Essay

シリーズ記憶の解凍㉓「2002年ソルトレークシティオリンピック」~アメリカ9・11事件を乗り越えて~

記憶の解凍とは、白黒写真をAIでカラー化して蘇らせて、記憶を鮮明に継承していく東京大学のプロジェクトのことである。

2002年2月8日、そのオリンピックの開会式では、何かに引き裂かれて破れたアメリカ国旗が厳かに入場してきた。
それは2001年9月11日に起きたテロ事件で崩壊したニューヨーク世界貿易センタービルの瓦礫の中から見つけられたものだった。
星条旗と呼ばれるアメリカ国旗は、未曽有の苦難を経験した歴史を雄弁に物語り、世界中に平和を訴えるのに大きなインパクトを与えたことだけは間違いない。

航空機ハイジャックから自決行為によりビルに2機の民間航空機が突っ込んで、飛行機の乗客ならびにビルの崩壊でそこにいた人々合わせて2977名が亡くなった。
ビルで勤務していた日本人24名もその中に含まれていた。
また亡くなった方の中では、命がけの救命活動にあたった消防士や警察官343名が含まれていた。
歴史上でも類をみないテロ事件がアメリカ国内で起きてから、わずか5か月後の2月8日から24日までアメリカ・ユタ州ソルトレークシティで第19回冬季オリンピックは開催された。

イントロの破れた星条旗の登場からして、アメリカはくじけないと高らかに宣言するようなムードで開会式は始まった。
ジョージ・W・ブッシュ大統領の開会宣言も物議を呼んだ。
本来の開会式の宣言は、オリンピック憲章第58条3項にのっとり「私は、第19回オリンピック冬季競技大会(開催都市名)大会の開会をここに宣言いたします」というだけのはずだった。
しかしブッシュ大統領は宣言の前に「誇り高く、優雅なこの国を代表して」(On behalf of a proud, determined and grateful nation)という言葉を付け加えた。
これにはオリンピック憲章に違反する、政治色の意味を持つコメントだという指摘がされるなど、賛否両論の意見があった。
オリンピック憲章は、時に窮屈な規定だと個人的には思っていたので、このブッシュ大統領の追加コメントは心情的にはありだと思った。
全世界の人々が目撃したワールドトレードセンターへのハイジャック飛行機の突撃、ツインビルの崩壊、多くの犠牲者のことを思い起こせば、自国開催のオリンピックで、当事国の大統領として何かメッセージを発信したいと思う心境は理解できた。
それほど、通常の状態では開催できないのではと思えたオリンピックでもあった。

ただ私の観た開会式での中継映像に、違和感を覚えた瞬間があったことは事実だ。
破れたアメリカ国旗が厳かに入場する前に、ロゲIOC会長と、組織委員会会長と共に3人で登場したブッシュ大統領を映し出す映像カットの多さと長さである。
アメリカ国歌がユタシンフォニー楽団の斉唱により会場に流れると、会場は早くも感動的な雰囲気に満ちた。
国歌が終了した後、拍手や歓声が響き渡る間、ブッシュ大統領らが引き上げていくシーンまでずっと国際映像は捉え続けた。
3人の中で、ブッシュ大統領だけが歓声に応えるように観客席へ片手を挙げていた。その間、開会式のセレモニー転換もないまま約45秒もの時間が流れた。
その姿はまるで大会の主役のようにさえ私の目には映った。

当時は放送の国際信号(全世界向けの映像と現場音声)制作は、今のようにIOCから委託されたOBSが一括制作するのではなく、組織委に指名され組織される開催国地元の放送プロダクションが制作していた。だからアメリカの制作チームが担当していたはずだ。
私の考えすぎであろうか。
ブッシュ大統領への配慮か、あるいは具体的な支持があったのか、アメリカの現在のリーダーを印象付ける撮影を行ったのではないかと思える様なシーンであった。

「アメリカのアメリカによるアメリカのためのオリンピック」・・このソルトレークシティ―大会をこのように揶揄した人もいた。
アメリカ初代大統領のリンカーンが演説で語った「人民の人民による人民のための政治」をもじってのことだ。
おそらく先の開会宣言をはじめ、ブッシュ大統領の政治的パフォーマンスの過剰さを感じた人も多くいたのであろう。
それは先の国際映像による印象もあったのではないかと私は個人的に思っている。

そもそもオリンピックの歴史を辿れば、アメリカ抜きには語れない。
世界でも有数のスポーツ大国でもあるアメリカは夏季オリンピックは1896年第1回アテネ大会から連続参加しており、唯一1980年モスクワ大会をボイコットで不参加となった。
冬季オリンピックも1924年第1回シャモニー大会からすべての大会に参加している。さらに夏季も冬季もメダル獲得数では常に上位にある。
自国開催の機会もダントツの実績がある。
夏季は1934年セントルイス、1932年ロサンゼルス、1984年ロサンゼルス、1996年アトランタと4回の開催。
冬季も1932年レークプラシッド、1960年スコ―バレー、1980年レークプラシッド、そして2002年ソルトレークシティーで4回目の開催だった。
ちなみに今後2028年にはロサンゼルスで夏季3回目の開催、2034年にはソルトレークシティーで2回目の開催が予定されている。
最近オリンピック開催国招致に消極的な都市ばかりでIOCも危惧していただけに、アメリカはIOCにとっても大事なパートナーの一つと言っても過言ではない。

パートナーと言えば、IOCのワールドワイドパートナー、いわゆるTOPパートナーにアメリカの企業が多く参加していたことも、アメリカとオリンピックの関係性が窺える。
長くスポンサーになっている”コカ・コーラ”についてはアトランタに本社があり、1996年開催に向けてIOC委員の多くが投票したとも聞くが真相はわからない。
”コカ・コーラ”は今でも契約が継続されているが、有名なところではマクドナルドがスポンサー契約を既に打ち切っている。
現在では、世界最大の消費財メーカーの”P&G”(プロクター&ギャンブル)、IT関連企業の”インテル”、民泊運営企業の”エアビーアンドビー”といったアメリカ企業がスポンサーについている。いずれも10年間で推定2000憶円とも言われるスポンサー料でIOCと契約しているのだ。
ちなみに日本の企業で長くワールドワイドパートナーを務めたパナソニック、トヨタが契約を打ち切ることになった。
スポンサーになる費用対効果を考慮してのことと聞く。
オリンピック大会中は、パラリンピックやその他世界選手権大会と違い、会場内に社名看板の露出が一切許されていないなど、メリットに疑問符が付くという指摘もある。

いずれにしても、IOCがオリンピックを運営するための予算は、主に各国のテレビ放送権料とスポンサー料から成り立っている。
大会組織員会は自身の収入のためにローカルスポンサーを別途募るが、先のワールドワイドパートナーは本当に限定された企業のみであり、IOCの大きな財源の一つであり続けているのだ。

IOCの財源と言えば、やはり一番大きいのがテレビ放送権料である。
そして、世界中で一番高額な放送権料を支払ってきたのがアメリカの放送局だ。
当時アメリカではNBC、ABC、CBSの3大ネットワークが視聴率争いでしのぎを削っていた。
アメリカにおいてオリンピックは大人気なので視聴率も放送スポンサー収入も大いに見込まれる。
その放送権の争奪戦の歴史は過激で、アメリカ自国開催ではそれはさらに顕著となる。
1984年夏季ロサンゼルス大会はABC、1996年夏季アトランタ大会はCBSが放送権を獲得。
もともと1964年東京や1988年ソウル、1992年バルセロナ大会では権利をつかんでいたNBCは必至の巻き返しで、今回のソルトレークシティーの放送権を獲得していた。
もう2度と後塵を拝さないように、NBCはその後IOCと莫大な放送権料で長期的なパッケージ契約を推し進めて現在に至るのである。
2014年ソチ大会から2020年東京大会までの夏冬4大会で43億8000万ドル(約4500億円)、さらに2022年北京大会から2032年ブリスベーン大会まで夏冬6大会で76億5000万ドル(約7800億円)と発表されているから、10大会通算でいくと1兆円を軽く突破する超高額な放送権をNBCはIOCに支払っている。
NBCの戦略が、明確かつ強固になっていったのも、この2002年ソルトレークシティ大会がきっかけと言ってもいいだろう。
いずれにしても、アメリカが放送の世界でも、IOCに大いなる発言力を持ち影響を与える存在であるのは間違いない。
だからこそオリンピック開催時期はアメリカの人気スポーツがオフの時期である7月、8月に固定されたし、自国の人気競技種目の決勝時間はアメリカのゴールデンタイムに指定されるなどである。
お金を多く出すパトロンが一番優先される。オリンピックも例外ではない。

さて2002年開催のソルトレークシティ―オリンピックに話を戻そう。
あの頃、アメリカにはテロに屈しない強い国を誇示し、国民の勇気を結集して強いアメリカを表現していくというムードがあったように個人的にも感じた。
2月8日開幕のオリンピックの前、2月3日に第36回スーパーボウルがニューオーリンズで開催された。
ご存じのようにスーパーボウルはアメリカ国民が誰しも興味を持ち、気持ちが一つになるような一大スポーツイベントだ。
私は日本テレビのスーパーボウル中継業務でニューオーリンズに向かったが、9・11の事件もあり渡米は緊張した旅となった。

現地で購入した2002スーパーボウルの公式グッズであるトレーナーに記された大会ロゴは、アメリカの国の形と星条旗をイメージさせるものであった。

毎年開催される大会ロゴは開催都市のイメージを入れ込んだ独自のデザインが採用されていたが、急遽大会ロゴはアメリカの国の形状と、星条旗をイメージさせるデザインに変更されていた。
1年以上も前から予定されたすべての印刷物や記念品も、わずか2か月程度で全て作り直されたはずだ。
全米を巻き込む人気スポーツであるNFLスーパーボウルの大会ロゴに、星条旗と国の領土イメージが採用されたのは後にも先にもこの大会だけであると私は認識している。
アメリカは立ち直る、負けない国であるという矜持と意地が感じ取れた。
スーパーボウルの中継が終了し、そのままソルトレークシティに向かった。
ダラスの空港で国内線乗り換えをした時は、ひどい雪で出発が少し遅れた。空港の書店で一冊の写真集を購入した。
写真集のタイトルは「ONE NATION」~America Remembers September 11,2001~。
それは今は廃刊となった「LIFE」が特集した、9・11の犠牲者を悼む本というべきもので、当時の悲劇を思い起こす生々しい写真が多く掲載されていた。
飛行機がビルに激突した瞬間、噴煙の中逃げ惑う人々、瓦礫と化したビルの跡地。
何より行方を捜すために家族らが用意したであろう、亡くなった方々の生前の顔写真をモザイクの様に集めて、星条旗に模したデザインにしたものが表紙になっていた。
改めて事件の悲惨さを感じ、憂鬱な気持ちになった。
そんな思いを引きずりながら、ソルトレークシティー入りし、注目のオリンピック開会式を見守ったことを思い出す。

LIFE発行(2001年)の9・11特集写真集の表紙から。今でもアマゾン等で購入できる。https://www.amazon.com/One-Nation-America-Remembers-September/dp/B0006A011M

ソルトレークシティーは、市内人口約20万人の小都市である。
飲酒や煙草を禁忌とするモルモン教の聖地でもある。
アメリカと言っても広大で50州もあり、ユタ州にあるこの街はニューヨークやロサンゼルスなどの大都市とは違ったのどかな表情を持っている。
それでもあの時、街にはちょっとした緊張があり、放送センターや会場にアクセスする場合、厳しい荷物検査などで金属探知機のある入場口は大変渋滞していた。
わずか5か月前に未曽有のテロが発生しているのだから、当たり前である。
先に述べたように、アメリカとオリンピックの関係性についてはもともと様々な意見があったが、この大会こそは開催国アメリカ国民を勇気付けてほしいと強く願ったのは間違いない。
スポーツと政治、宗教は切り離していかなければならない。
だからこそ政治性メッセージ云々といったレベルではなく、つらく苦しい思いをしている人たちをスポーツの持つ純粋な力で少しでも癒してほしいと思った。

私は期間中は国際放送センター(IBC)の中にあるマックでいつも簡単な食事を済ませ、時間がある時にはたまに街中のレストランで食事をした。
「京都」という美味しい日本食レストランもあり、なかなか高級で値段もする店だったが、ビールなどお酒はそこでは飲めた。
煙草も当然室内は禁止、また法律の規制上、建物から50m以上離れた屋外でのみ許可される喫煙場所はマイナス5度の極寒であった。
当時愛煙家であった私は、せっせとIBCの屋外喫煙場所に寒さに震えながら通ったものだ。
それでも美しい山々に囲まれた街の雰囲気は素敵で、オリンピックも平和に閉幕を迎えた。
9・11を乗り越えて冬季オリンピック開催をやり遂げたアメリカには、やはり拍手を送りたい気分だった。
アスリートたちも健闘し金メダル10個、銀メダル13個、銅メダル11個の合計34個は、2010年バンクーバー大会の37個に塗り替えられるまで史上最高であった。
ちなみに冬季大会の金メダル10個はいまだにアメリカ史上最高の成績である。

ちなみに日本勢は金メダル獲得はならず。
地元開催だった前回の1998年長野オリンピックに比べて不振で、男子スピードスケート500 m清水宏保の銀、女子モーグル里谷多英の銅とメダルも2個にとどまった。
長野で感動の金メダルを獲得したジャンプ団体も、5位入賞に終わった。

さてIOCは2034年の冬季オリンピックを再びソルトレークシティ―で開催することを決定した。
まだ詳しく取材できていないが、2002年のレガシー施設を有効利用するのであろう。

ちなみにNBCとIOCの放送権契約は2032年の夏大会でいったん終了する。
2034年ソルトレーク大会から新規の契約が始まるのだが、果たしてNBCはどのような戦略で臨むのだろうか。
IOCはアメリカ自国開催のメリットを最大に謳い、NBCに対して放送権料のつり上げを目論んでいるかもしれない。
ABC、CBSはNBCから権利を奪うだけの価値を、今後のオリンピックに見出しているのかさえ不明である。
しかしもうこれ以上、莫大ともいえる放送権料に頼るIOCの大会運営の路線変更をしてもらいたい。
放送のための開催都市へのインフラ要求(テレビスタジオ建設、カメラ設置のため等)も、大会組織委員会の負担を増大させている。
テレビ放送の体制充実、となれば放送権の拡大、すると必要な大会運営の肥大化と、連鎖している現状を再検証すべきだ。
放送のための競技日程調整も、度を過ぎてはならないだろう。アスリートの健康やコンディションが最優先されなくてはならない。
何より、これから世界のどこでも温暖化が進み、もはや夏季大会などは真夏の開催には無理が出てくるのではないか。
現に夏季のマラソンなどは早朝でもアスリートに負担がある猛暑になってきた。
それでもやはりアメリカのバスケットボール、フットボールなどの人気スポーツのオフ時期にしか開催を設定できないままなのか。

アメリカのアメリカによるアメリカのためのオリンピック。
そのような揶揄を受けない、純粋で楽しいスポーツの祭典の、これからの新しい発展を祈ってやまない。
アメリカを筆頭に、国威発揚的な場とする古い思想は捨てるべきだ。
これからはOne Nation からOne World といった、国境の垣根を超えた平和な世界の実現に向けて,こそ、アメリカが高邁な精神でリーダーシップをとってもらえるなら、今後のアメリカのオリンピック開催にも希望が持てると私は思う。



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