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パリオリンピックの煌めき③ ~ブレイキンにみる新競技の魅力と未来の大会像~

パリ大会における新競技はブレイキンのみであるが、会場がパリの中心地コンコルド広場での開催も相まって大変注目を集めている。
ブレイキンは、1970年代のニューヨーク・サウスブロンクス地区でストリートダンスとして生まれたと言われており、下町の若者たちが縄張り争いの中で、暴力ではなくダンスで戦った。
ブレイキンとはブレイクダンスのことだと教わったが、どちらにしても私は本当に競技を理解をしているとは言えない。

それでも、4つの要素が要求されることを知り、これはダンスのセンスのみならず、全身の筋力、柔軟性、持久力までアスリートとしても高い能力が要求されるのは想像に難くない。
立ってステップを踏む”トップロック”、手を地面について足技を披露する”フットワーク”、頭、背中方などを使って身体を回転させる”パワームーブ”、動きの中で急に体を止めてポーズを作る”フリーズ”すべてをこなすのは大変なことだろう。
それでいていわゆる”かっこよさ”が一番求められるらしいし、観客の歓声の多さも評価の大きな基準となると聞いた。

パリ大会では男女16名ずつが参加し、いずれも1対1で対決する。
DJの音楽に合わせて即興でパフォーマンスを披露しあうのだが、事前にDJがかける音楽をアスリートは知らないから、曲がスタートしてから全てアドリブの演技というのがゾクゾクするではないか。
ジャッジは技術性、多様性、完成度、独創性、音楽性の5つの基準で採点されるが、どれも言葉にするほど簡単ではないはずだ。
その競技要素のどれもが今風、若者に訴求するという理由が、IOCに対してのオリンピック競技採用に大きく背中を押したとみられる。

日本選手の活躍も期待される。女子の湯浅亜美(Ami)は世界選手権を2度も制覇しており、福島あゆみ(Ayumi)も1度優勝している実績がある。男子では半井重幸(Shigekix)に注目だ。半井は”なからい”と読むが、Shigekixと呼べばいいのかもしれない。
AmiもAyumiもShigekixも、ダンサーネームであり、参加者を女子Bガール、男子Bボーイと呼ぶのも新しい感じがする。

世界でも一流のAmiは、その実力から十分にメダルも期待されるが、ブレイキンの見どころは単に勝ち負けではないという。
勝った人だけがすごいわけじゃなく、色々なスタイル、踊り方、服装、入場のパフォーマンス、すべてに各自の個性がある。
それこそがブレイキンの魅力だと語る。
だから観戦する側にも、勝敗だけでなく、好きなタイプの踊り、素敵な服装と雰囲気などにも目を向けて、お気に入り、すなわち推しを見つけて応援する楽しみも勧めている。
なるほど、やはり人々が暮らす日常の街角から生まれたスポーツだからこその持ち味がある。
街には音楽やファッション、芸術アートが溢れており、そこに暮らす人がいる。それぞれがお気に入りを見出し、仲間の称賛を得る、支持を集めるということにアーバンスポーツ(Urbn Sports=都市、都会のスポーツ)の魅力があると言えよう。

そのような魅力を持つブレイキンもパリ大会後の2028年ロス大会では採用されなかった。
なぜロスで採用されなかったのか不思議な感じもする。
オリンピック人気を維持するためにも、従来競技にない新しいスポーツをどんどん採用していくものと思っていたからだ。
IOCは競技設定の目標の一つとして、以下の要素を挙げている。
一つは、若い世代へ訴求する競技、簡単にいうと若者が支持するスポーツと言えよう。
もう一つは、大会運営コストの削減の一環として、仮設でも容易に会場設営ができるスポーツとして今回のブレイキンやスポーツクライミングなどが採用されてきている。
東京2020では、サーフィン、スケートボード、スポーツクライミングが初めて新競技として採用されたが、パリでも継続された理由もそのあたりにあるだろう。
そして大掛かりな競技場やアリーナを必要とせず、野外でストリート感覚で会場設営されるブレイキンはIOCの目指す大会運営の一つの方向性に合致しているのだが・・。
いずれにしても、オリンピック競技としてはひとまずパリ大会でわずか1回でいったん終了し、将来の採用については不明なのがブレイキンである。

しかし、優勝者がだれになっても、アスリートたちはオリンピック2連覇などという称号には興味がないのかもしれない。
日頃の鍛錬と努力は、BボーイもBガールも、その他競技のアスリートと全く同じであろう。
がんばってきた成果を見せてチャンピオンになりたいのは間違いない。
実際にテレビ番組で見たShigekixの上半身は、格闘家のように筋肉バキバキに鍛えあげられたものだった。
それでもメダルという価値観だけにとらわれず、かっこよく自己表現をして、多くの喝采を浴びることをめざしているのだと思う。
だからこそ観る我々も、2024年8月のパリ・コンコルド広場において、都市に溶け込むアスリートたちの華麗な演技をシンプルに楽しもうではないか。いったい誰が観衆を一番魅了したかを見届けたい。

そしてここから先は競技選択や拡大の観点における、オリンピックの大会像について私見を述べたいと思う。
ブレイキンのオリンピックにおける競技価値を見極めることなく、4年後のロサンゼルス大会で採用が見送られたのには、諸事情もある。
まず、ブレイキンなどの競技は従来競技(陸上や水泳、サッカーなど)とは別枠で、開催国の推薦による追加競技としてIOCに認められたものである。
IOCが開催国の推薦競技を追加する提案と協議承認するやり方は東京2020大会から始まったものであり、パリ、ロスと継承された。
ちなみにロスでは、5つの競技が追加競技として正式決定した。
①野球・ソフトボール ②クリケット ③ラクロス ④スカッシュ ⑤フラッグフットボール
まず野球・ソフトボールに関しては1992年から2008年まで採用されていたが、2020東京大会で開催国推薦を認められた後、パリでは落選していたものだ。
日本人にとっては嬉しい限りだが、開催国アメリカならではの復活のような気もする。
次はクリケットで1900年パリ大会以来だそうだ。またラクロスも1904、1908年以来だから、多くの人は初めての採用と勘違いするかもしれない。
スカッシュとフラッグフットボールは初めての採用で、特にフラッグフットボールはアメリカンフットボールの普及にも貢献する様に発案されたスポーツであるからアメリカならではの推薦であろう。

それぞれの競技関係者にとって、オリンピック競技採用は喜ばしいと思うし、この選択自体にケチをつける気は毛頭ない。
むしろオリンピックのような大舞台から遠ざかっていた伝統ある競技にまた陽が当たるのも歓迎だし、いまだきちんと触れたことのない競技に関心を改めて持つことも楽しいに違いない。
IOCのバッハ会長は今回の追加競技に関して、「アメリカのスポーツ文化に沿った5つの選択」としている。
つまり開催国のオリンピック機運の盛り上げに、こうした自国で盛んなスポーツをチョイスするのはありだとは思う。
しかしながら大会期間、運営費、会場施設、ヒューマンリソースには限りがあるので、何かの追加競技を引っ込めなければならない。
東京大会では初めて採用された空手も、パリでは候補に挙がりながらも落選した。
ただサーフィン、スポーツクライミング、スケートボードの東京からの追加種目はパリ、ロスと継続された。
ただし競技数を増やすことで、各競技の種目数を減らす(階級を減らすなど)ことも強いられ、各競技ごとの参加アスリートがぐっと絞られるかもしれない。
それだけ熾烈な予選による選びに選ばれたアスリートの大会として、格をさらに上げるという見方もできなくはないが。

パリ大会は32競技329種目だったものが、ロス大会では35競技に膨らむ予定である。
いくら種目を減らしても、参加者の増加はあるに違いない。
また会場運営費を考えたときに、いくら仮設や簡易な会場設営を試みたとしても、場所数が増えれば経費は膨らむはずだ。
開催都市に経済負担ばかりかける肥大化したオリンピックには疑問が生じる。
若者に訴求するというIOCの考え自体は悪くない。
開催国の盛り上げのために、その国のスポーツ文化を担う競技を追加するのも悪くはないであろう。
しかし大会はもうこれ以上膨れ上がってしまってはいけないのではないか。
どの種目を外しましょう、どの競技が不適切だとは言わないが、個人的な意見はある。

例えばサッカー競技についてである。
そもそも各年代の世界大会も男女とも充実しており、FIFAワールドカップという4年に一度の世界一を決める別格の大会もある。
IOCはサッカーが人気競技で集客力もあるととらえているので、23歳以下の出場資格に3人までのオーバーエージ枠まで設定して競技クオリティーを保ち、収入面でも期待している。だからFIFAもIOCに協力していると言っていいだろう。
しかもグループリーグから決勝戦まで本来のオリンピック日程の16日間では収まらないので、どの大会も開会式の前からグループリーグを始める。しかも開催都市以外のところで行われるため、オリンピック感がほんの少し薄いと言わざるを得ない。
だとすれば、賛否両論あるかもしれないがサッカーは卒業という意見もあっていいと思う。

また近代五種は水泳、フェンシング、馬術、レーザーラン(射撃とランニング)の5種目で争う競技だが、ロス大会からは馬術について除外し、新たにあの「SASUKE」の海外版「Ninja warrior」という障害レースに変更すると聞いている。
ここでは近代5種の種目内容詳細は省くが、水泳200m自由形、フェンシング、射撃、馬術も当該する、あるいは疑似的な競技種目は別に存在する。
日本のテレビが生み出したともいえる「SASUKE」の採用は嬉しいが、中世から継承されてきた馬術を外したら、もう違う競技といえるのではないか。
そのことと、近代5種の会場設定が複雑で経費もかさむことを知っているので、何か違う変革、あるいは吸収の仕方はないかと考えてしまう。東京大会では味の素スタジアムなどに仮設で、複雑な経費もかさむ会場設営を求められた。
もちろん陸上の10種競技のように、様々な種目を高いレベルでこなす英雄的なチャンピオンこそ古代オリンピックからずっと長く尊敬されてきた由来の競技であることはよく理解している。キングオブスポーツと呼ばれることもあるが、いかんせん競技人口は世界で2万人にも満たないのも事実だ。
クーベルタンが競技の提唱をした時代から、もう120年も経過したことからも見直しの時期に来ているというのが私の意見である。

もちろんどのスポーツも世界一を争う場、それも最高の舞台を求めるのは当然だ。
しかしながらオリンピック競技でないからそのスポーツが衰退するとは限らないし、その競技に特化した個別の世界選手権も十分に名誉ある大会なのだ。
何よりオリンピックの肥大化はもう極限まで来ているからやむを得ないと思うのだが、いかがだろうか。

あえてオリンピックが開幕する前に、このコラムを書き残したいと思った。
大会が始まって様々な種目で感動のドラマを目にし、新しい魅力まで発見してしまったら、このようなテーマなど取り上げる気にならなくなりそうだからだ。
ベルサイユ宮殿で開催される華麗かつ過酷な近代5種をみせられたら、日本サッカーが男女ともに悲願の金メダルを獲得したら、先の個人的な意見も揺らいでしまうかもしれない。
いや、あるいはブレイキンに魅せられて、ロス大会の次の2032年ブリスベーン大会での復活を望む記事を書いているのかもしれない。
スポーツに触れて楽しむこと、その時々に応援することと、オリンピックの未来像とを一緒に考えるのはやはり難しい。

パリオリンピックでは、女子のAmiが見事に金メダルを獲得した。
コンコルド広場の会場で、おそらく一番多くの観客を魅了したことは間違いない。
そしてテレビの前の視聴者も、そのダンスのキレや美しさに驚いたことだろう。
それでもなおかつAmi は、十人十色のブレイキンの魅力を語り、自身も毎回衣装を変えながら、ステージで踊ることを大いに楽しんだという。自己表現することが本人も楽しく、かつ人の心に訴えかけた結果の優勝は素敵すぎる。
また日本選手団の旗手も務めたShigekixも、見事に4位に輝いた。
やはりブレイキン発祥の国アメリカの次回ロスオリンピックで、ブレイキンが観られないのは残念で仕方がない。

近代5種で、日本の佐藤大宗が見事に銀メダルを獲得した。
オリンピック採用から112年を誇る「キング・オブ・スポーツ」と呼ばれる伝統競技で、男女通じて日本勢初の表彰台という快挙を成し遂げた。
19歳から競技を始めた遅咲きが、競技発祥の地フランスで快挙を成し遂げた。
次回のロスオリンピックから競技内容が一部変わるが、馬術がなくなりSASUKE由来の障害物レース(オブスタクル)に変更される。
佐藤は馬術が特に得意種目ではないということで、この変更にさしたるチャレンジはないと聞くが、果たしてどうなるのか。
いずれにしても大きな変革と言っていいだろう。

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