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パリオリンピックの煌めき⑨ ~なでしこジャパンの風はもう吹かないのか~

光は美しく煌めく時に、人の心にまで届くが、ほんの一瞬で消えてしまうことがある。
風もまた、吹き抜けた時にさわやかで大きなインパクトがあるが、やんだ時に人はその気分を忘れてしまう。

パリオリンピックでのなでしこジャパンは、準々決勝でアメリカに0対1と敗れてベスト8にとどまった。
女子サッカーにおいて常に最先端をいっていたのがアメリカであり、日本はそんなアメリカに追いつき追い越せとばかりに進んできた歴史がある。
勝てるなでしこと言われた今回のチームに、立ちはだかったのがアメリカだったとは因縁めいたものを感じずにいられない。

日本女子サッカーの歴史において、大きな風が吹いた時があった。
ドイツで開催された2011年FIFA女子サッカーワールドカップにおいて日本代表チーム”なでしこ”が見事に世界一に輝いた時だ。
当時絶対的な王者であったアメリカに1対1の同点から、決着をつけるPK戦で勝ち取った栄誉だった。
特に試合終了間際に、CKから澤穂希の芸術的なヒールキックによる同点ゴールは奇跡的で、最後まであきらめない姿勢こそが大事だと多くの人に勇気をもたらした。
その年の3月11日に東日本大震災が起きた。
多くの犠牲者と悲しみを生み出したこの悲劇に日本中が暗く落ち込んでいた。
そんな状況の7月に”なでしこ”の大活躍は、被災して苦しむ日本人に一筋の光を照らしたかもしれない。

その翌年2012年、ロンドンオリンピックではアメリカとの再戦となる決勝で敗れたものの、見事に銀メダルを獲得し、女子サッカーの存在を世の中に大きくアピールした。
主力メンバーであった澤穂希はじめ、宮間あや、川澄奈穂美、丸山桂里奈らがテレビにも多く登場し知名度も高まった。
長く男子に比べて人気で劣る女子サッカーの将来が明るいと感じれらた。

しかしワールドカップ初優勝、オリンピック銀メダルの偉業も、その後の普及やリーグの成長には結びつかなかった。
2021年にようやくプロのサッカーリーグである”WEリーグ”がスタートし、年間平均観客数5000人を目指していたが、初年度は平均1560人と伸び悩んだ。
2年目も平均1401人とさらに低下し、集客力が課題となったままだ。
テレビ放送もDAZNの有料配信では全試合視聴が可能だが、男子のように地方局の地上波やBSなどの放送機会には恵まれないでいる。
そして通常のDAZN中継では、試合後のインタビューすら実施できないほど放送制作費は切り詰められている。
スポンサー集めに苦労し、クラブ経営の予算も厳しいものがあると聞く。

世界一を極めた競技種目でも、風がやめば話題に挙がる回数も減り、リーグ戦の集客もままならない。
いつもなでしこの選手たちは、オリンピックなど大きな大会のたびに、健気にこう語る。
「ここで結果を出さないと、また女子サッカーの人気が低迷するから、絶対に負けられないのだ」と。

世界一になっても、世間の認知度が低いという歴史を、パリオリンピック金メダルのアメリカは過去に何度も経験していた。
1999年にワールドカップ初優勝を果たしながらも、プロリーグは何度も挫折を繰り返した。
アメリカの女子サッカーのプロ化は2001年と早かったが、スタート時のWUSA(Women's United Soccer Association)はわずか3シーズンで廃止、6年の空白の後2009年からWPS(Women'sProfessional Soccer) が開始されたが、資金難などを理由にわずか3シーズンで終了。
2013年にようやく今のNWSL(National Women's Soccer League)が8チームでスタートし、現在では12チームのプロリーグとして人気を博すようになった。
2022年のシーズン平均観客数は7894人と伸び、開幕戦平均では1万人も突破したと聞く。
アメリカでも数々の苦難を乗り越えてようやく市民権を得たプロリーグであり、いばらの道を進んできたのだった。

長くアメリカ女子サッカーのアイコンと言われ、象徴だった選手が、メーガン・ラピノーだ。
今回のパリオリンピックの決勝戦でも、スタジアムで応援する姿を国際信号の映像に捉えられた伝説だ。
昨年のワールドカップで引退したが、彼女の著書「ONE LIFE ミーガン・ラピノー自伝」(海と月社)では、彼女の生きざまと共にアメリカ女子サッカーの地位の変遷、アメリカ代表のピッチ内のみならずピッチ外での闘いの歴史を赤裸々に書き残している。

「アメリカの女子サッカープロリーグの歴史は、事業の失敗、資金不足、少ない観客、大きな失望の歴史だ。選手が無報酬または少額の報酬でプレーを続けてきた歴史でもある。」
「2011年のワールドカップは視聴率がとんでもなく高かったのに、2015年は前段階の時点ながら、世間の関心があまり高くなかった。大規模な壮行試合が数回開催されたものの、FIFAも米国サッカー連盟もろくにプロモーションしてくれず、毎度のことながら意気消沈させられた。つまり、これまでの実績なんて無視。女子代表はいつだって、ゼロから始めなければならないのだ。」
あのアメリカも、優勝しても地位や待遇は改善されず、スポンサーもつかないプロリーグ戦は衰退を繰り返していたのである。

日本の女子サッカーの地位向上や認知度アップも、オリンピックやワールドカップの開催ごとに話題になる。
資金不足、少ない観客・・ラピノーの回顧がよみがえる。
ラピノーが書き記したアメリカにおける女子サッカーの苦難の歴史と地位獲得へのアプローチが、そのまま日本のサッカーの参考になるわけではないと思う。
しかし一つの大会の成功や失敗に一喜一憂することなく、地に足を付けて確実に歩みを止めないこと、あきらめないで関係者一丸で裾野を広げる努力をすることの重要性をアメリカの苦難の歴史から学ぶこともできる。

もともとアメリカは女子スポーツを推奨するため男女平等の奨学金を提供する法律まで1972年に制定され、大学スポーツにおけるサッカー振興や普及がベースになっている強みがあったのは事実だ。
だからこそ160万人を超える女子サッカー登録者数を誇っているのだろう。
しかし日本サッカー協会も、サッカーとの出会い創出の推進のためにディズニーとタイアップしたり、高校生世代の大会運営変革やトップ強化と両輪で進める普及活動を通じ、2030年には登録選手数20万人を目指している。
幼少期にサッカーボールに触れて楽しかったのに、高校世代から部活動の環境も整わず、サッカーから離れていく事実は残念だとずっと思っていた。高校の部活動がバレーボールやバスケットボール並みに当たり前になることこそ底辺の拡大につながると思うのだが。
男女イコール社会の実現をスポーツ界でもさらに推進するのには、政府や教育機関など機構的な改革の継続も求められると思う。

実は、パリオリンピックでも風が吹いたと感じられた一瞬があった。
グループリーグ初戦で昨年のワールドカップ王者スペインに1対2と敗れ、2戦目のブラジルとの試合でも後半アディショナルタイムまで0対1とリードを許し連敗の危機を迎えていた。連敗ならグループリーグ敗退は決定的だ。
しかしその苦境からなでしこは這い上がった。
後半もアディショナルタイムに入ってからのPK獲得。これをキャプテン熊谷が冷静に決めて同点。
そして谷川萌々子が、約30メートルのロングシュートでゴールネットを揺らし、逆転勝利した。
素晴らしい状況判断とキック力だった。なかなか見られない劇的ゴールにミラクルを起こす風を感じた。
この後ナイジェリアにも勝利し、グループリーグを突破した時はメダルの可能性に期待がかかったのだが。

読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に登場した元・なでしこジャパンの岩清水梓さんのコメントには、やはり世界一経験者としての含蓄があった。
今大会のチームは、澤や岩清水といった、なでしこ経験者の多くが「歴代最強」と評価しメダル獲得も期待されていた。
岩清水が「男女ともにメダルマッチが見たかった。正直、私たちも他競技を見る時はメダルがかかる試合だ。オリンピックは競技を知らない人が見るタイミングだからこそメダルマッチまで進んで『サッカーを初めて見た』という人を増やしてほしかった」と率直に語った。
初戦でいきなり2023年W杯優勝国のスペインと当たった。W杯で日本は1次リーグで対戦し、4対0と圧倒した相手だった。
「W杯はカウンターで3点取ったけど、さすがにスペインは同じ手は食わない。日本の戦い方を知っていて、負けているから警戒はされる。だからちょっと変えなきゃいけなかったんじゃないか」ともいう。
歴代最強と評した今回のなでしこが、世界を相手にどういった戦いを見せるのかについては「彼女たちがボールを持っている時間が見たかった」という。守備をさせられるよりもボールを持って輝く時間が見たかったのだと。 
戦術批判というわけではないだろうが、ポゼッションサッカーを再び可能にするチーム作りにも期待をしているようだった。
それでも個人の強みとして、谷川萌々子について、「体格いいし、キック力はハンパないし」と絶賛した。

パリオリンピックが終了し、3年間チームを率いた池田太監督(53歳)の契約満了による退任が発表された。
今回はベスト8どまり、昨年のワールドカップでもベスト8に甘んじた。
女子サッカー委員長の佐々木氏は、「ベスト8を突破して、五輪においても日本でもっと女子サッカーが話題になるところまで引っ張って欲しかった。シフトチェンジする方向で考えた」と説明し、後任については「今後人選に入る。候補としては日本だけでなく世界の指導者を視野に検討を始めている」と次のステップへの方向性を語った。

ちなみに個人的な女子サッカーとの出逢いは、勤務した読売新聞グループの日本テレビが、読売クラブ、ヴェルディというサッカーチームを所有していたことからだった。女子のベレーザもクラブ組織にあり、1980年代から2000年くらいまでは、試合の応援に会社ぐるみで出かけたり、時に選手慰労会の焼肉のカンパなどをしていた思い出が懐かしい。
まだアマチュアだった時代、中にはスーパーマーケットのレジ打ちのアルバイトをしながら頑張っている選手もいた。
2003年ヴェルディの取締役を命ぜられてサッカーチームの経営にも少し関わった。
男子もJ1に残留するのに必死な時代で、それでもクラブ全体予算は限られていた。
女子は今と違い、ユニフォームの洗濯も自分たちでしていた時代で、クラブハウスの古い洗濯機が漏電してしまい、選手から危険だからすぐ直してほしいと懇願されたこともあった。
ちょうど澤穂希が武者修行するべく、ベレーザからアメリカのクラブに渡った頃でもあり、そのような例はまだ稀だった。
帰国してノンアマ(プロ契約)選手として活躍したが、ほとんどの選手はアマチュアであったと思う。
そのような苦難の時代はとうに過ぎて、今はプロサッカリーグもスタートし順風満帆であるはずだった。
今では海外クラブへの移籍も増えて、欧州一流クラブでプレーする選手も多い。マンチェスターシティには現在4名の日本人が所属しているほどだ。
しかし、今女子サッカーの周りに大きな風は吹いていない。

「2023-24 WEリーグ」は、2024年9月14日(土)~2025年5月17日(土)まで約8ヶ月間の期間に12チーム全22節、全132試合の開催を予定している。果たしてスタジアムに観客を集めることは出来るのか。
観客が少ないということは、魅力に欠けると言われても仕方がないだけに、国内リーグが盛り上がることを切に願っている。

そして日本サッカー協会・宮本恒靖会長は、2031年の女子ワールドカップ招致に意欲を示している。
それまでに、次のワールドカップこそはベスト4以上、いや2011年以来の世界一を、そして次のオリンピックこそは金メダルを・・。
もうそんな突風が吹くことだけを期待していては、女子サッカーに本当の大きな風は吹かないかもしれない。
もう4年ごとのワールドカップやオリンピックの大会成績だけに一喜一憂するのはやめよう。
その競技をいつも身近に感じ、心から応援していく文化そのものを積み上げていく必要がある。

そのために大事なことは、トップのなでしこの強化を確実にすること、そのために戦略に優れ経験ある外国人監督の起用も真剣に検討する事。
そして何より、若い世代の普及の広がりと育成の基盤確立、そこから国内プロリーグであるWEリーグのレベルアップと人気獲得こそが必要だろう。
そのうえでワールドカップ日本開催という目標を達成できたならば、素晴らしいと思う。

スポンサーが付きにくいから大きなプロモーションも打てないのも事実だろう。選手の年俸も簡単には上がらない現実もある。
しかしWEリーグに観客を増やす努力や、放送含めたメディアへのアピールも戦略が必要かもしれない。
人気が出れば、スタジアムの観客が増える、スポンサーも支援する、クラブの経営も潤滑になる、選手のギャラもアップしていく。
そうすれば女子サッカーに憧れプレーする子供が増える、その活動の場も充実する・・女子サッカーのポジティブなサイクルが回り始める。そのサイクルをくるくると回す風が必要だ。
本当に大きな風を吹かすために何をすべきか? 真剣な議論こそを今一度スタートすべきだと考える。

2023年3月に書いたコラムを参考にしていただきたい。
想いは何一つ変わっていない。女子サッカーの現在地~ワールドカップ開催の今年、スタジアムで感じた事~ - スポーツジャーナリスト 福田泰久 (yasuhisafukuda.com)

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