Essay

シリーズ記憶の解凍㉑「2006年トリノオリンピック」~50年ぶりのメダルに届かなかった100分の3秒の世界~

記憶の解凍とは、白黒写真をAIでカラー化して蘇らせて、記憶を鮮明に継承していく東京大学のプロジェクトのことである。

トリノオリンピック、アルペン男子回転決勝での出来事だ。
2本で勝負を決する回転(スラローム)での1本目で、日本の皆川健太郎は1位にわずか100分の7秒差で、3位につけていた。
現地の日本メディアのみならず、日の丸の旗をもって応援する数人の日本人たちの間にも、半世紀ぶりの快挙の予感が満ちていた。

回転と言えば、1956年という50年も前のコルチナ・ダンペッツォ(イタリア)冬季オリンピックで、日本の猪谷千春が銀メダルを獲得する金字塔を打ち立てた競技だ。
その大会では、オーストリアのトニー・ザイラーが史上初の3種目金メダル、三冠王を成し遂げたが、猪谷千春は偉大なスキーヤーと堂々と戦って、回転で2位になったのだ。
その後、アルペン競技で日本勢が世界のトップと争うだけの実力は、残念ながら無いまま時は過ぎた。
猪谷千春の快挙から、ちょうど50年の時を経て、同じイタリア・トリノでのオリンピック舞台で、アルペン競技における日本人メダルへの期待が膨らんだ。

世界的に見たら、冬のスポーツの代表的競技と言えば、スキーであろう。
斜面に設定されたコースを滑り降りる速さと技術を競う競技であり、ヨーロッパのアルプス地方が発祥で、発展してきたしたことからアルペンと呼ばれる。
アルペン=Alpenは「アルプスの」という意味のドイツ語だそうで、英語表記はAlpine。
技術系とスピード系に種目が大別され技術系の回転と大回転は急斜面での高度なターン技術が必要で2回の合計タイムで争う。
滑降は男子なら最高時速が140キロにも達するし、スーパー大回転は高速ターンのテクニックも見どころたっぷりである。滑降と回転1回を1日で行う複合を含め、個人種目として男女各5種目が行われる。

日本でも人気がないわけではないが、ヨーロッパなどと比べて競技人口はさほど多くないうえに、トップレベルでの世界ランキングもなかなか突出した選手が生まれていないのが実情だ。

冬季五輪では、1936年ガルミッシュパルテンキルヘン大会で初めて、滑降と回転の合計で争う複合1種目のみが実施された。
戦後再開された1948年大会は複合と、複合から独立した滑降、回転の3種目に拡大。複合はこの大会を最後に廃止され、1952年大会で大回転が加わり3種目が定着した。
1956年大会でトニー・ザイラー(オーストリア)が史上初の三冠王(滑降、回転、大回転)を達成し、アルペンスキーは一躍オリンピックでも人気種目となった。
1968年グルノーブル大会ではジャン・クロード・キリー(フランス)が史上2人目の三冠王達成し、記録映画「白い恋人たち」における映像と、フランシス・レイによるテーマ音楽で、日本人の記憶にも残ったかもしれない。

ヨーロッパを中心に、多くの耳目を集めるアルペン競技の男子回転で、日本の皆川健太郎がメダルに迫っていた数時間に話を戻そう。
1本目を終えて、ひょっとすると金メダルも視野に入っていたのだから、とてつもない期待が日本中を包んだ。

1本目は積極的な滑りで、1位との差はわずか100分の7秒の差で3位につけた。
現地で日の丸の旗を打ち振り応援する日本人もいたが、一様に神に祈るような姿が国際映像にも映し出された。
そして運命の2本目のスタートだ。
素人目には快調な滑り出しにも見えたが、旗門の通過を繰り返すうちに、なんとなく後半の伸びが少ないようにも感じた。
こうした印象は解説者による、滑りに対する会心の快哉が聞けなかったせいである時もある。
テレビ画面の隅に表示されるタイムが、やけに早く進んで時を刻んでいく様にみえてしまうから不思議だ。


息を止めていたかもしれない約1分の時は一瞬で流れた。
そして注目の2本目のタイムは、2本目1位のタイムと0秒97差の9位に終わった。
本人が後に告白したように、途中でブーツバックル(スキー靴の留め金具)が一つ外れてしまったこともあり、会心の滑りとは言えなかった。
それでも、ここまでの順位は、トータル3位のままで、残す滑走者はわずか2人だった。後2人、しかし2人とも世界の強豪だ。

まずフィンランドのカレパシベルが失格した。外国の選手のミスは気の毒ではあったが、皆川のメダルへの可能性に心は弾む。
あと一人の記録が皆川を上まらなければ、銅メダルを獲得する位置にまだいたのだ。

そして最終滑走者、オーストリアのベンジャミン・ライヒがスタートした。
1本目1位のライヒの、回転の技術はほぼ完璧に見えた。
ゴール後、テレビ画面にスーパーされた計時は2本合計のタイムをすぐに表示し、ライヒがトップであることを非情にも告げた。
この瞬間、アルペン競技における日本人50年ぶりのメダルの夢は終わった。

競技直後の皆川のインタビューは、あまりにも率直な言葉が並んだ。
「悔しいですね、ものすごく悔しいですね・・。しかし僕らも世界で確実にメダルに手が届くところまで来ているので・・。」
負け惜しみには一切聞こえなかった。
ここまでの道のりも含めて、それだけの手ごたえもあったはずだ。
それでも、あと少し、人がほんの瞬きするだけの時間で、日本中の悲願のメダルには届かなかった悔しさは、きっと言葉には言い表せないはずだ。
最終結果は、2本合わせて3位とはわずか100分の3秒の差で、4位に終わった。
100分の3秒という世界はいったいどんなものだろう。
アスリートが何年もの歳月をかけてトレ―ニングし、多くのレースを経験し研鑽してきた人生の時間からすれば、なんと短い一瞬であろうか。

ただこの入賞自体も、50年ぶりの快挙であったし、加えてもう一人の日本人、湯浅直樹も7位に入賞したから見事な結果であった。
もう少しこのアルペンでの快挙が評価されてもいいと思うが、やはり一般の多くの人にとってメダルの有無に目が行ってしまうのは仕方がないのかもしれない。
ちなみに皆川選手は、フリースタイルスキーの上村愛子さんと結婚されたが、世の中では上村さんの旦那様と呼ばれることが多いのではないか。もちろん上村さんもまた偉大なアスリートではあるが、あの皆川健太郎さんの奥様と呼ぶ人は少ないだろう。
余計なことを書いたようだが、アルペンスキーで猪谷千春さん以来のメダリストになっていたら、知名度は格段に違ったかもしれない。もちろんメダルがすべてなわけではない。しかし歴史に名を残すチャンスが目の前にあったことだけは間違いない。

確かに陸上競技の100mレースや水泳競技など、わずか100分の1秒の差に泣き笑いがあることは多い。
複数アスリートの同時争いならば、写真判定にまで持ち込まれて、身体一つ、ミリ単位で勝負の明暗が出ることもある。
しかし、日本人がなかなかメダルの射程距離になかったアルペン種目で、しかも50年という、とてつもなく長い時間を考えたら、100分の3秒の悔しさは、計り知れないだろうと思う。
スキーでいえば、あと数センチでも先にゴールインしていたらと思うが、これがスポーツのフェアーな勝負の結果であることも間違いない。

オリンピックでは、同じアルペンスキー競技において、奇跡的な勝負があった。
2014年ソチ大会での女子滑降では、2人の金メダリストが生まれた。
スロベニアのティナ・マゼとスイスのドミニク・ギザンは、共に1分41秒57という全くの同タイムで金メダルを2人で獲得した。
コンマ何秒の世界とはよく言うが、まったくの同タイム、しかもそれが優勝タイムというのも、めったにないことだろう。
昔、アルペンスキーのワールドカップでは何回か同タイム優勝があったと聞いたことはあるが、多くのレースを積み重ねると、そういった奇跡が起きるのかもしれない。
いずれにしても女子滑降のコースは2.7㎞の長い距離であり、その最終地点まで、2人は同じスピードでたどり着いたのだ。
この場合、100分の1秒の差もなかったということだから、めったにあることではないのは確かだ。

100分の1秒の世界まで、計時を正確に行い、人間の目では到底とらえることのできない時間というものを瞬時に諮ることが出来る機械には、恐れ入る。
そして、オリンピックの場合は長きに渡り、スイスのOMEGA(オメガ)社が、その中心的な役割を果たしてきた。
いわゆる公式記録を計時するオフィシャルタイマーというものだ。

100分の1秒という世界は、いったいどんなものだろうか。
アルペン競技のタイム計測は、選手の膝下がスタートラインを越えた時点で始まる。
そして選手の身体または装備のいずれかの部分がフィニッシュラインを通過し、フィニッシュ判定写真用の光線を横切ったタイミングでフィニッシュタイムが計測される。
さらにそのタイムは、少なくとも100分の1単位(0.01)で計測公表されねばならないというルールがある。
ちなみに、アルペンではスピードスケートのように100分の1で同タイムの場合、1000秒の1までチェックする規則はない。
試合中に降雪などで、赤外線による光計時の高さが変化するため、上記のように身体か装備の一部が通過したら自動計測されるシステムにしている。
スケートのブレードの先端が通過したら、時計が止まる、あるいは陸上なら身体のトルソー(胴体)が通過した時点を計測するものとは違うので、1000分の1までチェックする写真判定は意味がないからだと聞いた。

このように、陸上や水泳、そしてアルペンスキー、スピードスケートなどタイムを争う競技には全て、様々な企業の公式時計(オフィシャルタイマー)が導入されている。
例えば陸上競技の世界選手権などは、現在、わが日本のSEIKO(セイコー)がオフィシャルタイマーを任されている。
また、過去のオリンピックでも、1964年東京大会、1972年札幌大会、1992年バルセロナ大会、1994年リレハンメル大会、1998年長野大会、2002年ソルトレークシティ大会でオフィシャルタイマーとして参加している。どの時計企業も、スポーツ大会の運営に多大なる貢献をしていることを、もう一度認識してほしいと思う。

そして現在では、オリンピックは全ての競技に、スイスの企業であるOMEGA(オメガ)がIOC(国際オリンピック委員会)とワールドスポンサー契約をして独占的にオフィシャルタイマーを担当している。
その契約は、1932年ロス大会から始まって、来るパリ大会で31回目を迎える。
さらにIOCはオメガ社とのスポンサー契約を2032年夏季五輪まで12年間延長を発表したから、同社はなんと1世紀にわたってオリンピックの計時の中心的役割を担うことになる。

どんなスポーツ大会でも勝負を判定する公式計時は重要で不可欠であるが、それでもオリンピックという舞台で100年に渡る信頼を得ているオメガ社もまたさすがであると思う。

聞けば1932年ロス大会では、わずか30個のストップウォッチ(スプリットセコンドクロノグラフ)を持ち込んだそうだが、現在では計時の専門チームが最大450トンもの機材装置を駆使して大会を支えている。

OMEGAのHPをみると、オリンピックにおける計時の歴史の一端を垣間見ることが出来る。
1948年大会では早くも初の光電子写真装置を開発使用して、人間の審判の目を機会が上回った。
1964年インスブルック冬季大会では、中継テレビ画面の隅にタイムが連動して表示され、視聴者は勝負の行方を生放送で瞬時に理解した。
1968年メキシコ大会では、水泳のタイムは選手のゴールタッチで測定するタッチパネルの導入で、きわどい水際勝負の判定に公平さが持ち込まれた。同時にプールサイドからタイムキーパーも姿を消した。

放送人として個人的なオフィシャルタイマーの思い出は、1991年世界陸上東京大会でのトラック競技の制作担当の時のことだ。
男子100mでカールルイスが9秒86の世界新(当時)で優勝した時に、追い風参考になるかならないか(追い風2m以内は認定)は、テレビ放送の信号には乗らず、画面でスーパー表示ができない時代だった。そこでスタジアム内のオフィシャルタイマーであるSEIKOの公式表示のモニターを映像として撮影する必要があった。
レース直後の選手たちの泣き笑いの表情も重要だったが、何より世界新記録として、このレースが認定されるかどうかは最優先の情報提供であった。
神に祈りを捧げるルイスの歓喜の表情を、一瞬さえぎってまでカットインし映したSEIKOモニター表示、それは「+1.2m」(追い風1.2m)。見事な世界新記録であった。

すなわち、レースの計時のみならず、この陸上のコース風の測定まで、全て公式の記録と連動する情報を提供するのが、オフィシャルタイマーの責務である。
今でこそ、この追い風のデータなども公式なものがテレビ放送と連動していて、瞬時に画面に表示できる。
もちろん陸上、水泳などと同じように、冬のスポーツ、スピードスケート、アルペンスキーなども同様であるから、テレビ視聴者は結果をすぐに知ることが出来る時代になっている。
それでも、陸上などは時に同タイムの事象があり、その場合は公式記録に写真判定の時間を要することもある。
その場合も、オフィシャルタイマーの提供する機会の目が、最終判定の依りどころになるのだ。
1000分の1秒までデジタル計測も物理的に可能になっているから、究極の写真判定も含めて、はこうしたデータで判定している。

さらには、水泳競技のテレビ画面で見たことがあるだろう。
オンスクリーン グラフィックスによって作成された、ヴァーチャル レコードラインは、各種目での世界記録のペースを赤いラインで示すこともできるようになった。世界新への期待が膨らむと共に、先頭の選手がこのラインより前にゴールしたら、世界新記録が樹立されたことが一瞬で明白になる。
他にも、スタート前に選手名、レーン、国籍を表示し、ゴールと同時に上位3 位までの選手の名前と順位が、該当するレーンにハイライト表示されるなどの技術により、テレビ観戦で競技の勝敗が分かりやすくなったのもオフィシャルタイマーの進化だ。

東京オリパラ組織委員会でも勤務し、大会準備に関わる中でも、オリンピックのオフィシャルタイマーであるOMEGAとのやり取りにも参加した。スタジアム内で表示される公式記録が、同時にテレビ画面にデータが送られるシステムには万難を排するように各所に徹底された。皮肉にも東京大会は無観客になったため、スタジアムでの記録発表への観衆の、どよめきや、ため息といったリアクションは見られなかった。それでも全世界に発信される国際信号(OBSが制作)にすべての記録は刻まれて、世界中どこにいても結果は即座に知らされた。

一流アスリートたちの真剣勝負は、来るパリオリンピックでも100分の1秒差のきわどいドラマを生み出すかもしれない。
オメガ社のパリ大会に向けた広告メッセージはこうだ。

「すべての瞬間を計測し、すべての夢を記録します」
”スタートからスコアボードまで、全ての競技においてオメガは自身の責務として、あらゆるスリリングな時間と結末を正確にとらえてきました。それは我々の挑戦であり、誇り高い名誉でもあります。”

これからも記録測定は、OMEGAやSEIKOなどオフィシャルタイマーに任せよう。
ただ記憶は、私たち一人一人の中に大事に残されていくだろう。
そして、数字としてだけ残された記録の裏には、様々なエピソードも潜んでいる。
それらを未来に継承していくことこそ大切だと、私はいつも思っている。

(参考)オメガ社とセイコー社のHPをみると、オフィシャルタイマーたちの歴史がよくわかると思う。
オメガ・ウォッチ: オリンピック | OMEGA JP® (omegawatches.jp)
セイコーとスポーツの歴史 | セイコーとスポーツ | セイコーグループ (seiko.co.jp)

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