールキックによるゴロのシュートを、日本GK山下杏也加がゴールラインぎりぎりでファインセーブした。
あの「三笘の1ミリ」もセーフだったが、こちらは「山下の1センチ」だろう。
VARの無いこの試合でも、視覚的にもゴールは割っていないと私は確信した。
そして後半32分、右サイドから清水理沙が相手DFの股抜きからの正確なクロスを送り、20歳の藤野あおばがヘッドで2点目。
日本サポーターは勝利を確信したような喜びようだった。
しかし北朝鮮も36分にキム・ヒヨンが1点を返し、凍り付くような緊張感のあるおよそ10分間が流れた。
さらに5分のアディショナルタイムを経て、ついに日本は2対1と勝利し、パリへの切符をつかんだのだ。

試合そのものも大変タフなものだった。
そしてアウェーで味わった前代未聞、起きてはならない試合開催地問題は厳しい苦難だった。
苦難と言えば、今年元日に起こってしまった能登半島地震が思い起こされる。
まだまだ厳しい冬の避難生活など、復興に向けて、いまだに能登の人々は苦難の道を歩いていると言えよう。
試合後、「被災地に力を」のフラッグを持ち場内を一周するなでしこの姿を、NHK総合テレビ・全国ネット地上波で、能登半島の方々のみならず全国多くの人が観て、元気をもらったかもしれない。
またスタジアム内のリボンビジョンという回転式の細長い映像ビジョンには、能登半島で被災された全ての市町村の名前が表示された。
「がんばろう鳳珠郡穴水町」「がんばろう鳳珠郡能登町」「がんばろう輪島市門前町」・・・がんばろう、がんばろう。
復興へのエールを乗せて、何回もぐるぐると会場を回り続けた。

なでしこジャパンが世界一に輝いた2011年は、東日本大震災の起きた年であった。
決勝戦、アメリカにリードを許し絶体絶命のピンチから、澤穂希が奇跡の同点ゴールを生みだした。
あきらめない力が、何かを生み出すと強く信じることが出来た。
そうしたなでしこの活躍が、当時多くの被災者をはじめ、日本全体に元気を与えたという声が多く聞かれたのを思い出した。

この日の試合前の国立競技場でのセレモニーも印象的だった。
300機とも言われる、多数のドローンによるイルミネーションで描かれた文字は「全員で勝ち獲ろう」。
その日のその瞬間は、共通の目的に向かって、日本国民全員で応援し、勝ち獲ろう。それがどんなことでも全ての力となる、という意味だと解釈した。

また試合後の北朝鮮のサポーターの姿も印象的だった。
勝利した日本・池田太監督のインタビューが場内にもアナウンスされ、会場にも向けて感謝を述べたときに、北朝鮮サポーター席でも何人かが拍手をしている姿が、プレス席から遠めに見ても分かった。
もちろん全員ではなかったように思うが、試合中には一糸乱れなかった姿が少しだけ乱れた。
そして北朝鮮監督は試合後記者会見で、「ともにいい試合をした」「判定に釈然としない部分もあるが、あくまでも主審の判断にのっとって最後までフェアプレーを心がけた」と述べ、最後に涙で言葉を詰まらせながら「応援してくれた同胞の皆さんにいい結果をもたらすことができず、大変申し訳ない気持ちでいっぱいだ。これからもっといいプレーを見せられるように努力していきたい」と語った。

パリ大会出場を果たしたのは、なでしこだけではない。
バスケットボール男子が48年ぶり、ハンドボール男子が36年ぶりに、開催国枠でなく自力で五輪への道を切り開いた。
女子はバスケットボールやホッケー、男子は水球やバレーボールも既に出場を決めている。ラグビー7人制は男女ともにパリへの切符を獲得している。
今回のなでしこを入れて、日本勢は五輪で実施される全ての団体球技で、少なくとも男女どちらかは登場することになった。
そもそもオリンピックの球技における出場国は、バスケットボール、バレーボール、ハンドボール、ホッケーすべて男女共に12か国などと、本当に狭き門だから、日本全体として素晴らしい快挙と言えるだろう。

この夏パリでは、きっと多くの競技において、日本を元気にしてくれるアスリートたちの活躍を期待する。
もちろんアスリートたちは、金メダルやいい成績を求めて戦うはずだが、観戦する側は、結果のみならず、その道筋を楽しんで応援しようではないか。
ここまでの苦難の道を歩んだアスリートたちの晴れ舞台に拍手を送りながら、ハラハラドキドキすればいい。
ベストな成績を目指す、その努力の結果を見届けることで感動が生まれる。
日本に勝ってほしいと願い、大げさかもしれないが、応援することで、生きる活力、元気も貰おう。
少しずつでも日本全体が明るくなるはずだ。
そして相手選手たちへのリスペクトも、常に忘れないでいたい。
やはりスポーツには、人を動かす力がある。



「被災地に力を」パリオリンピック出場を決めたなでしこジャパンは明るかった。スタジアム全体に「がんばろう」の文字が浮かび上がり幸せな時間が流れた。

-topics