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男子バスケ48年ぶり五輪自力出場へ ~10年前には想像もできなかった奇跡~

48年ぶりのオリンピック自力出場を叶えた日本男子バスケットボール。
日本テレビとテレビ朝日が地上波中心で取り組み、ゴールデンタイムでの放送の視聴率も試合ごとにぐんぐん上がっていった。
このワールドカップで初めて3勝目を挙げてアジア1位となったカーボ・ベルデ戦は世帯視聴率22.9 %、個人視聴率15.3%を記録した。パリオリンピックに出場できるのは世界でわずか12チームだから、本当に久々の快挙である。
いろいろなエピソードも生まれた。オリンピックを逃したら引退発言で、自身を追い込みながらチームを牽引した渡邊雄太、代表歴10年でチーム最年長の比江島慎の奮闘、キャプテン富樫勇樹のリーダーシップ、172㎝と小柄な河村勇輝の見事な活躍、かまいたち山内、やすこ似と評判の富永啓生の3ポイントシュートの切れ味・・。
WBCでもそうだが、やはり結果を出すことで評価はついてくるし、人気も上がっていくものだ。
もともと井上雄彦氏の漫画「スラムダンク」によるバスケの認知度が高かったにせよ、ここまでの人気と結果を男子代表が生み出すとは予想していなかった。
そして”にわかファン”も一気に増えた、大いに結構なことだ。

私も2016年に開幕したBリーグ開幕戦、そのあとはBリーグチャンピオンシップ決勝を数回取材した程度の”にわか”なことを白状しよう。
Bリーグ開幕戦が行われた代々木第一体育館では華やかなセレモニーや場内演出は見事だったが、果たして日本のプロバスケットボールが新しい体制で、どのようにこれから発展していくのか、正直に言うとまだ不安な気持ちが強かった。

その気持ちをもたらしていた大きな原因は、今からおよそ10年前に起きた日本バスケットボールの国際試合からの締め出しという負の歴史があったからだ。
2014年11月にFIBA(国際バスケットボール連盟)がJBA(日本バスケットボール連盟)に「日本バスケ正常化」と称して、当時2つのリーグ(NBLとbjリーグ)が並立していたものを、一つのリーグに統合するミッションを下した。しかもタイムリミットは2015年6月という短期間で、日本協会の資格停止、男女ともにあらゆる国際試合への出場禁止という厳しい強制措置であった。
目前に控えたリオ五輪の予選のみならず、開催が決まっていた東京五輪への開催国出場枠も不確定だと言われ、日本バスケットボール界全体の危機であった。
その対応に指名されたのがJリーグ、日本サッカー協会会長を歴任し、2015年に日本バスケットボール協会会長に就任した川淵三郎氏である。
彼のJリーグで経験した修羅場の数々や解決の手法が生かされて、FIBAの条件を叶えるべく、わずか半年という短期間で2つのリーグは統合へと進み、2015年8月にはFIBAの制裁は解除された。
当時オリンピック・パラリンピック大会組織委員会で仕事をしていた私には、地元開催の東京オリンピックに日本代表の参加すら許されない可能性すらあることに大きなショックを感じていたことを思い出す。
スラムダンク人気で知られるバスケが今一つ世界の舞台で活躍できていない現状にも物足りなさを感じてもいた。
しかし2016年Bリーグ発足と共に国際試合出場資格も回復し、代表チームの強化が一気に進んだともいえる。
川淵氏のみならず、多くの関係者が尽力して一致団結したのも事実だろう。野球、サッカーに次ぐ日本では3番目の本物のプロリーグの誕生は大きな意義があったように思う。
さらにBリーグの強力なスポンサーにはソフトバンクがついて、2016年には4年間で120億円、20年からも3年契約90億でソフトバンクグループが継続して支援していると聞く。今回の五輪出場決定には1億円のボーナスも代表チームに贈られた。

もうこれ以上、負の歴史も含んだ昔話はやめにしよう。
ただこのおよそ10年前の時代に日本代表選手として既にプレーしていた比江島慎、渡邊雄太のことにどうしても想いを馳せてしまう。
国際試合をすることすらできなくなるかもしれない恐れを抱きながら自身を磨いていった彼らの、今回のオリンピック出場の決挙は万感の思いがあるに違いない。
ともに2012年には日本代表に選出されて長く貢献してきた。それでも2人は前回の2019年ワールドカップ、2021年開催の東京オリンピックでもなんと1勝も挙げることができなかった。
今回大活躍の河村、富永らはまだ22歳、10年前はプレーこそしていたであろうが、おそらくまだ小中学生で代表にはもちろんいなかった。
そして東京オリンピックで勝てなかった屈辱も肌では知らない世代であるから、このワールドカップでは、かえってのびのびプレーしていたのかもしれない。
今度オリンピックを逃したら、代表ユニホームを脱ぐと宣言した28歳渡邊の強い思いは立派だが、その分強いプレッシャーや悲壮感もあったかもしれない。
比江島もまた33歳と代表最年長で、かつBリーグでもトップをけん引してきただけに若手の活躍を引き出しながら、自らチームに貢献するという並々ならぬ思いを持っていたに違いない。
オリンピック出場を決めた試合後のインタビューで2人が「俺たち、強くなったね」と感慨深げに語っていたのも、国際試合で勝てない口惜しさを晴らすために、10年かけて苦労を共にしてきた盟友同士の本音であろう。

今回大事なフィンランド戦は最大18 点差をひっくり返す大逆転で欧州のチームからワールドカップ初勝利を挙げた。
またベネズエラ戦もこれまた15点差を覆し、オリンピック切符を大きく手繰り寄せる奇跡の逆転といわれた。
ベネズエラ戦での比江島の第4Qだけで17得点、カーボ・ベルデ戦での富永の3ポイントシュート8本中6本を決めての成功率75%、どれもが奇跡的と呼ばれた。
しかし確かに苦しい試合展開を大逆転した先のプレーの数々は奇跡的とも呼べるが、それらはいわゆるゾーンに入った選手の状況や、多少の運や、沖縄アリーナの会場の大声援などが後押ししたものだとしても、決してフロックや神がかり的なものではないと思う。
代表に関しては女子を東京五輪で銀メダルに導いたホーバス監督の確かな手腕は見逃せない。
そしてなんといってもBリーグが成立してからの7年を中心に、若い世代の有望選手が続々と誕生していき、日本バスケが確実に進歩を遂げてきた証であるように思う。
富永、河村といった22歳の若き才能は今後ますます期待できる。
となれば、10年前の国際試合ができない、ワールドカップやオリンピックに参加できなくなるかもしれない事態から巻き返した日本バスケットボールの歴史こそ、やはり奇跡と呼べるものだったのかもしれない。

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