Essay

シリーズ・記憶の解凍㉔「2014年ソチオリンピック」~羽生結弦らメダリストが素顔を見せた場所~

記憶の解凍とは、白黒写真をAIでカラー化して蘇らせて、記憶を鮮明に継承していく東京大学のプロジェクトのことである。

2014年2月、ロシアのソチで開催された冬季オリンピックで、日本勢は金メダル1、銀メダル4,銅メダル5個を獲得した。
唯一の金メダルを獲得したのは、男子フィギアスケートの羽生弓弦である。
男子としては日本人初の快挙であり、18歳の若者が世界に新たな歴史を刻んだ。
ショートプログラムで史上最高点となる101.45点をマークした羽生結弦が、フリーでも2011年から13年の世界選手権王者、パトリック・チャン(カナダ)を抑えて優勝したシーンは印象的だった。
その初々しい晴れ姿は輝いていた。
そして日本勢では、41歳のベテラン葛西紀明がジャンプで銀メダル、団体でも銅メダルを獲得した。
またスノーボードのアルペンで、竹内智香がこの種目で初めて銀メダルに輝くなど、日本勢は大いに気を吐いた。

しかし金メダルを大いに期待された2人の女性アスリートは、メダルの獲得もならなかった。
女子フィギアスケートの浅田真央は、ショートプログラム(SP)でまさかの転倒。
得意のトリプルアクセルはじめ、ジャンプはことごとく失敗に終わり14位に沈んだ。
前回のバンクーバーでは銀メダル、ソチでは成熟したトリプルアクセルをひっさげて成熟の演技を期待されただけに、失望が日本中を覆った。
それでも、フリーで圧巻の演技を披露し6位に入賞したシーンは、多くの日本人の記憶に残った。

また女子スキージャンプの高梨沙羅も、オリンピック前のW杯で13戦10勝を挙げて絶好調であったが、4位入賞に終わった。
それでも17歳の高梨は、次大会こそと唇をかんだ。
4位は立派な成績だが、それでもメダルでなければ失敗と思ってしまう日本人があまりに多いのは残念なことだ。
スポーツは結果がすべてとは思わない。
入賞や自己ベストの更新、自身の技へのあくなき挑戦などに向けては、いつも拍手を送るべきだ。
それでもみている側の多くの人は、いつもメダルを求めてしまう。
そのようなメダルへの重圧を乗り越えて、見事にメダルという勲章を勝ち得たアスリートには、だからなおさら敬服するばかりだ。

こうしたメダリストなど、活躍したアスリートへのインタビューは、喜びや安堵の感情が多くの人に伝わるコミュニケーション手段の一つである。
彼らが努力してきた長い年月を、自身の短い言葉で伝えきれるわけではないが、受け答えの表情からも達成感がこちらに伝わってくる。
日本オリンピック委員会(JOC)は、アスリートのコンデイション維持やメディア取材の集中を避けるために、取材機会を設けるが数少ないチャンスしかない。
オリンピック大会期間中にアスリートに取材をする機会は、以下に挙げるように、本当に限られているのだ。

競技場においては、まず競技直後のフラッシュインタビューが最優先に行われる。
生放送の競技中継を行うジャパンコンソーシアム(JC)の代表アナウンサーが、終了直後にアスリートから言葉をもらうので、本当に素直な感情が爆発することが多い。
夏季アテネ大会での水泳男子100m平泳ぎで金メダルを獲得した北島康介の「気持ちいい、超気持ちいい!」が有名だろう。
またバルセロナ大会の水泳女子200m平泳ぎで14歳の若さで優勝した岩崎恭子の「今まで生きてきた中で一番うれしい」、男子マラソン谷口浩美の「こけちゃいました」もフラッシュインタビューとして、人々の記憶に深く刻まれたものだ。

アスリートは次にミックスゾーンと言われる場所へ向かう。
アスリートとメディアが交わるところの意味からミックスゾーンと名付けられたが、簡単に言うとインタビューエリアである。
ミックスゾーンでは、放送権のあるテレビが優先的に行われて、次に新聞、雑誌など紙媒体のメディアがインタビューを行う。
日本の場合、JCの6局すべてが希望すれば、原則として全局が同じように独自取材を行う権利がある。
日本における放送権は、世界でも例を見ないコンソーシアム形式で、NHK、民放5局から構成されるJCがIOCと契約している。
その放送権料は異常なほど高額で、JC加盟各社は分担して負担をしているため、各局一律にインタビューなど様々な権利を主張するのは仕方がない実情がある。
もはや報道のためにお金を払っているというわけで、紙媒体のニュースの使命とは別物扱いになってしまったかのようだ。
おまけに同じような質問を、各局が用意したコメンテーターが繰り返しするので、時間もおのずとかかる。
NHKはじめ各局が自局ニュースや情報番組で流れる独自インタビュー内容が微妙に違うのはそのせいである。
紙媒体は原則として一回限り、まとめての囲み取材となり、締め切りも迫っていることなどから、テレビ優先への不満もあるとよく聞く。

個人的にはテレビは代表インタビュー制をもっと採用してはどうかと思うが、一部で採用されても、なかなか実現は難しいのだ。
ちなみにアスリートはミックスゾーンを必ず通過する義務があるが、必ずしもインタビューに答えなければならない決まりはない。
もちろんほとんどのアスリートは、自国のオリンピック委員会広報のアテンドもあり、勝っても負けてもインタビューに応じてくれるケースがほとんどだ。

そして会場の外で基本的にメダリストだけを対象に、特別にお願いしているインタビューがある。
一つはプレスセンターやジャパンハウスというJOC が特設した場所での共同記者会見である。
もう一つが、放送権を持つJCの各局が行うテレビインタビューである。
それは国際放送センター(IBC)に来てもらって、各社が設えたそれぞれのスタジオに出演してもらうものである。
メダリストには全局が出演を希望するため、ばらばらの場所ではなく一か所で巡回するのが効率的かつ現実的である。
おまけに、生放送対応して東京のキャスターとの掛け合いや、放送機材の関係もあるので、わざわざIBCにまでご足労願う必要がある。

加えてテレビの場合、どの放送局も自局の生放送に出演してもらいたい。
したがって現地時間でレース直後であろうが、早朝であろうが日本の朝、夕方ニュースや情報番組に合わせてのインタビューとなる。
そしてアスリートゲストを招待してもいいように、IBCの中には東京に設えたような豪華なスタジオセットまで用意するので、各放送局も準備が大掛かりになり、経費も膨らむのも事実である。
それでも各社が力を入れるのは栄えあるメダリストたちを、まだ興奮冷めやらぬうちに各自の番組に出演してもらいためである。
4年に一度の喜びをストレートに日本中に一斉に伝えるには、テレビの力が大きいのは間違いない。
だからこそ、方法の改善余地はあるかもしれないが、IBCメダリストインタビューは現在でも継続され、2021年コロナ禍の東京大会でも、2024年パリ大会でも同じように実施された。

IBCとは世界各国のオリンピック放送権を獲得した放送局(放送権者=RHB)が、現地の放送拠点とする重要な場所である。
アメリカのNBC、ヨーロッパは当時EBU(ヨーロッパ放送連合)加盟放送局、中でも英国のBBCやドイツのARD、中国のCCTV、ブラジルのTVグローボなどが有名なRHBであり、日本はNHKと民放連で構成するジャパンコンソーシアム(JC)がRHBとして、毎大会現地のIBCにスタジオと送出技術スペースを確保している。

2014年ソチ冬季オリンピックの際の国際放送センター(IBC =International Broadcast Center)の正面入り口。プレスセンターも隣接されていたが、入り口は別である。

IBCは夏季、冬季大会いずれも開催国の大会組織委員会が設置場所を必ず提供しなくてはならないもので、放送に必要な多くの施設、機材を収容するために広大な敷地が求められる。夏季では総面積75000平方m以上、冬季では総面積43000平方m以上かつ山岳競技エリアには総面積9000平方m以上の第2放送センターが必要とされている。
(2020東京大会準備に向けたIOCの放送マニュアルの記述から)
詳細に記述したのは、オリンピック放送の規模の大きさと、IBCの巨大さと重要性を一般にも知ってもらいたかったからである。

ちなみにアスリートは競技者用のアクレディ(競技場などへのアクセスに必要なパス)のカテゴリーではIBCには入れない。
IBCは世界中の放送関係者のみが基本的に働く場所なので、選手はじめ、各スポーツ協会の偉い方々にも、規制を設けているのだ。
必要に応じてゲストパスの発行を義務付けられる。
ゲストパスについては、例えば前日18時までにIBCでの受け入れ先の責任者、アクセスする人物の名前、情報などを届けでなければならない。
メダルが獲得されてからでは当日のゲストで招待できないので、この作業に大変苦労をしていたが、この大会から日本人選手団全員を事前登録できるシステムにするよう強くリクエストし承認されたので、作業は格段に楽になったが、今度はその入力数が膨大になり、関係者の頭を悩ませた。
その後は使いまわしできるゲストパスの割り当ても発行されるようになったから、作業はさらに軽減されている。
ちなみに紙媒体のプレスセンターが隣接される場合が多いが、これまたプレス関係者はアクセスできないようになっている。

そのような複雑な作業や、ゲストアスリートの送迎やアテンドの手配といったアレンジが苦労を伴うものであっても、メダリストをIBCに迎えて一緒にお祝いする番組制作はいつでも楽しみなものだった。

IBCインタビュー順番のタイムスロットを示す進行表。この資料は2018年冬季平昌オリンピックのもので、各社10分の持ち時間、移動時間3分を示す。
EXはテレビ朝日、TXはテレビ東京、CXはフジテレビを指すコールナンバーである。放送界内では時にこうした略語で表現することがある。

ソチ大会でも、日本のメダリストは連日のようにメダルを携えてIBCに来てくれた。
このIBCインタビューを承認してくれるのは日本オリンピック委員会(JOC)であり、広報が担当窓口になって選手アテンドもしてくれる。
詳しく言うとテレビ局からもテレビコーディネーターと呼ぶ専任の担当者を派遣し、JOC広報と共同作業にあたっている。

ソチ大会の場合、時差は日本とはマイナス5時間であった。(注:2014年10月からソチは標準時間変更があり、現在はマイナス6時間となっている)
現地24時からだと朝6時からのニュースや情報番組に放送がフィットする。
また、翌日にはなるが現地12時開始だと日本では、18時からの夕方ニュースにぴったりと合う。
深夜や時に早朝にIBCへの往復と長時間出演は、アスリートにとって負担である。
競技後で心身ともに疲労しているだろうし、同じ質問の繰り返しにうんざりするかとも思うが、メダルを獲得した栄誉と喜びが協力してもらえる源になっている。

しかし先に述べたように、オリンピック放送権はNHKと民放5社の共同なので、このインタビュー機会もテレビだけで6回必要になる。
加えてNHKと民放ラジオ局も数社あるので、これらラジオ向けに一つの機会も作るため、合計7回ものインタビュー時間をひねり出してもらうのだ。
このインタビューの時間割をタイムスロットと呼んでいる。
ちなみにその順番は話し合いで調整し、どうしても希望が重複する場合はじゃんけんで決定するというスタイルだ。
ソチ大会においては、7つのスロットの内訳は、各社持ち時間が8分、マイクの付け替え、各社スタジオへの歩き移動時間を約2分と想定された。
IBCの日本各社の放送局スタジオは隣り合わせとはいえそれなりの廊下を移動しなくてはならない。
(その後、平昌大会では持ち時間が10分、移動時間3分に変更されるなど大会によって少し変わる。)
いずれにしても延べにすると約1時間半もの拘束をメダリストは強いられる。
おまけにスタジオ内の放送用の照明は明るく、時に暑いときもある。顔出しだから、ずっと緊張もしてカメラの前で受け答えをしていただろう。

そしてたいていの場合、テレビが優先でラジオは一番最後になることが多かった。
晴れがましくも、一休みもできなかった約1時間を経て、最後のラジオの枠になると、一様にアスリートはほっとした表情を見せる。
ラジオは予算の関係もあり、スタジオではなく会議室を間借りする形でインタビューエリアを確保していた。
ラジオは生放送対応もあれば、選手との掛け合い含めて収録しておくやり方をしていたように思う。
そこにはスタジオ照明もなく、机と椅子が用意されているだけである。そしてピンマイクを付ける必要もない。
ラジオアナウンサーにより差し向けれたハンドマイクに対面で応対するのは、昔ながらである。
加えて日本にいる関係者とのやり取りはたいていアナログスタイルの電話応対で、しかも相手は、芸能人やキャスターではなく、家族や近親者だったりする。
すると、みるみる緊張が一気に解けて、素顔の表情になる瞬間を多く見ることが出来た。
何よりカメラで撮られることがないから、あくびの一つでもできる環境だ。
実際にあくびをする選手はいなかったのだが、それでも本当にリラックスした素顔をのぞかせていた。
民放(JBA)ルーム統括(取材やインタビューの取りまとめ役)だった私も、各テレビ局の持ち回りインタビューに立ちあったので、最後が多いこのラジオの番まで来ると一安心だったのも覚えている。

そこには18歳の金メダリスト羽生もいたし、41歳の銀メダリスト葛西もいた。
特に印象的だったのは、羽生の初々しさである。
金メダリストとはいえ、まだ18歳であった羽生は、ラジオのインタビュ―室に入ってきた時にふうっと息を吐き、初めてほっとしたような表情を見せたように私には思えた。
華奢な体つきと八頭身以上のすらっとしたスタイルの良さにも改めて驚いた。
ラジオ番組の担当者は、羽生の近親者と電話を繋ぎ、彼は本当にうれしそうに会話をしていた。誰と話しているのかを私には確認することはできなかったが、テレビで見せた以上のリラックスした表情を忘れない。
実はオリンピックのラジオ実況中継は、昔に比べて格段に減ってしまった。
私自身も普段、ラジオのスポーツ中継を聴く機会はほとんどなくなっていた。
しかし、ソチオリンピックでは改めてラジオならではのやり方、その特性、長所も思い出すことになった貴重な経験だった。

アスリートの輝く場所は、競技場のリンクやジャンプ台である。
歓喜の瞬間、時に世界一の笑顔を見せてくれる。
しかし、そのアスリートが自身の達成感を感じ、ほっとした素顔を見せたときの笑顔も本当に素敵なものだ。
メディアに身を置く人間でも、なかなか多くのアスリートの表情を至近距離でみる機会はそうそうない。
ましてやオリンピックという大舞台で、大会期間中にまじかに接することも稀である。
メダルを獲得したあとのアスリートに現地で接することが出来たことは幸せだった。

そして大会が終わると、多くのメダリストたちは帰国した後に、スタジオ生出演でインタビューに積極的に答えてくれる。
大会中は知ることもできなかった裏話や苦労、エピソードも知ることが出来る。
時にはバラエティ番組にも登場し、意外な人となりやユーモラスな一面ものぞかせる。それはそれで一つの素顔というものかもしれない。
それでもやはり大会中に見せた、興奮冷めやらぬ歓喜の表情や言葉こそが最も印象的であったことに相違ない。
多くの人々にアスリートの喜怒哀楽まで伝えるインタビューは、放送メディアの使命として将来に渡り継続されていくと思う。
ちなみに、2024年パリ大会などはNHKを除き民放ラジオは、放送もなくスタッフ派遣もなくなったと聞く。
個人的には、ときに音声だけだからこそ、少しだけ緊張から解き放されたアスリートの素顔が透けて見えてくる、ラジオの存在意義も忘れてはならないと思うのだが。

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