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イスラエルのサッカー ~U20ワールドカップの躍進から思うこと~

アルゼンチンで開催されているFIFAUー20ワールドカップでイスラエルが旋風を巻き起こしている。
日本と同じグループリーグC組を2位で突破しベスト16入りした後、ウズベキスタン、ブラジルを連破しベスト4に名乗りを上げた。
特に準々決勝のブラジル戦はすごかった。
常にブラジルに先制を許しながらも2対2の同点に追いついてからの延長前半終了間際の19歳、トゥルゲマンの決勝ゴールに目を見張った。
巧みなキックフェイントからブラジルディフェンダーを巧みにかわし、最後はスライディングタックルを受ける寸前に絶妙なタイミングでシュートを放ち貴重な決勝ゴールを挙げたのだ。この大会が始まる前まで、FIFAトーナメントで一度も勝利がなかったイスラエルが、大会の歴史の中で最も衝撃的な大逆転劇をやってのけたのだ。

イスラエルにとっては、FIFA U-20ワールドカップは初出場となる。
2022年のU-19欧州選手権で初めて決勝に進出しイングランドに次いで準優勝しただけに、今回の大会でも躍進の可能性を十分に秘めてはいた。
次は準決勝でウルグアイと対戦する。イスラエルサッカーの鮮明な記憶は世界中に既に刻まれたが、果たして結果はどうなることだろうか。

そして日本にとってもグループステージの最終戦でアディショナルタイムに得点を許して1対2と逆転負けを喫して、予選リーグ敗退となる手痛い結果となった相手だから、なおさら印象深いだろう。
日本はグループステージを突破するには引き分けでもよかったが、イスラエル選手の退場もあって人数も少ない10人を相手に、先制点を守れず2点を失った。
「試合の運び方も含め、自分のマネジメントに悔いが残る。何度、海外遠征を繰り返してもW杯の本番の強度や雰囲気、コンディションも含めて(この場所に)立った人間しかわからないことがある。それを選手たちがどう消化し、成長していってくれるのか。日本代表としていろんなものを背負って戦ってきたので、そこは感謝の気持ちですが、ここから先、彼らが進む道で、もっともっとやらなければいけないと痛感したと思います。みんなで強豪国になるべく進んでいければと思います」冨樫剛一監督は大会をこう振り返った。

本当に残念な結果となったが、おそらく日本にとってイスラエルと対戦するのは1977年以来ではないか。
A代表も含めてイスラエルのサッカーは日本とは縁遠い存在で、対戦の交流は極めて少ない関係だ。
私のかすかな記憶と日本サッカー協会に残る資料を重ねてみても、わずか7試合の対戦だけが私には確認できた。
1974西ドイツワールドカップ予選で、1973年5月に2試合対戦したが1対2、0対1と連敗した。
当時高校生だった私にはその記憶があるが、まだ釜本邦茂、永井良和といった名選手が揃っても、東アジア・ソウルの集中開催予選にもかかわらず勝てなかった。
イスラエルの選手の名前はシュピーグラー、オナナという2人しか覚えていないが、うまいなあと思ったのは間違いない。

1974年テヘランで開催されたアジア大会でも0対3と敗戦。1976年のモントリオール五輪予選では中立地ソウルで0対3、アウェーのテルアビブでは1対4と完敗した。いずれも釜本が日本のストライカーとして君臨していた時代だ。
1978アルゼンチンワールドカップ予選でも1977年3月にテルアビブで2試合戦って、いずれも0対2とノーゴールで負けている。奥寺康彦らがメンバーにいた日本代表であった。

対戦成績は日本の0勝7敗、7試合合計17ゴールを奪われてわずか2ゴールしか奪えなかった歴史がある。
だから一部のオールドファンにとって、かつてはアジアの予選で戦ったイスラエルはサッカーの強い国というイメージが未だにある。
もちろん過去は過去、現在のA代表のFIFAランキングを見ても日本が20位、イスラエルが76位と今では日本が上位にいるのは間違いない。
しかし今回のU―20世代の日本代表は優勝も目指せる期待値が高いチームにも関わらずイスラエルに敗戦したのは事実で、将来のワールドカップ本大会で相まみえないとは言えないし、今後は脅威になるのかもしれない。

ちなみにイスラエルA代表は、一度だけFIFAワールドカップ出場を果たしている。
シュピーグラーによる1つのゴールと、2つの引き分けがあるだけで勝利はなかった。
1970年と今から半世紀も前のことだが、アジア最終予選を戦ってメキシコの本大会へと進んだ。
今でこそUEFA(欧州サッカー連盟)に加盟しているイスラエルだが、最初は1956年からAFC(アジアサッカー連盟)に所属していた。そもそも中東エリアにある国なので、アジアの西部のカテゴリーであったが、ご存知のようにパレスチナ問題の当事国でアラブの国と敵対し、1970年代に中東戦争が苛烈になったことなどからアジアでの試合もままならなくなった。
1974年にはついにAFCを脱退、その後は一時的にオセアニアサッカー連盟のメンバーに入ったことで、日本代表ともアジア・オセアニア地区予選というくくりで対戦機会があったというわけだ。1992年からUEFAに所属することになり、イスラエルは地理的にアジアでありながらヨーロッパを舞台にサッカーを戦う立場になったのだから複雑な歴史を背負っていることは間違いない。そして日本とのサッカー交流もほとんど皆無となっていった。

思えば今回のU-20ワールドカップの開催国はインドネシアに決まっていたのだが、インドネシア国内ではイスラエルの参加拒否を唱えるなど抗議の声が上がり、組み合わせ抽選会を中止するなど国内の混乱を極めた。
それを受けFIFAは2023年3月29日、FIFAインファンティーノ会長とインドネシアサッカー協会長の会談を経てインドネシアの開催権を剥奪することを発表した。
2023年4月18日、FIFAは代替開催国をアルゼンチンとし、インドネシアに替わり同国に出場権を与えることを理事会で承認し、公式発表した。
インドネシアはイスラム教を国教とするイスラム国ではないが、1945年の独立以来、イスラム教徒であるパレスチナを支援し、イスラエルとは外交関係を結んでいない。
さらに独立の父スカルノ初代大統領が「パレスチナが独立するまでイスラエルを国家として承認しない」との姿勢を打ち出し、それがいまだにインドネシアの「イスラエル拒否」に繋がっていると聞く。
事態を重く見たジョコ・ウィドド大統領は3月28日、「政治とスポーツは全く別ものである」として国内世論の鎮静化に乗り出したが、手遅れとなった。
選手には何も非のない、このような騒ぎが引き起こされてのワールドカップ参加は、イスラエルの20歳に満たない若者たちに精神的な苦痛も伴うものだったかもしれない。

それでも彼らはグループリーグ日本戦、ベスト16のウズベキスタン戦ともにアディショナルタイムに決勝ゴールを挙げ、ブラジル戦も延長戦にもつれ込んでの劇的な逆転ゴールも生み出したから、その精神力の強さに驚く。
今大会の全試合を生放送と録画でフル中継をしてくれているJスポーツの映像を見る限り、日本が勝てない相手ではなかったとは思う。
しかしブラジル戦などを見てもイスラエルチームは、個人の強さ、技術の高さはさることながら、局面や時間帯で自分たちは何をするべきかが非常に明確に共有されているという印象を持った。

“サッカーには国境がない、世界の共通語である”というフレーズは長く引用されてきた。
サッカーを愛し、楽しむ文化は世界中で一致したものに違いない。
そしてイスラエルしかり、パレスチナのチームもしかり、あるいは世界中の戦争や内紛のある国もしかり、それぞれ代表チームは存在し、かつその年代ごとのチームも技を磨きながら、国の誇りもかけて純粋に戦おうとしているのも事実だ。
その気持ちには国境という垣根はもちろんないはずだ。
イスラエルというチームの、パレスチナの国々との自由な交流はいつになったら実現するのであろうか。
歴史的な背景や政治解決、宗教問題など、ことは簡単ではないとは思うが、スポーツの持つ力も侮れないと信じたい。
今年の5月にも、イスラエルはパレスチナ自治区ガザの武装組織「イスラム聖戦」とミサイル攻撃の応酬を繰り返しエジプトが仲介になって停戦したが、繰り返されて長期化した戦争は日本では最早あまり多くは報道されない。こうした戦争が日常化した世界はあまりに悲しすぎる。
同じように一刻でも早く、ウクライナやロシアのチームが平和な時間と場所を共有できるスタジアムでスポーツをする姿も見たい。
今、イスラエルの若者たちのサッカーを観ながら、そんなことにまで想いを馳せている。

(追記)
6月9日の日本時間の早朝に、準決勝2試合が行われてイスラエルはウルグアイに1対0で敗れた。
ブラジルを破ってベスト4に進出した快挙に改めて拍手を送ろう。準決勝のもう1試合はイタリアが韓国に勝利して、決勝はウルグアイ対イタリアとなった。3位決定戦はイスラエル対韓国となり、韓国にとってもかつてアジア予選などで対戦したイスラエルとは久々の対戦だろうから、これまた楽しみな対戦だ。20歳未満の若者たちの世界のサッカーも魅力に満ちている。今回はグループリーグで敗退した日本代表もこれから数々の経験をしながら、いつか再び今大会に出場した各国の選手たちと競い合う時が必ず来ると思う。それこそが楽しみだ。
(大会の最終結果)
今回のUー20ワールドカップはウルグアイがイタリアを1対0で破り初優勝した。イスラエルは韓国を3対1で下して3位に輝いた。
最後に、急遽開催国が変更された中で、無事に大会を主催運営したアルゼンチンにも敬意を表したい。

2024年2月6日追記)
イスラエルとパレスチナ自治区ガザをめぐっての争いは、昨年10月からイスラエルとパレスチナ側のハマスとの間で戦争が激化した。お互いの攻撃の応酬や、ハマスによるイスラエル人の人質問題も一向に解決しない。私は取材したわけではないが、このU-17大会で活躍したイスラエル選手の家族や知り合いでも、安全が保障されていなかったり、ひどいときは人質に取られていたり、死亡するような出来事が起こっていることすらあり得る。そして最近のアジアカップでベスト16に入ったパレスチナ代表しかり。
憎しみあいが奪う平和な日常、好きなサッカーすら満足にできない状況を想像すると胸が痛い。難しい問題だが、早く戦争が終わってほしいと願うばかりだ。

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