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パリオリンピックの煌めき⑧ ~連覇アスリートへ最大の敬意を~

パリで日本の水泳陣は煌めきをみせることは出来なかった。
男女16種目に22人が挑んだ個人種目では、メダル獲得は男子400メートル個人メドレーで銀メダルだった松下知之ただ1人に終わった。
メダル獲得がゼロだった1996年アトランタ大会以来の残念な結果であった。

さらに決勝に進出できたのも、8種目で延べ10人にとどまった。
また代表選考の大会よりも本番で速いタイムをマークできた選手は、銀メダル松下と、女子200メートル平泳ぎで4位に入った33歳の鈴木聡美、男子200メートル個人メドレーで7位の瀬戸大也、女子100メートルバタフライで7位の平井瑞希、そして男子100メートルバタフライで8位の水沼尚輝の5人だけだった。
とりわけ男子200メートルバタフライの世界選手権の金メダリストで、東京大会銀に続く連続メダル獲得を目指していた本多灯の予選敗退は衝撃的だった。
何せ自己ベストのタイムから4秒以上も遅れ、実力を発揮できなかった本多選手は「途中から体が動かなくなった。緊張したという言葉で言えばそうかもしれないが、虚無というか何も考えられない」と失意を語った。
ここまで積み重ねてきた自信もあったはずだ。通常では考えられないほどのプレッシャーで、普段の自分を出せなかったことは悔しかったに違いない。

スポーツの個人種目において、自己ベストを更新する事自体にいつも私は拍手を送っている。
緊張する大きな舞台でも、自分の努力や精進を信じてベストのパフォーマンスをして、”昨日の自分を超える”というのは大変素晴らしいことだと思うからだ。
その結果が仮にメダルや入賞に届かなくとも、胸を張っていいはずだし、明日へのさらなる成長にも期待できる。
それでも期待やプレッシャーに負けてしまうこともあるだろう。
だからアスリートたちにとって、オリンピックのような大舞台は難しい。

水泳会場を訪れたのは8月3日。
女子200m個人メドレー、男子100mバタフライ、女子800m自由形などの決勝が行われた。
女子200m個人メドレーは、日本の大橋悠依が東京オリンピックで優勝した種目で、連覇を目指していた。
400m個人メドレーと併せて、女子水泳界で初めて同一大会2冠に輝いた大橋だったが、連覇を目指したパリ五輪では200m個人メドレーで準決勝敗退となった。
代表選考時の記録からみても金メダルは難しいとは予想されたが、決勝に日本人がいない水泳レーンはやや寂しいと感じた。

レースは、カナダのサマー・マッキントッシュが圧倒的な力を見せて金メダルを獲得した。
彼女は今大会で200メートル個人メドレーのみならず、400メートル個人メドレー、200メートルバタフライと3個の金メダルを獲得し、カナダ初の個人3冠を達成し話題となった。
まだ17歳の彼女が、次のロス大会でも大いに期待が持てるだろうし、その後の明るい未来までをも感じさせた泳ぎに感服した。

そして私が特に注目していたレースは女子800m自由形決勝だ。
アメリカのケイティ・レデッキーは、15歳で出場したロンドン、そしてリオ、東京とこの種目を制しており、4連覇がかかっていた。
オリンピックに4大会連続で金メダルを獲り続けるという偉業を、目の前でライブで観られるかもしれないことに胸が躍った。

オリンピック同一種目4連覇は、120年を超える大会の歴史上にわずか6名しかいない。
水泳200m男子個人メドレーのマイケル・フェルペス(アメリカ)、陸上男子走り幅跳びのカール・ルイス(アメリカ)、陸上男子円盤投げのアル・オーター(アメリカ)、セーリング男子・ファイアフライ級、フィン級のエルブストロム(デンマーク)、レスリング男子グレコローマンスタイル130㎏級のミハイン・ロペス(キューバ)、そしてレスリング女子の伊調馨(日本)だけである。
私にとって映像の記憶に刻まれているのは、フェルペス、ルイス、ロペス、伊調馨の4名だけだ。
また実際の会場で見届けたのは、リオ大会で4連覇を達成した時の伊調のみだ。

3連覇というのも限られた選手だけであり、陸上100m、200mのウサイン・ボルト(ジャマイカ)が記憶に新しいが、日本の柔道男子60㎏級の野村忠宏、レスリング女子55㎏級の吉田沙保里も成し遂げているのは我が国の誇りでもあろう。

もちろん大会連覇も至難の業で、本当に数えるほどしかいない。
2004年アテネ、2008年北京で100mと200m男子平泳ぎ両種目を連覇したのが北島康介だ。
アテネでは、レース後のインタビューの「チョー気持ちいい」が流行語大賞に選ばれ、北京では「何も言えねえ」と言葉を絞り出し、日本中に感動の記憶を刻んだ。
その北島でさえロンドンでの3連覇は叶わなかった。それでもあの大会、男子400mメドレーリレーで平泳ぎ泳者で参加した北島は日本の銀メダル獲得に貢献した。チームの後輩、バタフライの松田丈志が「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」といった先輩へのリスペクトと、一致団結する信念を感じさせる言葉もまた素敵だった。

ちなみに日本のお家芸の柔道でさえ、過去に連覇を達成したのは男4人、女3人のみで、今回のパリでは阿部一二三、永瀬が見事に連覇を果たした。阿部は、野村の持つ3連覇に挑戦すると宣言しており、さらには4連覇も夢に掲げている。
もちろん絶対に簡単ではないが、人に夢を感じさせる並々ならぬ決意だと思う。
さらに連覇と言えば、スケートボード男子ストリートの堀米有斗の連覇も感動的であった。

さて女子800m自由形の決勝がスタートした。
27歳になったレデッキ―は、今大会既に1500m自由形で、自己の持つオリンピック記録(新種目・東京大会でマーク)をなんと5秒以上も縮めて金メダルを獲得しているだけに絶好調と思えた。

最初から最後まで安定したストロークで、レデッキ―は優勝を果たした。
記録は自己ベスト更新、すなわち世界新記録更新というわけにはいかなかったが、王者の風格が漂う勝利だった。
何より競泳女子で初の個人種目4連覇を達成し、通算金メダル獲得数も9個と全競技を通じて女子最多タイの記録を打ち立てた。
ちなみに9個は女子体操のラチニナ(当時ソ連)が持っている1950~60年代の記録である。

4年後の2028年、レデッキ―は31歳になっている。
しかし母国アメリカで開催されるオリンピックで5連覇も、生涯獲得金メダル数の更新も実現してほしいと思う。
その偉大なスポーツの瞬間を、多くの人がまたこの目で見たいと願っていると思うからだ。
レデッキーは「私は毎年この競技を楽しめているし、安定して結果を残してきた自分を誇りに思いたい。一貫性を保つために自分自身に挑戦している」と米国オリンピック選考会前の記者会見で語ったという。
さらには「私の周りには、新しい目標に向かって努力し続けることを助けてくれる素晴らしい人たちがいる」とも。
そのように感謝の念を持ちながら、自信をもってトライし続けるレデッキ―だからこそ、次大会も大いに期待してしまう。

そしてパリオリンピックでは、4連覇を上回る怪物アスリートが誕生したことも驚きだった。
史上初の快挙、同一種目5連覇を達成したのは、レスリング男子グレコローマンスタイル130㎏級のミハイン・ロペス(キューバ)だ。
195センチのロペスは2008年の北京大会から5大会連続金メダルを獲得し、これは全ての競技を通じて前人未到の記録だ。
41歳のロペスは、そのリング上でレスリングシューズを脱ぎ、現役引退を表明した。

レデッキ―といい、ロペスといい、こうした偉業はもちろんニュースで報道はされるが、オリンピックでめったに誕生しない大偉業の割には扱いが少ないと感じる。
日本選手のメダル報道や、人気種目が優先的に扱われるのは仕方がないと思うが、5連覇のロペスに日本の放送局がその世紀の偉業を讃えるべく単独インタビューを申し込んで特集してもいいのではないか。
ロペスその人のアスリート人生を深堀りすることで、普遍的なスポーツの素晴らしさや、日本のアスリートの成功へのヒントさえも得られるかもしれないと考えるからだ。
競技の特性により、選手寿命の差やトレーニング方法の違い、お国柄や環境の違いなどがあるにしてもだ。
いずれにしてもオリンピック5連覇には最大限の敬意を表したいと思う。

繰り返すが、個人種目で自己ベストを更新することは、素晴らしいことだ。
昨日の自分を超えること、人生の営みで皆が目指すものだが、どんなことでも簡単ではない。
それがスポーツの世界では、メダル獲得など世界ランキング上位を継続することであれば、さらに大変なことであろう。
そしてそれがオリンピック連覇ならなおさらである。
一口に連覇と言っても、最低でも足かけ4年、5連覇に至っては16年という長い年月に渡りトップに君臨し続けることになる。
並大抵の努力ではないはずだ。
才能だけで勝利し続けるのは不可能だ。
人前で見せない努力もきっとあるからこそのメダルだとも思う。周囲の理解や協力もきっと必要だろう。
何より、気の遠くなるような鍛錬の日々を思うと、頭が下がる。

もちろんアスリートの夢は、何もメダル獲得だけではないと思う。
自身の限界に挑戦し、自分で納得のいくパフォーマンスを目指し、少しでも成長したいというのが彼らの原点であると思う。
それでも、そうした思いを継続的に持ち続け自己実現を高めていく姿勢が、そのままオリンピック連覇など形にみえる栄誉となるなら、アスリートの本懐であるに違いない。
時にケガに悩まされるかもしれない。スランプに陥り、もう競技をやめてもいいと投げ出したくなる時もあるかもしれない。
周りの声援で、まだまだ上を目指したいという情熱をたぎらせてもらうこともあるだろう。
いずれにしても、その競技の奥義を極める様な気持ちまで持ち合わせて、アスリートが努力を続けることに敬意を表したい。
名誉を得る為だけではなく、好きなスポーツで自身の可能性に挑み続けるからこそ、神様がご褒美としてオリンピック連覇という奇跡のような瞬間を与えてくれるのだと思う。

水泳会場のレデッキ―は穏やかな笑顔で、自身の快挙をかみしめていたように見えた。
特に水泳中長距離を得意とする彼女にとって、水をゆっくりとかきながら、それでも正確に力強く、安定した泳ぎで前へ前へと進むことに喜びを見出しているのではないかと素人なりに想像した。
どんなに練習がつらくとも、どんなに若いころのパワーが衰えたとしても泳法の創意工夫をし、周りの協力と理解を得ながら、大好きな”泳ぐこと”を極めていく日々を想像して胸が熱くなった。

パリのパラリンピックが8月28日から始まった。
水泳男子50m平泳ぎ 運動機能障害SB3クラスで、鈴木孝幸が金メダルを獲得し、日本勢メダル第一号に輝いた。
2004年のアテネパラリンピックから6大会連続出場を果たし、通算10個のメダルを獲得している37歳の鈴木は、48.04秒という日本新記録をマークして優勝。
21歳の時に出した自己ベストを、なんと16年ぶりに更新した驚くべき記録だ。
試合後のインタビューで「思い描いた通りに泳げて、思い描いた通りのタイムが出た」
「支えてくれてるみなさんのおかげ。37歳になってもベストが出せると信じてくれてトレーニングを見てくれたコーチ、リオ以降ベストを出したいという目標を出して一緒にトレーニングを作ってくれたトレーナー、サポートしてくれている家族、応援してくれている人。そういう人たちのおかげで16年前の自分の記録を超えることが出来た」と語った。
これにもまた、最大の敬意を持って大きな拍手を送りたいと思う。



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