記憶の解凍とは、白黒写真をAIでカラー化して蘇らせて、記憶を鮮明に継承していく東京大学のプロジェクトのことである。

マニュアルや説明書を何回読んでも、実際に見たり聞いたりしなければわからないことは多い。
それはそれぞれその道のエキスパートであってもしかりだ。
放送観点からみた私の例でも、過去に10回近く夏冬のオリンピックに現地で触れたが、いざ運営側に立つとわからないことも多い。
組織委員会では連日、過去大会の資料やビデオをIOCメンバーと見ながらレクチュアを受ける日々の連続であったが、それだけで運営に関するイメージが湧くとは限らない。
となれば、実際のオリンピックを実地で研究するしかないのだが、承知が決定した2013年以降では、夏季は2016年リオオリンピックが唯一の視察チャンスであった。
組織委員会職員メンバーたちは、リオ大会への学びに向けて様々な形態でリオオリンピック・パラリンピックに参加した。
将来大会の開催者向けへの教育プログラムとして、IOCが制定するIKMプログラムというものがある。
参加内容には、オブザーバープログラムという運営ジャンル別の視察、シャドーイングと呼ばれ実際のスタッフのそばについて学ぶもの、そしてセコンドメントという実際のスタッフの一員として雇われるものまであった。
私もいくつかのオブザーバープログラムに参加した。
放送関係者を輸送する部門のレクチュアを受けたり、国際放送センターとTVスタジオの実際運用を視察するものであったり、リオの組織委員会のスタッフから丁寧な説明を受けた。東京では今度は私たちがパリやミラノの組織委員会の教育プログラムをお返しとして担当する仕組みだ。
さらにはリオのBRSのヘッドオブブロードキャスト(放送部門の代表責任者)について一日の動きを学ぶシャドーイングもやらせてもらった。
影のように付きまとうと言ったら大げさだが、4年後に実際に自分がやるであろう業務を目に焼き付けたかったし、実際に大変参考になった。
東京大会中には、私たちがパリ2024やミラノ2026の組織委員会に向けた教育プログラムをお返しとして担当する仕組みだ。
そして可能な限り多くの競技会場を視察して回った。
競技を観ることよりバックヤードを視察し、中継車のスペース要件の確認や、放送カメラや収音マイクの設置位置が気になって、競技中も選手やメディアの導線に目を配るなどしていたのを思い出す。
何より開催が決定してからのこの2年間だけでも、招致プランに対して、いくつかの変更も迫られてきた。
東京の組織委員会側が、これでいいと済ませられない要求は、ずっとIOCやOBS、各IF(インターナショナル・フェデレーション=国際連盟)からも突き付けられてきた。
それはオリンピックを開催すると確約した都市の義務でもあった。
その義務の根拠は、開催都市契約であり、テクニカルマニュアルと称するIOCが発行した文書も拠り所となっていた。
その義務の詳細を、リオ大会では細部にわたって確認する必要があったし、また結果的に実施に開催要件のレベルの高さを身に染みて理解する場でもあった。
そしてこれらの要件を私が知っているだけでは意味がなく、会場準備VNIや運営VEMチームのスタッフによく理解してもらわないといけない。
私たちBRS(放送部門)は、要件が確実に実行されるように組織委内で条件を統合する役目であったからだ。
そこで視察の時に組織委員会の様々な同僚を伴って、現地で説明役も買って出た。
私自身もオリンピックには数回現場も経験していて、それなりに知識は持っていたが、放送に関する開催国側の準備が途方もなく大変なことをリオでも思い知らされた。
その多くの課題を書き上げるつもりはないが、例えば以下のような案件について、その後の4年で頭を悩ませることになるのだった。
そもそもIOCと組織委員会との間の開催都市契約の基本的合意をもとに、事細かな放送案件についてはOBSと組織委員会との間で、OBS放送協力協定書が結ばれる。
最初に学んだテクニカルマニュアルよりさらに詳細要件も条件も、そして義務までが明文化されたものである。
世界の放送権者が、臨場感あふれるスタジオを要望していて、その建設をする義務があることはテクニカルマニュアルにも明記されていたし知っていた。
建設規模や要件は理解し、準備を始めていたが、その数については確かに記載がない。
しかしそのスタジオは例えばオリンピックパークの中に一つ提供すればいいと思っていたら、リオではパークのほかにもう一つのスタジオが用意されていた。
そのスタジオはリオの象徴でもあり、風光明媚なコパカバーナの海岸に威風堂々と建設されていた。
ロンドンではオリンピックパークに一つが用意されていた。
東京では新しい国立競技場=オリンピックスタジアムの前に一つ、8から12のブースを収容すスタジオ集合体の大型ビルをインフラ提供するようにOBSから言われていたが、もう一つをどこかに必要だという話はこれまで正式に聞いたことはなかった。
リオ大会が終わる前にはOBSからは具体的ななリクエストはなかったが、もしもう一つの提供が義務ならば、その設置場所はどこか、費用の責任分担はどうなるか、頭の痛い課題となるのは間違いなかった。
他にも開催都市の美しい風景を映し出すビューティ―カメラ(マニュアルには景観カメラと訳されていた)と呼ばれるカメラの設置場所を提供しなくてはならなかった。
日本でも各放送局が運用しているスカイツリーや渋谷スクランブル交差点を24時間捉える、お天気カメラのようなものである。
その必要性は理解していたが、組織委員会の誰もが競技会場以外のそのようなカメラの必要性の認識は薄く、当然その設置に関する予算も正確に計上されていなかった。
場所を借りれば、本来コストが発生する。賃貸費用も今は読めないし、設置場所すら決まっていない。
そして設置交渉や技術的手配も含めて煩雑な作業が必要となるのだ。
コルコバードの丘のキリスト像やコパカバーナビーチなどを24時間ライブで配信するために、このビューティ―カメラは無人ながら12台配置されていた。
おまけにリオのオリンピックパークにはおよそ1㎞に渡りパークを横断するケーブルカメラと呼ばれるものが設置され、さながら鳥の目のように俯瞰ショットが各国の放送権者(RHB)に供給されていた。
その横断カメラを支えるタワーは仮設で建設されており、高さ30m以上の壮大な建築だった。こうしたインフラ部分は組織委員会が負担するルールであると聞かされた。
まだOBSからは何も詳細プランを言われていなかったが、競技会場以外のこうしたカメラ設置の条件を整えるための各種交渉、そして何より計上していないはずの予算をどうするのか、気が遠くなる気がした。
そして他にもRHBの特有なリクエストや相談を見聞きし、これは問題が山積みなことを痛感させられた。
特にIOCに一番放送権料を支払っているアメリカのNBC はリオでも国際放送センターにも独自の広大なスタジオを保持し、コパカバーナの海岸スタジオも立派なものを設営していた。オリンピックには並々ならぬ力を注いでいるのは間違いない。
そのNBCとの非公式な会話で印象に残ったことがある。
NBCの幹部スタッフが組織委のトップとリオで交わした話題の一つは、東京大会の開会式における入場行進の順番についてだ。
正式な要請ではなかったが、東京でのアメリカ代表の入場順についてNBCは大変気にしているというものだ。
IOCのルールでは、入場行進の先頭はギリシャ、最後は開催国というものが規定されている。
あとの順番は原則、開催国の使用する言語の順番というもので、英語ならABC順であり、今回のリオの場合はポルトガル語のスペル順となる。
例えば、ドイツは英語ならⅮだがポルトガル語ではALEMANでAとなる。だからドイツは英語圏開催の大会よりも順番として早く登場するというわけだ。
日本は英語ならJapan、ポルトガル語ではJapãoと同じJの文字だから、入場の順番は同じである。
さてアメリカである。
英語圏はUnited States of AmericaでU、今回のリオのポルトガル語ではEstados Unidos da AméricaでEが国名の頭文字になるから、少し早めの入場になる。
NBCが気にするのは開会式を生中継する場合、自国の選手団が早々と登場してしまったら、多くのアメリカ人は他の番組に切り替えてしまう、すなわち視聴率に影響があることを憂慮しているらしい。
まだ正式決定していないが、東京では日本語の場合、五十音順とするならばこうなる。
アメリカだからアとすると、ほぼ最初の方の入場となり、あるいはユナイテッドステーツオブアメリカとしたならユだから、かなり遅めの登場となる。
こうしたルール決めについては幹部と式典担当FAの業務であるが、放送局との向き合いの多いBRS にも意見を聞かれたというわけだ。
いずれにしても説明のつかない例外ルールは採用できないはずだ。
このような意外な観点でも協議しなくてはならない要素があることに改めて驚いた。
ちなみに、その後どのような正式な話し合いがIOC 含めて行われたかは定かではないが、最後はNBCにとって大変満足のいく、かつ自然な形での決着をみた。
東京2020大会ではギリシャが先頭、開催国が最後という従来の決まりに加えて、新しいやり方が採用されたのだ。
リオ大会の翌年2017年に2024パリ、2028ロサンジェルス開催が同時に決定したことでアイデアが浮かんだと推測する。
次の2024年開催国フランス(パリ)選手団が最終入場である日本の一つ前、そして2028年開催国アメリカ(ロス)がさらに一つ前に入場したのである。
アメリカの有力かつ人気種目の陸上や水泳の競技時間を、NBCのゴールデンタイム(夜19時からなど)に合わせるために開催地での決勝種目が午前中になるなど、アメリカNBCの意向はIOCにとって無視できないものだ。放送権料をIOCに世界一多く支払っているのはNBCであるからだ。
入場行進の件も、スマートな解決方法が見いだされNBCの希望が叶ってよかったと思うが、NBCからのリクエストに対し組織委が可能な限り協力するようIOC からも再三言われたことを思い出した次第だ。

さて放送関連の視察をして回る私は、スタジアムやアリーナの午前と午後の休憩時間にピッチやグラウンドコートをくまなくチェックし、夜の競技終了後にスタジアム施設の要件を確認する生活であったから、競技の主な結果は夜のニュースで知ることが多かった。
日本のアスリートたちもこの大会で奮闘していたのはやはり嬉しかった。
金メダル12個、銀メダル8個、銅メダル21個は堂々たる戦果である。
女子レスリング58㎏級では、伊調馨が残り4秒での大逆転劇で、この種目前人未到の4連覇を成し遂げた。
同じく53㎏級では、霊長類最強”のニックネームで親しまれた吉田沙保里は決勝で敗れて4連覇はならなかったが、素晴らしいアスリート生活の集大成であったと思う。
両選手とも金字塔を打ち立て上で、年齢的には4年後は引退しているかもしれなかった。
体操の内村航平は個人連覇の偉業を達成したが、年齢的にも次の東京2020での出場が約束されているわけではなかった。
4年後こそが大いに期待される若手もいた。
水泳の池江璃花子は高校1年生で、何と史上初の7種目に出場し、100mバタフライでは5位に入賞した。
16 歳の彼女は発展途上で、4年後の東京大会が大いに楽しみだったのを思い出す。
陸上の男子400mリレーでは銀メダルを獲得する快挙も達成した。
山縣諒太、桐生ら20代前半のアスリートらが、4年後の東京では金メダルも夢ではないと本気で思わせたリオの夜だった。
我々組織委員会スタッフたちはというと、宿泊したダウンタウンにある「ホテルOK」 の周りにあるカジュアルレストランでわらじのように大きなステーキを食べたり、時には名物シュラスコをワイワイとみんなで楽しんだ。
観光する時間も余裕もなかったが、スタジアムや街中の視察をして回るだけで、コパカバーナの海岸や、そこから見えるコルコバードの丘、ポンテアズーカルなどの観光名所を遠く眺めることが出来た。
閉会式後の帰国前にはイパネマ海岸に行き、あのボサノバの名曲「イパネマの娘」が誕生したカフェで食事を楽しむことが出来た。
そして何より、ブラジル・リオの人々の底抜けに明るい笑顔に触れた。
一方で、こうしたオリンピックが自国で開催される喜びに触れた今、その準備に気が引き締まる思いもふつふつと湧いてきた。
多くの会場で放送要件は要求が高いことは知っていたつもりだが、普通の日本国内スポーツ大会の比ではないことも再確認させられた。
さらに、もう一つのスタジオ建設の必要性がありそうなこと、都市の景観を映し出すビューティ―カメラは12か所は必須だと新たに学んだことなども気がかりだった。
他にもいろいろな宿題を書き出したリオ視察ノートは、私の現場での殴り書きのせいもあって、ぐちゃぐちゃに黒く染められていった。

最後に、それでも開催都市の光ばかりではなく影の部分もあったことも触れておかなければと思う。
リオはオリンピックを機に都市のクリーン化を図り、昔からある貧困地区ファベーラを一掃して、ひいては貧富の差をなくす第一歩にするとしていた。
しかし空港から街へ向かう途中にあるファベーラは依然として残り、整備が間に合わなかったその風景を隠すとされた壁の設置も間に合わず、多くの観光客の目に晒された。
治安が悪いという評判はいつもついて回っていたから、あたかもファベーラが悪の巣窟のように言う人もいるが、それは間違いだろう。
それでも空港について初めて見るリオの街が、決して風光明媚なものとは違うことの印象の悪さはぬぐえなかっように思う。
ただ実際に日本などと比べて殺人や強盗事件の発生率は各段に高いのは事実だが、大会中の警備はきちんとされていたようで安全であった。
競技会場では、トライアスロンの水質問題がかねてから取りざたされていて、せっかくの美しいコパカバーナビーチの印象まで悪くさせた報道もあった。
また水泳・飛び込み競技プールの水が一夜のうちにま緑に変わってしまったのには、さすがに驚いた。
組織委は水質検査を実行し、健康リスクはないと宣言したが、原因は水中の藻が一気に繁殖したことによるものだった。
何はともあれ、アスリートはこのプールに飛び込みたくないと思ったことだけは想像に難くない。
そして大会前に危惧されたのが、蚊を媒体にするというジカ熱の流行だ。
感染すると母体から胎児への悪影響があるとされ、小頭症という病気の発生率が高いと言われていた。
このことを憂慮してブラジル行きを拒否した有名ゴルフ選手たち、メディアでも女性スタッフの派遣を取りやめたところもあったほどだ。
オリンピックのような壮大な規模のスポーツ大会を一都市で開催するのには、大変な準備と労力が求められる。
大会を開催することでの悪影響、例えば自然破壊、環境汚染などの問題を重く見る人もいる。
税金も含めた開催関連予算の膨張、そうした予算を復興や福祉に回すべきという意見もある。
こうした反対派がいれば賛成派もいる。
スポーツ文化レガシーが醸成される、インフラ整備が進み都市が活性化する、アクセシビリティ―の促進につながるなど、国や都市の発展につながると支持をするのだ。
いずれにしても、良いこともあればネガティブな出来事も生じるに違いない。
賞賛も批判もリンピック・パラリンピック開催都市の宿命であろう。
東京にその覚悟はあるだろうか。
大会準備を中心的に担う組織委員会に身を置く一人として、日本に帰国する日が迫ってくると次第に武者震いがするような思いが込み上げてきた。
それは一緒にリオを視察したメンバー全員の思いであったように思う。
泣いても笑っても、あとわずか4年で東京2020はやってくる。