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パリオリンピックの煌めき⑦ ~”柔道”から改めて学んだ様々なこと~

飛び交う大歓声と叫び、時に手拍子、口笛、そして観衆による合唱。
2024年パリの柔道会場は熱気に満ちていたと共に、これが本当に柔道の会場かと思うほどだった。
試合の合間には、会場がまるでクラブにいるかのような光と音楽でのスポーツプレゼンテーション(会場独自の盛り上げを目指すDJや映像、照明、音楽の企画)展開がされた。
試合中でも、手拍子の応援や歓声、時に立ち上がってまるでコンサート会場のような雰囲気をつくりあげるものだから、柔道会場とはこんなものだったのかと戸惑いを隠せなかった。
そして自国フランスの選手の応援ともなれば、国歌である「ラ・マルセイエーズ」の大合唱が響き渡った。

柔道会場は過去のオリンピックの時にも数回取材で訪れたことがある。
2012年ロンドンは、ここまで騒がしい雰囲気はなく、2016年リオも開催国ブラジルの柔道人口が多く人気競技であったが、フランスほどの熱狂は感じなかった。
観客は着席し、掛け声や時たまの声援、そして技が決まった時の拍手によって、勝負の行く末も推察できる環境であったように思う。
ましてや2021年開催の東京では、コロナ禍により無観客試合だったため、柔道会場の武道館は、畳がこすれる音と選手の激しい息遣い、審判のコールやコーチの張り上げる指示の声だけが響き渡っていた。
だから、パリの会場を見渡す限り、私の柔道会場の記憶は間違っていたのかもしれないとさえ思えた。

フランスでの柔道人気は絶大だ。
競技人口は約56万人で、日本の約4倍にも及ぶ。
1964年東京大会から正式競技になり、その後世界の多くの国で普及したが、特にフランスでの熱狂ぶりには驚かされる。
よく日本で生まれた「柔道」は、「JUDO」という競技に変質し、その武士道的な精神が薄れてしまったという人もいる。
礼に始まり礼に終わる、礼節を重んじる武士道の要素は、世界約200か国で愛され、競技人口も増えていった分、どんどんスポーツとしての競技性の方が強くなっていったと感じる。

それでも日本の柔道は、パリで金メダル3個、銀メダル2個、銅メダル3個の合計8個のメダルを獲得した。
今や柔道大国・フランスも7個のメダルを獲得し、柔道が大いに盛り上がったオリンピックとなった事だけは間違いない。
そうした背景から、会場やテレビを通じて今回、改めて様々な思いがふつふつと湧いてきた。

まずは柔道会場における試合対戦の場、すなわち畳の上での「礼」についてである。
今大会が初めてではないが、勝者がお互いの礼をかわす前に大げさなガッツポーズをしたり、飛び跳ねて全身で喜びを表す仕草も、やはり気になることがある。
そうした意味では女子52㎏級2回戦で、日本期待の阿部詩を「谷落とし」1本勝ちで勝利を収めたディヨラ・ケリディヨロワ(ウズベキスタン)の態度は印象に残った。
自身が現世界ランキング1位とは言いながらも、前回金メダルであり優勝候補の阿部詩を破ったのにも関わらず、表情を冷静に保ち、相手を慮るような姿勢は立派だった。
後ろではコーチが大きなガッツポーズをしていたのが映像に映っていた。
やはり柔道のルーツ、成り立ちを考えたときに試合後の「礼」が優先で、その後のガッツポーズや雄たけびはスポーツである以上自然ではあると私は思う。

さてその阿部詩が敗戦の後に、控室に戻る前に会場の大観衆の前で号泣したことについて、様々な意見が出た。
「武道家として恥ずかしい」「会場内で泣きじゃくり、次の対戦運営にも支障をきたした」という批判から、「それだけメダルをかけて血のにじむような努力をしてきたんだね」「会場の詩コールが愛されている証拠」などなど。
いずれにしても試合後立ち上がれないほどの、しかも延々と続く号泣を、スポーツ現場で見かけることがまれなのは事実だ。

私の考えはこうだ。
感情が溢れ出ることは、どんな時でも誰にでもある。人間は弱いもので、感情は他人には推し量れないものだ。
だから他人が感じる号泣に対しての感情は、賛否両論で仕方がない。
ただ試合も終わり、兄・阿部一二三の金メダルも見届けた今となって、詩選手自身こそが、ああした平常心を保てなかった経験をどのように感じていて、次へどう生かそうと思っているかが大事だと思う。
武道家とか礼節云々という以前に、アスリートとして強い平常心を磨けるかどうかと。

スポーツには必ず勝敗があり、絶対に負けないことはまずはあり得ないからこそ、技と心を鍛錬しているのだと思う。
負けたことを恥じることは一切ない。
ただもし次回ロスオリンピックで同じ状況が生まれないとは誰も言えない。
その時またあのように、次の試合の運営を妨げる様なタイミングと場所で号泣をするのか。
スポーツ選手は想像を絶する努力や節制をし、人にはわからない想いも持って大会に臨んでいる。
それは詩選手だけではなく、またどの競技のアスリートにも共通のものだろう。
時に感情がコントロール出来ないこともあるはずだが、次のオリンピックにどういった姿勢で臨む決意と覚悟が生まれたかどうか。
間違いなくメディアは、この阿部兄妹にさらに注目し、兄の3連覇と妹のリベンジストーリーにスポットライトを当て続けるに違いない。メダルを今まで以上に渇望し、使命のように押し付けるかもしれない。
ぜひロスに向けて再び兄妹金メダル獲得を目指してほしいが、それまでに圧倒的な技の向上と共に、プレッシャーにも負けないさらなる強い精神力を磨いてもらえたらと期待している。

ちなみに男子72㎏級で金メダルを獲得した兄は、決勝で勝利した後、対戦相手と礼をかわすまでじっと喜びの表現を封印したように見えた。その後のテレビインタビューで、何回となく「武道家として礼を尽くそうと。そう思ったが少し笑顔が出てしまいましたね」と笑いながら語っていた。
妹のこともあったので、オリンピック連覇を達成した時ですら、あえて意識的に柔道の礼というものを表現したかったのではないかと、私は勝手に想像している。

もう一つ触れておきたい事がある。
柔道がオリンピックで日本国民の期待を集めて、注目されるのは大いに結構だが、選手に対してメダルへのプレッシャーをかけすぎてはいないかということだ。
大谷のMLBを含め野球やサッカーなどは通年で話題があり、毎日のように賞賛も批判にもさらされている。
柔道も通年の各種大会はあるが、これだけ大きな注目を浴びるのは4年ごとのオリンピックである。
にわかファンも含めて現状の戦力分析などお構いなしに、絶対に勝利やメダルをと求め、あげく誹謗中傷のSNSの嵐が起きるのはいかがなものか。
感じたことを意見するのは自由だが、根拠がない雰囲気だけで感情を発信するのは慎みたいものだと思う。

さらに柔道では誤審問題も話題に上がった。
特に競技初日の男子60㎏級準々決勝で、日本の永山竜樹選手がガリゴス(スペイン)に絞め技(神車絞)をかけられ、「待て」の合図の後も約6秒間絞め続けられて失神、結局一本負けとなった。
「待て」をかけたあとも審判がすぐに止めなかったこと、「待て」の後も絞め続けたことから、誤審ではないかと大きな話題になった。
「待て」の声が、ガリゴスには場内の声援もあって聞こえなかったという。一方の永山にはしっかり聞こえたから力を緩めたという。
であれば双方に聞こえるまで審判は近づいて「待て」を言わなければならなかっただろう。
専門家によればこの締め技の有効性を考慮すると、相手がまいったというか、確実に落ちるのか、「待て」をかけずにあと数秒様子を見るべきだったという意見もある。
永山は「待てが聞こえて力を緩めた」とコメントしているが、「いつ落ちたかはわからない。落ちた以上は一本」という国際柔道連盟の見解は一応筋が通っているともいう。

いずれにしても多くの視聴者が柔道のプロではなく、4年に一度のオリンピックを楽しむファンが多いとすれば、なかなか柔道の決め技や、ルールの解釈などに精通しているわけではないことも議論の中で考慮しなくてはいけないかもしれない。
オリンピックの場では選手のみならず、審判もまた選りすぐりの人が選ばれて、真剣に公正に試合を裁こうとしているに違いない。
時に、試合中の指導の与え方や判定基準にばらつきや首をかしげることもあるが、あくまで許容範囲で誤審ではないという専門家が多い。
私も専門家ではないが、柔道のルールも年々細かく改定されていることも知らなくてはいけないだろう。

柔道界最大の誤審と言えば、2000年シドニーオリンピックでの男子100㎏超級決勝「篠原信一対ドゥイエ」戦での出来事だろう。
篠原はフランスのドゥイエを内股すかしで投げるが「一本」と判断されず、投げられたドゥイエに「有効」のポイントが入った。
世界中の誰もが見ても、あれは篠原が勝利していたと思えたが、結果は覆らず、篠原は金メダルを逸した。
その後、その反省からか柔道でも2005年から国際柔道連盟(IJC)により、ビデオ判定が採用されるようになった。
篠原の悔しさは計り知れなかったが、その後表彰式で彼が流した涙の理由を聞いて唖然とした覚えがある。
篠原は誤審による悔しさ以上に、自分がその後に気を持ち直して技を決め切れなかったことへの後悔に涙したというのだから。
柔道家の持つ精神性の奥深さに感銘を覚えたことを、今でも思い出す。
そして今回の永山の件でも、本人は「待てがあっても、相手が力を緩めるまで自分から緩めるべきではなかった。隙があったのかもしれない」と省みている。どんなことがあっても最後まで力を尽くす、それが試合というものなのかもしれないと改めて気付かされた。

また柔道では、タイブレークの対戦を決める際のルーレットも話題になった。
柔道の混合団体は日本とフランスが決勝で激突。東京大会でフランスに敗れ銀メダルに終わった日本の雪辱が期待された。
各チーム6人ずつで対戦し、3対3で並らび、抽せんで階級を選んで代表戦を行うことになったが、その方法が機械式ルーレットによるものだった。
機械ルーレットだと操作ができるとか、インチキとか、やらせという意見が多くあった。
公正感はやはり箱の中から人間がくじ引きする方があるに決まっている。
対戦カードについては、もちろんどちらかが優勢を予想される階級対戦もある。
しかし、あの団体の時に超100㎏級の対戦がフランスにとって絶対有利だとは限らなかったと私は思う。
もちろん個人戦金メダルの英雄リネールが最終決戦を担うのは、あまりにドラマチックであるのは間違いない。

しかしリネールも、対戦する日本の斎藤立も、個人戦では4試合、この日の団体戦でも既に1回戦っており、どちらも疲労の極みに達していただろう。
事実、この日の団体では破れていた阿部一二三は、代表戦について「自分に来い、という気持ちは3割、もしルーレットで対戦が決まったら1分以内で勝負を賭けるしかないと考えていた。もう腕が上がらない状況だった」と告白したほどだ。
テネール35歳、斎藤22歳ということを考えても、同日で2回目の対戦に関しては接戦も予想されて、フランスだけに有利なくじ引きではなかったと私は思う。だから勝てる対戦を意図的にルーレットに細工をしたとは思えない。

事実、代表戦はきわどい勝負になり、両者指導2つをもらいイーブンになるなど齊藤にも勝つチャンスはあった。
しかしやはりリネールは凄かった。
見事に一本勝ちを収めて、自身通算金メダル5個目の偉業を達成した。
国際柔道連盟によると、コンピューターの専用ソフトで選ぶシステムは、すでに国際大会では数年前から使われているとのこと。
日本が残念ながら敗れたとはいえ、誰も書けないようなシナリオで最高のドラマが成立した柔道混合団体に、素直に感動した方が面白いと思うのだがいかがだろう。

古い話にさかのぼるが、柔道と言えば1964年東京オリンピックでのあるシーンを強烈に記憶している。
当時小学1年生で現場で観たわけでもないし、テレビを生放送で観たのかもうろ覚えであるが、その後のアーカイブ映像や一枚の報道写真によって私の胸に刷り込まれた一瞬だ。

それは、無差別級(現在でいう100㎏超級にあたる)の決勝戦「アントン・ヘーシンク(オランダ)対神永昭夫(日本)」の試合で、ヘーシンクが勝利した瞬間である。
柔道王国日本が、競技初採用のオリンピックで4階級中、唯一敗れた歴史的な瞬間だ。
狂喜したオランダの関係者が畳に駆け上がろうとしたその時、ヘーシンクが毅然と手を挙げて制した姿があった。
勝利に自身の喜びを表す前に、冷静に勝利を見届け、相手へのリスペクトを忘れないその姿に感動したのを覚えている。
畳は神聖なもの、対戦した者同士だけが喜びも悲しみも分かち合う場所だと、強く訴えかけているようだった。
ヘーシンクは柔道発祥の地日本から、その技のみならず礼を学んだと、当時絶賛されたシーンである。
またもし1964年に日本が全階級を制していたら、オリンピック競技として定着しなかったのではないかという人もいる。
柔道など日本特有のもので、競技人口も限られたスポーツなのだからと。
しかしヘーシンクのような外国人も、その柔道の本質を学び競技者として成長することが出来るという予感こそが、柔道が広く世界に普及し競技として根付いた理由の一つにもなったと聞いたこともある。

全ての事象は、変わってもいい。
むしろ変わらなければ前進、進歩がないことも多い。
しかし変わらなくてもいい、いや変えてはいけない本質も、物事にはあるに違いない。
スポーツだけではない。我々の生活のなかに、その自覚をもって生きることは大切だと私は思い出した。
そこには、大げさに言えば生きるためのヒントまであるのではないか。

対戦相手へのリスペクトの心。勝っても敗者を思いやり、負けても勝者を讃える。
アスリートのみならず、スポーツを楽しみ観戦するすべての人こそが持っているべき心なのかもしれない。
多様性におけるリスペクトにも通ずるものがある気がした。

スポーツの世界では、勝負は最後まで決してあきらめない。手を抜いたつもりはなくともスキを見せない。
永山もそう語っているように、あの時相手が力を抜くまで自分から緩めない。
またかつて篠原が語ったように、悔しさの真実は誤審以上に、自分が最後の反撃のチャンスをつかめなかったことだと。
自分の人生で勝負を賭ける時に、やはり悔いを残さない取り組みをして生きていきたい。

誤審だ、インチキだと騒ぎすぎない。
確かに首をかしげる判定も時にある。しかしそれも含めてスポーツなのかもしれない。
応援の仕方も考えたい。
テニスやゴルフのようにインプレー中は静かに見守る観戦ルールがあってもいい。
サッカーのように観客の大声援の中でプレーする競技もあれば、ブレイキンのように音楽と一体となった声援も楽しい競技がある。
それこそ多様性の時代だ。
だからこそ、今一度柔道は、その成り立ちの精神から、観戦ルールの見直しをという意見が出てもいいだろう。
試合の合間に音楽や照明のショーで盛り上がるのはいい。しかし試合中は静かに見守る方が、ドキドキする緊張感が味わえる競技だと私は思うからだ。
見る側や応援する立場でも、その競技の歴史、ルーツや特異性を知り、そのことでより深く楽しむことが出来たら、さらに興味深いはずだ。
そしてそれはスポーツに限らず、世の中のありとあらゆる事象に対しての学びに対する姿勢も、またそうありたいと思った。

柔道会場からの帰り道に、つらつらと浮かんだいろいろな想いは頭の中でまとまることはなく、今もまとまり切らない。
それでも、パリで柔道の中にあったキーワードだけでも本当に色々と考えさせられ、改めて学んだテーマが多くあったように思う。

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